体育館がふっ、と暗転する。一瞬のことであった。肩の力が抜けて呆然とする私に唯一届いたもの。それは、会場を埋め尽くす拍手喝采だ。今でも忘れられない、寒さをじんわりと感じるようになった中学二年生の秋の話である。 私の母校は、全校生徒約六十人の小さな学校であった。 学校祭とは名ばかりで行うのは、学習発表会の延長でしかない。その程度のものであった。出し物はステージ発表と決まっていたのである。 「今年は何をやろうか」 そんなクラスの話し合いが始まった。沈黙の時間が流れたり、
※注意※ この記事は2022年12月にカクヨムにて公開したものを転載しています。 アントン・チェーホフの短編小説「ねむい」を読んだ。 はじめて読んで真っ先に思ったこと。それは、「なんて気持ち悪くて、なんて気持ち良いんだろう」ということだった。 八百万の神といい、なんにでも神を宿し、どんな神でも信仰する日本という国において、キリスト教が色濃く出る話はなじみづらくも感じる。(かくいう私もまた、神はいないといいながら神を信じるめんどうな日本人の一人である。) しかし
※注意※ この記事は2022年11月にカクヨムにて公開したものを転載したものとなります。 「アレクサンダとぜんまいねずみ」の作者は、レオ・レオニだ。この話よりは小学二年生にて学ぶ「スイミー」のほうがいささか有名であるようにも感じるが、私は、ぜひともこちらを読んでほしいと思うほどに好きな話である。 大学の講義にて、およそ13年ぶりだろうか。この物語に触れてそして、あらためてこの物語が好きだと感じた。 私がこの話と出会ったのは、それこそ小学二年生の国語の時間だ。上下巻