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生徒が何をしたいかなんて分からない。

皆さんこんにちは、
今日は水槽の掃除をしよう!と心に決めていたのに雨でした。もちろん中止。
では、探究について書いていきます。

年度末に来る、次年度予算の申請

私の職場では、2月中旬になると『次年度予算』を考える時期になります。
私立に関しては学校や、所属コースなどによって取り組みが違い、それに応じて勿論かかる費用も変わってきます。
今年度の取り組み状況を踏まえて、次年度の生徒達に何を提供していくのか考え、教材を決め、費用を決め、という流れを行います。
全ての教科がこの流れを行った上で、生徒の年間学費が決まっていきます。
名称は『一括徴収』など学校によって違うかもしれません。

次年度の最善。。とは?

次年度に向けて最善の教材を。
というのが実際1番難しい。
生徒と対話をする中で興味関心、思考を読み取りそれに合わせて指導をする中で、次年度何が最善かなんて予知能力あったら良いなと感じます。

ましてや、来年入学してくる生徒の教材なんて神のみぞ知る最善の教材。
そうなってくると、営業に来ていただく『普通』の教材を選んでいくしか無いのかもしれません。

ここで一点。
普通は決して悪いわけではありません。

普通だからこその良さがある

先に述べた通り、何も分からない生徒達には『普通』の教材が良いと考えています。
これは悪い意味ではなく、最高の褒め言葉です。

要は、何も分からないからこそ、万人ウケする教材という存在は素晴らしいと思います。

どんな生徒が取り組んでも、大外れせずにカタチになっていくのが『普通』の良い所です。
それを求める探究の指導も時としてありますので決して悪くはありません。

みんな一緒で良いのかだろうか

『普通』の教材を使用すると大枠は外れません。なのでみんなある程度形になって行きます。
それは、良くも悪くも。

基礎にはなりますが、3年間通じてどんな方向に路線がズレていくのか、脱線するのか、新しい道を見つけるのか分からない生徒達に対しての最善に本当になるのでしょうか。

21世紀に入り、ジグソーパズル型の学力からレゴブロック型の学力が求められ、情報編集能力が試される中で大枠を外れない進行が最善なのか難しい所です。

見えない最善と普通

今回は、見えない最善と普通に関して述べて行きました。
これを機に、普通ということが子供達の創造力に対してどれだけの影響を与えるのか考えてみてはいかがでしょうか。

授業としてはまとまりが生まれ、良い感じになるかもしれませんが才能は開花しない。
そんなことはないでしょうか。

また次も読んで頂ければ幸いです。

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