『平成くん、さようなら』古市憲寿 文藝春秋
読み始めてすぐに、田中康夫の『何となくクリスタル』を思い出した。30歳代半ばぐらいでちょっと成功したような、例えばクリエーターなり評論活動をしている人の、それなりに豊かな都会生活における行動ぶりや、ありがちなモノ、サービスの固有名詞が散りばめられている。もしかしたら読者に、底が浅いな、という印象を持たせるために、意図的にこういう描き方をしたのかもしれない。
安楽死がテーマだ、とすぐに分かるが、その安楽死さえリッチであることの道具にされているような印象があって、虚無感が漂う。平成くん(ひらなりくん)は最後に、スマートスピーカーになってしまって、生きているのか死んでいるのかすらも分からない。
だが、登場するスマートな人間たちの実体は、技術や情報や記号を消費し、世を動かす力のない意見を言い、自己満足のための活動をしながら、確実に死に向かっている。古市クンがそれに気がついてこの書を著したのなら、彼は小説家の入り口に立っているんだが、ね。