ぶんかざい えほん(絵の指示なし)
文化財。
それは、主に博物館に展示されているものをいう。
アートや芸術的な雰囲気の強いものは、美術館に展示されているよ。
科学の発展や、発明品は、科学館。
動物に関するものは動物園。
え? 動物園も? って思った?
そう、実は動物園も、「動物を知るための施設」だから、
博物館や美術館とかと同じ種類の場所なんだ。
良ければちょっと、
検索してみて。(自分のスマホを持っていなかったら、大人の人と一緒にね!)
世の中にはね、
もっともっとマニアックな“展示施設”が
あるからさ。
もし見つけて、そこに行くことができたら、
そこにあるものを見て聞いて楽しんで、
「なんで、ここを作ったひとは、この施設を作ろうと思ったんだろう?」
って、考えてみてね。
さてさて。
なぜこうしたものを残すと思う?
美しいから?
歴史が分かるから?
大事だから?
でも、ひとによって美しいと思うものは違うし、見たら辛くなる場合もある。
君にとって大事なものも、他の人からしたら大事じゃない場合もある。
上手でもない、むしろ、下手な絵や、
よく意味の分からないものもある。
辛くなるものは特に、なぜ残す必要がなぜあるのだろう。
それはね、
我々が我々を知るために、文化財はあるんだよ。
「この地域の人々は、こういうのを美しいと思ってたんだなあ」
「昔はこういう生活をしていたのか」
「昔、こんなできごとがあったのか!」
そうしたものの上に、我々は生きている。
そうしたものたちがあったから、我々は生きている。
だから、戦争で相手の国の物を奪ったり壊したりするのは、その国の人の歴史やアイデンティティ、誇り、未来を壊すことでもある。
言葉や工芸品、宗教を変えてしまうのも、戦争よりも時間がかかるけれど、戦争と一緒。
これらは、怒りだ。
声を上げるだけではない、激しく、かつ静かな、裾野を広げる、怒り。
もの には、それらを後世に伝える役割も、もちろんある。
写真だけでは何が起きたか分からない場合の、
その時の人々が何を感じ何を思ったのかを伝える、
とてもとても大事な、もの なんだ。
そんな怒りも、喜びも、ただありのままを表現した物も、
時間が経ったらね、
落書きされたことさえも、歴史になる。
壊されたこともまた、歴史になる。
日常のありのままを表現した物も、歴史になる。
なぜ、落書きされたのか。
なぜ、壊されたのか。
そうした経歴そのものが、残す価値に繋がることもある。
誰かにとって素晴らしいものが、
誰かにとって不愉快なものだったりする。
誰かにとってとてもとても大切なものが、
誰かにとってとてもとても嫌いなものだったりする。
だから、
好きか嫌いか、
きれいか汚いか、
楽しいかつまらないか、
上手か下手か、
といった見方は関係なく、残すんだ。
だからこそ、
壊れるのはできるだけ遅らせたい。
わざと壊そうとするなんて、とんでもない。
でも、さっきもいったように、
わざと壊されたり壊されそうになったことも、
時間が経つと、その物の“経歴”になる。
ふしぎだよね。
物は、語らない。
語らないからこそ、本当に多くのことが分かるんだ。
まるで、語っているかのようにね。
それらは、文明といわれる、おお~きなものもあれば、
とても身近で、私達も関わっていたかもしれないものも、ある。
もしかしたら、今当たり前に君が使っている身近なものが、“文化財”になるかもよ?
最後まで読んで下さってありがとうございました。
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あなたがイメージしたものと私のイメージ。それぞれどんなものなのでしょう?
大変興味深いです。