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『宗教と不条理 信仰心はなぜ暴走するのか 』(佐藤優、本村凌二著、幻冬舎新書)
読了日: 2025/1/25
元外交官でキリスト教徒(プロテスタント)の佐藤氏と古代西洋史研究者の本村氏との対談本です。いずれの著書も読んだことはありませんでした。(小生はやはり対談本は好きではないな)
中世から近代へは、神権から人権へと主体が変わり、民主主義の人権思想となった、との考えはなるほどと思いましたが、納得したのはその点のみでした。
ロシア・ウクライナ戦争(紛争)を「民主主義対独裁という価値観の戦争」(p.36、強調は投稿者による)と言っていた(イデオロギーではなくて、価値観⁈)が、カトリック(ウクライナ)対ロシア(正教)の価値観戦争とします(p.102)。
本村「東と西の対立は根深いですよね。まず西でカトリックができて、それにあまり賛成しなかった人たちが東に行った。もともと相容れないものがあると思います。」
佐藤「その東西のズレが、いま起きているロシア・ウクライナ戦争にも表れているわけです。カトリックのウクライナ人は相対的に少ないけれど、価値観としてはカトリックの代表みたいになっちゃっていますからね。」
(強調は投稿者による)
東・西の区分は、上記対談のとおりローマ帝国の東西分裂(3世紀半ば)、キリスト教会の「西方教会」、「東方教会」の分裂(11世紀)があり、文化的な対比がみられるようになりましたが、両氏の言及は東・西の政治的イデオロギーを含んでいると思われます。政治的東・西の区分は、第一次世界大戦でイギリス・フランス連合がドイツと敵対し、ロシアが「東部戦線」という認識にはじまり、現在の西側の資本主義・民主主義と、東側の社会主義・共産主義の対立構図になっています。この両面を混同、または誤認識されている可能性があるかもしれません。(*1)
(所感)
領土紛争ではなく宗教戦争と認識することで解決の可能性が広がるのでしょうか?小生には、当該紛争を”宗教だから、他者は口出しできない、手が出せない”のような距離を置く方策のようにも感じました。
ただし、「戦争を宗教と結びつけて読み解くというアプローチ自体が妥当なのか」(p.157)という検討もされてはいます。
その他の戦争も宗教を基底としているとの考えは賛同しかねます。つまりおのずと当事者以外は手出しができないという結論になり、それはマスメディアにミスリードされる世間一般論(数が多いという意味で)をなぞるだけのもののような気がします。
また本題とはややずれるかもしれませんが、「女性を見て欲情を抱かない男性はいない」(佐藤)(p.123)はキリスト教徒としての一般意見なのでしょうか?先のトランプ大統領就任演説の発言が思い出されます。
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*1 参照:『完訳キーワード辞典』(レイモンド・ウィリアムズ著、椎名美智・武田ちあき・越智博美・松井優子訳、平凡社)