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『百年の孤独』=革命をもたらすもの
『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス・著。
この本は、私の読書観に革命をもたらしました。
開眼。もしくは悟りといっても過言ではありません。
すなわち、
"読書というのは、本を手に持ち、文字を追うだけで成立するのだ"
と。
私がこの本を手に入れたのは、今年の8月。
言わずもがな、文庫化ブームに乗っかってのことです。
文庫化された当初から、これだけ騒がれている本なら読んでみたいな、と思っていたのですが、如何せん私には高価で…。
本というものは、旬でなくても楽しめる、またそうであるべき、というのが私の信ずるところですから、古本屋に並んだら買えばいいや…と思っていました。(発売当初はあちこちで売り切れていましたし。そもそも新作でもありませんし。)
夫にこの本の話をしましたところ、即、買ってくれました。彼は私に甘いので。
というわけで、妙なプレッシャーとともにしばらく積読棚を飾っていた『百年の孤独』ですが、さすがに買ってもらった本をいつまでも読まないのはまずいだろう…と、重い腰を上げたのが、確か9月に入ってから。
元来まじめなところがある私は、この大作を読むにあたり、こんなノートを作りました。
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さらにメモを取りながら読んでいこうという作戦です。
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後で必要になるのでは?と、なるべく詳しく書き出したけど…。
はい、ここで未読の皆さんにご忠告。
絶対こんなことしちゃだめです。
読み終わらないどころか、ページが進まなくなります。
もちろん私も挫折しました。
しばしの放置…。
このまま稀少な挫折本になるかと思いきや、再び手に取れたのは、ある天啓を受けたからです。
私に天啓をもたらしてくれたもの。
それは『ざんねんなスパイ』一條次郎・著です。
この本は、ネットの書評か出版社の販促チラシ(もしくは小冊子)で見かけ、読んでみたいな、と思っていた矢先に古本屋で出会い、購入したものです。
初めて読む作家さんでした。
内容はここでは割愛しますが、不条理ものとはこういうものか!と非常に大きなカルチャーショックを受けました。
そしてふと、あれ?この感覚…。
そうです。『百年の孤独』のわけわからなさ(あ、言っちゃった)に通ずるものがあったのです。
そうか!『百年の孤独』も、不条理ものとして読めばいいんだ!
再び『百年の孤独』を手に取れたのは、この天啓のおかげです。
10/26の夜に読み始めて、読了したのが10/29の午前中。正味2日くらいですかね。
とにかく不条理ものとして読んでおりますので、作中で何が起きても立ち止まりません。
わけのわからないことがたくさん起こります。
それでも私は、ただひたすら文字というものを読むのみです。
同じ名前の登場人物がたくさん出てきます。
死んだはずの人がうろうろしています。
よくわからない代物の固有名詞もバンバン出てきます。
時系列もばらばらで、過去と現在を行ったり来たりしています。
さらには複雑な家族関係。誰が誰の親で、誰が誰と夫婦なのか。
しかしそんな相関図など考えなくていいのです。
ただひたすら文字を追うのみ。
それがこの物語を読了するコツです。
…不思議なもので、雰囲気でつかんでくるんですよね。
この物語の大きな流れを。
誰がどんな人間で、誰とつながっているのか。
何が起きて、どうなったのか。
「読み解き支援キット」、一度も開きませんでした。
もちろん、メモだって一文字も取っていません。
脳でなく、フィーリング。
なぜかこの、フィーリングのみで味わう読書は、非常に抗いがたい魅力を持ち、読んでいるときの私はトランス状態だったかもしれません。
本というものは、必ず何かしらの主張があって、それを自分なりに受け取り消化し、時にはアウトプットできるくらいまで昇華するものだと思っていました。
読み終わってもよくわからない本があったとしたら、私の読解力がなかったか、今の私には受け取れない未知の何かが潜んでいたか…。
ただ楽しむためだけに本を読むこともありますが、それは楽しい・面白いという時間を私に授けます。
しかしこの『百年の孤独』は違います。
夢中で読んだはずの本が、読了して本を閉じた途端に何ももたらさなかったものに変わっている…。
それでいいのです。私にとっては、それが正解なのです。
"フィーリングのみで味わう読書の魅力"を知った今、私の読書観は大きく変わりました。
それが、この『百年の孤独』の大きな効能であり、偉大な恩恵なのです。
読み終わった勢いのみで書いた記事です。
なぜか、「この読了直後の感想を書かなければ。次の本や雑多な考え事で霧散してしまう前に。」という、使命感にも似た焦燥に操られこの記事を書いています。
これも『百年の孤独』の魔力なのでしょうか。