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W杯アジア最終予選インドネシアー日本戦をTVで見るにいたるまで

11月15日はジャカルタでサッカーの試合があるとのことで、ジョグジャカルタのまちは湧きかえっていた。

試合があることを知ったのは11月3日のことである。カンポン・カウマンを学生たちと歩いていたら、向こうからムハマディア大学の学長が歩いてきた。あ、久しぶりですみたいな感じで、学生たちを交えつつ、立ち話をひとしきりしたが、その時の話題の一つがジャカルタのサッカーであった。

今度の金曜日にサッカーの試合があるけど、見にいくのか?と冗談まじりに聞かれたのである。インドネシアと日本の試合がジャカルタであるのを知らないのかと言われたが、そんなもの知るわけがない。サッカーといえば、ドーハの悲劇しか知らない。その後日本のサッカーがどうなったのかも詳しくは知らない。ジョホールバルーの喜劇?は聞いたことがある。おそらく喜劇ではないと思うが。その程度である。

インドネシアのスポーツといえばバトミントンであったはずだが、どうやら今はサッカーだそうだ。日本のスポーツ選手といえば、桃田だったはずだが、今や中田英寿であり本田圭佑であり久保だそうだ。

さて、11月15日、今日である。プラウィロタマンで早めの夕食(遅めの昼食ともいう)を終え、グラブで帰っていると、ドライバーが今日はこれからサッカーがあるぞという。もう仕事は切り上げて、家に帰ってサッカーを観戦するという。その時、話に出てきたのが、上の3人の名前である。

車の中では、スマランから船に乗ってカリムンジャヤに行けとか、豚を食べるならルーマー・マカン・バルに行けとか色々言われながら、楽しく過ごした。30分弱のドライブである。

家に着いてすぐ、アグンさんにバピアをお土産に渡しに行ったが、その時にもサッカーの話題が出た。もうすぐサッカーが放送が始まるからテレビで見るといいと言われたのである。

テレビは、アグンさんがあらかじめ用意してくれていたものがあったが、この3ヶ月コンセントやら回線やらを全部抜いていたのでテレビを見ることはなかった。最初に1度か2度見ることがあったが、やたらコマーシャルが多く、落ち着いて番組を見るような雰囲気ではなかったので、それ以来見ることはなかった。

なんやかんやの巡りあわせで、みんなで私にサッカーを見せようとしているようなので、乗っかってみようと、コンセントや回線を改めてつないで見てみた。

インドネシアを応援するのか、日本を応援するのかはなかなか難しいところであるが、理念的にはインドネシアを応援したく、そのつもりで見ていたつもりだったが、どうやら日本に点が入ると喜ぶ自分を発見した。なかなか難しい。

わからないながらも、スタミナと集中力で日本は遥かに上回ってしまっており、前半の30分ぐらいまではかなりやり合ってる感はあったが、その後は日本のペースであり、力の差が出てしまったようにみえた。インドネシアが勝つとすれば、前半、インドネシア側に1点でも入れば流れが違ったかもしれない。

それにしても、不思議なチームであった。果たしてインドネシア人はどれほどいたのか?

ネット情報によると、インドネシアのサッカーチームは、旧宗主国のオランダを中心にヨーロッパ各国からインドネシアにルーツを持つ選手を中心に帰化させて編成されているという。

10月の試合の際には、オランダ生まれ10人、ベルギー1人、スペイン1人、フィンランド1人が、参加したという。監督は韓国人であった。27名中13名が帰化選手だという。

もうどこの国と戦っているのか、わからないような状態であったが、会場となった77,000人収容可能なゲロラ・ブン・カルノ・メインスタジアム(SUGBK)は大盛り上がりであった。241115

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