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20年前の白樺の記憶 [essay]
記憶に残り続ける、湖がある。
長野県の蓼科高原にある、周囲約3.8kmの小さな人工湖「白樺湖」。湖面標高が約1400mあることから、夏でも涼しい風を感じられる。
父は、私の中のサラリーマン像そのもので、夜遅くに帰ってくることも多くあった。私が小学校の高学年に差し掛かる頃には、いわゆる中間管理職として全国の営業所を単身赴任で回った。
優しくひょうきんで抜群に人当たりのいい父は、趣味「家族」だ。毎週末、きっとクタクタであろう身体を金曜の夜行バスに滑り込ませ、週末を家族で過ごした。日曜の夜になると、また夜行バスに乗り込み、朝シャワーを浴びてすぐに出社する。
いま思うと、家族を引き離す単身赴任は、家族愛を逆手にとった身勝手なシステムだとしか思えない。
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家族で白樺湖の畔で過ごす数日間は、私たちの夏の楽しみの一つだった。
朝起きてすぐ目一杯吸い込みたくなる、ひんやりとした空気。
湖の上一面に広がる霧からぼんやりとのぞく、白樺たち。
遠くに広がる、滑らかな曲線の高原。
天気のいい日には、スワンボートでぷかぷかと湖に浮かんだり、タンデム自転車で周回してみたり。いつもの、家族経営のペンションでいただく朝食や夕食も子供ながらに素晴らしかった。こういったあたたかい想い出は、風船のように心のどこかをずっと穏やかに漂っている。
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それから約20年。
パートナーと、白樺湖を訪れた。あの家族の思い出の地に、次は自分がつくる家族で、とずっと夢見てきた。ほとんど無意識のうちに。
台風で沖縄に振られた旅行の行き先を白樺湖に変え、”あの”ペンションを予約。まだ営業しているなんて…!
妻と訪れた白樺湖は、もちろん何も変わってないはずはないのだけれど、確かにそこにあった。何も変わらずに。20年前と同じ朝の空気を吸い、20年前と同じ白樺を臨む。この白樺たちは、どれだけ大きくなったんだろうか。
ペンションのご夫妻に昔よく来たことを伝えると、えーそれはそれは、と喜んでくれた。
今は遠くにいるお二人の長男が、近くここに戻り、ペンションを継ぐ予定だという。
家族の想い出をまたここで紡いでいけることに嬉しくなり、また目一杯、冷たい空気を吸い始める。