ザ・観光村サドゥは儲かってる?
ロンボク島南部の伝統的集落である、中央ロンボク郡ルンビタン村サドゥ地区を訪問した。90年代に訪れた時は、小高い丘に斜面に沿って住居が建ち並ぶ農村集落であったが、今やロンボク島を代表する観光村の一つである。
詳しい情報は、また論文等を整理して書きたいと思うが、観光村になってから既に4回は訪れただろうか。観光村の醜悪さを理解する上でわかりやすい事例である。
車を駐車場に停めると、ガイドに声をかけられる。それが担当ガイドである。かつては、そのガイドに直接言い値でガイド代を払わされていたが、今回訪れると、入り口すぐのところで名簿に名前を記入させられるとともに、集落の維持管理にあてる名目で寄付を求められる。
記帳スペースの横には注意書きがあり、ガイドの随行義務などのルールが記載されている。一通りルールの説明を受けて、ガイドとともに集落を巡った。
伝統的な住居は、住居の中に1m程度の高さの土壇を持つ形式で、手前の低い部分と奥の高い部分の2つに分けられる。土並びに牛の糞で固められた土壇上に建つ。入り口並びに奥の部屋に上がるのに奇数の階段が設置される。
手前は、元々は外に開かれたスペースであったと思われるは、奥は壁で閉じられた空間である。もう既に90年代に訪れた時にその傾向は見て取れたが、手前には道路に面して建具が入れられており、今やすべての住居が道路と隔てられた前面空間をもつ。
奥の上の空間には、調理のためのかまど空間と、閉じられた小さな部屋が設けられている。今回見せてもらった住居では、右手にかまどがあり、左手奥に人一人が横になれる程度の広さの閉じられた空間があった。
手前が男性や子どもの空間であるのに対して、奥は女性の空間と対比的に捉えられことがある。開かれた空間と閉じた空間、下の空間と上の空間といった対比的な関係にある。
斜面にあるので土壇が設けられているとも考えられるが、かつて見た事例では、平地にあっても土壇を持つケースが一般的であった。室内に1m近い段差があるため、茅葺の屋根は高く聳えるように見える。
北部に見られたような屋根付き露台ブルガは、住居と対応するかたちでは見ることはできない。集落の入り口に大きなブルガが集会スペースとして設置されている。
かつては、モスクや集会所としてのブルガはあったが、その他は茅葺の高い屋根の住居が丘に点々と存在するだけの集落であった。
いまは、土産物屋がずらりと軒を連ねる。
だいたいどの住居の前にも小さな小屋が建てられている。以前にはなかった建物である。その小屋で、織物や工芸品が売られている。実際に機織りをしている女性も見ることができる。コーヒーを住居前面で売っているケースもある。そこに住んでいるであろう女性が子どもをあやしながら土産物屋の番をしている。
伝統的な住居の手間の空間も展示スペースとなっているものもある。部屋いっぱいに販売用のアート作品が飾られている住居もあった。
集落の中央には展望台が建てられている。階段をぐるりと回りながら登っていくと、集落全体並びに周辺の田畑が一望できるスペースに出る。木造ではなるが、観光客向けに作られたものである。
回遊ルートからは外されているが、集落の背後には非伝統の住宅が多く立ち並んでいる。サドゥの多くの人は、この周りのエリアに住みながら、中心部の伝統ゾーンで土産物の販売を行っているか、ガイドを行っていると思う。とはいえ誰もがガイドを行えるわけではないので、多くの男性は自分の田畑で農業を行っていると思う。
ものにあふれて、伝統を売り物にしている姿は、決して美しくはないが、観光によって、自分の集落の魅力や歴史を見直すきっかけになったり、観光によって得られた利益によって、伝統的な住居の維持管理が可能になるのであれば、それは前向きに評価すべきではないかと思う。
平たくいうと、ここは儲かってるんだと思う。
一方で、織物や工芸品やコーヒーなどが醜悪な景観を作り出しているが、これらのものはそこまで利益をあげられてないのではないだろうか。
観光村になって以降、10年以上経っていると思うので、土産物がどの程度売れているのかを今一度調査し、集落全体の収益構造を整理すれば、もう少し健全な景観形成へシフトするきっかけを作り出せるのではないかと思う。241031