中国日記 その2
こんにちは。
中国にいると、見た目が変わらないからか、中国語で当たり前のように皆んな話しかけるので、わたしの挙動不審さが、自分でもちょっと可笑しく思える。さっきなんか豆花を買ったときに、お店の男の子が、当たり前だけど中国語で話しかけてきて、わたしは何故か英語で、"I can't speak english."という支離滅裂な言葉を発していた。なんでやねん!
でも皆んなフレンドリーに話しかけてくれて、わたしがあわあわしていても笑顔で何か言って去っていくのだから、いつもその残り香にほっこりしている。
中国に来てからちょうど2週間になろうとしている。わたしの彼は歴史が大好きで、色々説明してくれるのだが、わたしは知らないことばかりで、全てを分かろうとしてしまっていた。すべてを知らなきゃいけない、と力んでしまっていたけどどうやらそうではないらしいことに氣がついた。一番知らなくてはいけないのは自分の氣持ちだ。どのようにして生きていきたいのか?何が好きで何が嫌いと感じるのか?何をしたくて何をしたくないのか?歴史を知ることはもちろん大事だけど、わたしは今の自分の氣持ちを知りたいと思った。
でも全て無理矢理知ろうとしなくてもいいのかもしれない。自分の氣持ちも歴史も何もかも。時間とともに必要なときに必要なことを知れるように、人生はなっていると感じている。たとえ前世があったとして、前世に悪いことをしてしまったからと言って、この人生自分を許してもいいのだ。自分なりの幸せを探究してもいいのだと思う。
そんなことを想う、武漢の湖のほとり、一人。