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10月という月

自選の画像を作るのがなんとなく億劫に感じられてsuiuの連作機能で10月に作った短歌をまとめた。

新聞等で掲載していただいた歌もあったが、それはそれとして、suiuの短歌が生活そのまんまだったのでこれらの短歌で自分を振り返ろうと思う。
振り返りたい気分だから。
こういうのかっこ悪いのかなとも思うけど(そして話はそれるけど)、やっぱりわたしは今のところ自分の気持ちや人生の整理のために短歌をしていて、文芸や創作をしているかと言われるとそうは思えないというかわからない。
まだそこまで行ってないということかもしれないし。これから行くのかもわからない。
でも言葉を通じてだれかと何かを共有したり、共有できないことを改めて知ることは気持ちがいいので続けていくし、なにかに載ると褒められてるような通じたような気になってそれが癖になり公募にも出してしまう。

歌を説明したりするのどうなんだろう(人がやってても何も思わない)とは思うけど、自分のだし好きにさせてもらう。

そんなわけで、いよいよ価値観や環境の崩壊が始まったが立ち止まらなかった10月の思考を振り返る。

つよい日もつよくない日も1ミリも私じゃない日はない星月夜
そのまんま。
つよい自分でありたい日、そういう自分をあざ笑っちゃう日、つよいかわりに誰かを傷つけた日、つよくなれなくてうんざりしつつホッとする日。
誰かにこうあれと命令されたことはないので、全部私が選んでるんだよなという帰り道。

じぶんでは生み出せなくて「適度」という漢方を飲む毎食後、飲む
漢方にするか頓服にするか迷った。
仕事でどちらも取り扱うが、人それぞれバシッと薬がはまるときがたまにある。劇的に効いたのを目撃したのがたまたま漢方だったので、漢方を採用。
人間のことに「即効」というのは基本無いのだと思う。
「適度」な人にあこがれる。でも、本当はそんな人いないんだろうとも思う。

きみのその見たこともないスーパーのエコバックにわたしを入れてよ
思い出の短歌。
その場所にしかないスーパーのエコバック。なんとなくダサいロゴの。
その中に入れられて数日間冷蔵庫で保管されるであろう食材たちがうらやましかった。

ブルーベリーマフィンを齧るひじきとか食べるべきって考えながら
徒歩圏内に魅力的なパン屋さんがいくつかある。そのうちのひとつがおしゃれパン屋さんで、ブルーベリーたっぷりでクルミも入っていて最高に好みのマフィンが売られている。もともとブルーベリーがとても好き。しかも巨大で当然ハイカロリー。
自炊では鶏肉入りのひじきと人参ナムルを作るのにもう何か月もはまっていて、当たり前だけど経済的も健康的にも自炊の方がいい。ブルベリーは最高だけど長い目で見たらひじきの方がいいに決まってる。次はひじきに白滝も入れようかな?と、結局ひじきのことばかり考えながら食べたブルーベリーマフィン。
しかもそのあとすぐひじき煮た。

鼻の効かないひとがいい心は幹にあるからと、金木犀
なにかわかりやすい特徴がある人が、それ以外の部分を見てもらうには苦労するだろうとなんとなく、たくさんの金木犀の歌を見て思った。
金木犀がばりばり香りで売り込んでいこうと思っていればそれはそれでいいけど、陰キャ考えすぎ金木犀の場合、「わたしって香りだけ利用されてるる気がする…」ってなるんじゃないかなと。この金木犀の場合、何もかもに自信がないわけではなく、幹や心のありかをきちんと考えられるメンタルを持っているので、自分の香りに見向きもしない相手に幹を愛されてはじめて嫌いだった自分のつよい香りも含めてすべて愛せるようになる…みたいなネット漫画広告のようなストーリーが思い浮かんで、唯一の虚構というか、空想短歌。
字足らずは「、」で埋めた気。

虹が欲しい。光も雨もない空にすごく突然あらわれてほしい
なんかさ、もうしがらみとかつながりとか経緯とかもうやだなって思って。
誰かの願いをかなえようとすると誰かが苦しいわけで。それには理由があって、悪い人に見える人にも背景があって。世界で起きてることも職場で起きてることもみんな同じ。全部に理由があるから誰かを責めても意味がない。
意味がないけど何かしら誰かしら見捨てて結論を出すしかない。その時、リーダーの人は「見捨てます」と言わないまでも、「こちらを選びます」と言ってほしいよね。いい人のふりしないで。そういうつらさ、われわれも受け止めてさ。一緒に報いを受けてさ…とか考えちゃって、なんのつながりもない虹を一瞬見たくなったという話。

怖いとき手をつないじゃう人間を見たくて地球ついふるえがち
地球からしたら人間ってじゃまだろうけどじゃますぎて小さすぎて一周回って面白いんじゃないかなと思った。いつでも殺せるしね。

前払いなのかご褒美なのかだけ教えてほしい「うれしい」の朝
考えすぎ人間なので、「うれしい!」と思った時に考えることが二つある。
めちゃくちゃがんばってがんばってそれが終わりそうな時のタイミングでうれしいことがあったときは「これ、ご褒美だ…神さまさんくすいただきますごちそうさまです」と思ってありがたく受け取る。
でもなんとなく調子よく過ごしているときの「うれしい」、または「うれしい」が続きすぎるときは「ん…そこまで頑張ってはないかもしれぬ。これは前払いということだろうか」と思って怖くなる。ねぇ…これから私になにさせる気?と。そしてさぼるともらったものを返せと言われそうで怖くなってまた異常頑張りに突入してしまう。

そんな感じの10月だった。
すごく突然の虹、まだ待っている。

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