信じたいものを信じる
誰もが出くわす瞬間として、「自分はなんてダメな人間なんだ」といつ自己嫌悪ブルー現象があるだろう。小さいミスが積もった時、叱られた時、思い通りにならない時、思いもよらない別れを呼んでしまった時がそれだ。
そんな時の自分を救う唯一の処方箋として、「信じたいものを信じる」が良いと思っている。
先日、人生で初めてJグループの男性アイドルのライブに行った。15m程前だったか、望遠鏡もいらない、手が届きそうな距離にアイドルが立っており、華麗に踊っていた。それも魅惑的に裸ちらりしながら縦やら横に動いていた。
正直滅茶滅茶、感動した。どうして感動したかというと、日々訓練していなければ成し得ない激しい踊り・ファンへのお礼・心の篭ったスピーチ、それら全てに「プロ」の技術が宿っていたからだ。爆音の空間で冷静に僕は考えていた。働く側、つまり消費者や顧客にサービスを提供するという観点ではあのアイドルと僕たちは同じ。同じの土俵で考えた時に、自分もこういう「プロ」のようになってみたい、このレベルになりたいと憧れるだろう。自分がこう考えられる時は、自分がエネルギーに満ちている時なはずで、こう思える時はプロレベルを目指せば良い。
反対に、プロと同じ土俵で考えられない時もある。人間だからね。先ほど例で挙げたアイドルもわたしたちと違うのは「大衆の目に触れるかどうか」という点だ。私たちの日々の作業・仕事・人付き合いは、小さいコミュニティで完結するものが多い。つまり、「プロ」を目指す必要は全くなく、ちっぽけな人間である事実を受け入れて、堕落して惰性で過ごす時が、あってもいいはずだ。「仕事」はちゃんとやらなければいけない、なんて誰が決めた?テキトーにやっていい時もあるでしょう。「人付き合い」は常に気を遣って優しさを忘れずに、なんてどこにそんなルールがあるだろう?そんな呪縛からは1秒でも早く離れた方がみんな楽になれるなと思う。
むしろ8割惰性で過ごしてほしい、お腹いっぱいなのに食べ放題の焼肉を食べている時のように、惰性まみれの人生でいいんだ。
完璧を目指しがちな人、真面目な人、適当な人というふうに自分をカテゴライズせずに、「今日はこんな気分」「今日はこんな人間」くらいで生きていければ楽だと思う。どうか無理せずに。楽しくいきましょにゃん。
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外資系専門商社でBtoB, BtoG営業をしています。さまざまな社会問題や身の回りに起きた出来事を発信しています。「新しいモノ・コトで人々の生活を豊かにする」