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教育業界のこれからを夢想する(1/6)

コロナウィルスがもたらした自粛期間は教育業界に

「このままでいいのか?」

という大きな問いを投げかけました。

6回ぐらいを使って、これからの日本の教育業界の未来について日頃考えていることを書きます。今までは具体性を重視して、How toが多めの記事だったのですが、この記事では風呂敷大きめなことを書きます。

結論から言うと

これからは現在の公立学校vs私立学校の構図が崩れると考えています。

第三の、もっとフレキシブルな形の教育の場(あえて学校とは言いません。)が台頭してくるはずです。従来の形で言えば、オルタナティブスクール、マイクロスクール、オンラインスクール、通信制、etc…

この記事ではそこに至るまでの背景を書きます。ネガティブなことは今まであまり書かなかったけれど、どうしても批判的で、ストレートな言い方になってしまう箇所もあります。ご容赦ください。現場の教員はとても頑張っている人が多いのだけど。

休校期間から今まで

若手〜中堅を中心としてオンラインでの授業を展開できた学校やクラスもあれば、プリントを大量に擦って自宅学習を促した学校もあるでしょう。

現場の教員は休校期間も、今もいろいろな制限の中で(消毒作業とか、密回避とか)必死で教育活動に当たっている人が多いです。

ただ、もともと業界的にブラックだった教育業界が輪をかけてブラックになりました。医療、福祉、教育、物流をはじめとしたインフラ、なかなかにしんどい現場は多そうです。

理(ことわり)に合っている?

はっきり言って、コロナの前も、コロナ中も、そして今も公教育の現場は非合理なことが多いです。

目的もなく、「前例が〇〇だから〇〇しなくてはいけない。or前例がないから〇〇できない。」「保護者から△△といわれる可能性があるから新しい試みはやめておこう。」「コロナが終われば元に戻るから。」

といったセリフがはびこります。教育業界だけじゃないかもしれない、、、イケてない中小企業の典型ですね。

(非合理なことが「多い」と書いたのはそれを打破しようとしている先生方もいるからです。そこも強調したいポイント。(   )内なのに太字強調して書きます。)

合理的という言葉は冷たく感じることがあるかもしれませんが、理(ことわり、原理原則)に合っていることだと考えています。

今まで教育学、発達心理/教育学、社会学、倫理の観点からすると理に合わない活動がコロナ前から横行していることが現状だったと感じています。

逆に言えば、教育学、発達心理/教育学、社会学などの学問は子どもたちが心地よく今を過ごし、これからを過ごすために理を解明するために応用されるべき学問だと思っています。


近代の教育

明治維新以降、農村から学校に子どもの活動の場所を移させ、工業的に「サラリーマン養成」を目的とした画一的な教育を是としてきました。当時は確実にそれが正解でした。シンプルに言えば農村で働かせるより工場で働いた方が、国が潤うからです。富国強兵。

現代の工業やサラリーマンを否定しているわけではありません。むしろ組織的で再現性が高い生産ができる人はとても尊敬しています。自分はとても苦手なので…)


今までも、

「今の教育はダメだ、学校での学びは社会人になって通用しない。だから教育を変えなきゃいけない。(もっとビジネス的な観点を)」

という理由で公教育に対して批判的な立場を取る人がいますが、構造的には明治の頃と変わっていません。

間違ってはいませんが、社会に通用する人を育てることは目的の一つではあれど、全てではありません。一人ひとり、素敵な毎日を過ごせれば良いのです。

学校の社会的な機能は民主的な社会を支えるための勤労と納税と判断ができる能力を育てることは一にあれど、うーん、それ「だけ」って…

これからの社会と教育

コロナウィルスでの自粛中にこんなことを感じた人もいたと思います。

「ちょっとゆっくりできるな。」「このまま今までの生活に戻っていいのかな。」「自分で時間組んで仕事できるっていいな。」「仕事と生活と趣味のバランスって大事だな。」

時期的に不謹慎だから言えない人も多かっただろうけど、一定数の人たちがこんな考えをしていたと思います。

教員にも、子どもたちにも一定数上記の考えを持った人もいたでしょう。家から出られないのも、友達に会えないのも辛いけどさ。

一言で言うと、冒頭に挙げた「このままでいいのか?」ということです。能力偏重の教育方針、横並びで顔色を伺う組織の動き、過重労働の現場…

一番の問題はこのままでいいのか?と考えていろいろ動いた教員と学校が失敗したことではありません。「このままでいいはず」ないのに動かなかった組織が多かったということです。

つまり、チャレンジせず、リスクを取らなかった代わりに間接的に「このままでもよい」と回答した組織が多いということです。

保護者の皆様はその回答で満足はしませんし、子どもも教職員もこのままでいいと考えている人も多くはないでしょう。社会的にも「このまま」でいいはずです。

そこで出てくるのが前述した公立学校でもなく、私立学校でもなく第三の教育の場です。公立、私立がよくないわけではありません。ただ、大きい組織というのは意思決定のスピードが遅いことが往々にしてあったり、本質的な判断をしにくいという側面があります。

VUCAの時代

これからはVolatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の時代と言われます。予測不可能なVUCAの時代です。

そうなると、刻々と変わる現状に対してシンはブレないままでも、学校組織にはフレキシブルさと選択肢の多さが求められる時代になるでしょう。「このままでいいか?」と問われた時に、問われる前に、考え、行動できる組織です。

つまり冒頭に挙げたオルタナティブスクール、マイクロスクール、オンラインスクール、通信制などがそのような状況に強い組織です。(反対にこのような組織の課題もこの連続記事で書こうと思います。)

今回はここまで。思いの丈を書いてみました。

次回は「フレキシブルな教育の場」のテーマで書きます。

お読みいただきありがとうございました。




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