自己肯定感と他者肯定感
「自己肯定感が高い人は羨ましい!」
最近、このようなことを耳にすることが増えたように思います。
「世界的に見ても、日本人は自己肯定感が低い国民である」
そう言われても簡単に受け入れてしまうくらい、日本人は自己肯定感が低い人が多いように思えます。
「自己肯定感は高い方が良い」と思う一方で、「自己肯定感が高い=人として優れている」と言われると、それは違うと否定をしたくなります。
自己肯定感が高い人を見て、たまにモヤモヤすら感じるくらいです。
では、私たちは自己肯定感が高くありたいと思う一方で、その状態の人たちを見て感じるモヤモヤはなんなのでしょうか?
自己肯定感とは
自己肯定感を調べていくと、近しい意味を持つ言葉がいくつか出てきました。具体的には、以下のようなものが近しい言葉として挙げられます。
【自尊心】
自分を尊いと思う心。
【プライド】
自分の人格や思考に誇りを持つ感覚。
【自己効力感】
ある状況下で結果を出すために、自分が適切に選択し遂行できると信じられる感情・状態。
【自信】
自分の能力や価値、自身の考えや行動が正しいと信じること。
【自己愛】
自信を愛すること。英語訳は「ナルシシズム」。
【自己肯定感】
自分の価値や存在を積極的に肯定できる感情。
色々調べてみると、自分に対する認知を複合して捉えたものが「自尊心」であり、自己肯定感はそのひとつである、という記事がいくつか出てきました。
自尊心は自分の肯定しにくい面も合わせて受け止める感覚・感情を意味するため、自己肯定感は自尊心の定義の中に含まれると言えます。
自己肯定感が高い理由
「自己肯定感が高い人」「自己肯定感が低い人」がどのようにしてその状態になったかを調べると、科学的根拠は定かではありませんが、環境要因が強く反映されていることがわかります。
具体的には、「小さい頃に成功体験をしていた」「周囲に自分のことを認めてくれるがいた」「食事、睡眠などの生活環境が安定している」などが挙げられます。
つまり、自己肯定感というのは生まれ持って「ある人」「ない人」がいるものでもなければ、その人の努力だけで培えるものでもありません。
その周囲に偶然か必然か、自分を認められるような環境が整っていることが大きなポイントとしてあります。では、自己肯定感が高い人に、時折感じるモヤモヤは、「その人の努力や才能ではないから」なのでしょうか。
他者肯定感
自己肯定感が高いことは良いことだと思います。どんなに他人から評価を得ようが、自分が自分を認めなければ、自分を満たすことはできないからです。
一方、自己肯定感は高いものの、他人への敬意が低い人が一定数います。他者を肯定する「他者肯定感」は、自己肯定感と同じくらい大切だと私は思います。
先に言っておきますが、他者肯定感なんていう言葉はたぶんありません。ただ、言葉を見ると「自己肯定感の他人バージョンだと言いたいんだな」ということは、何となくわかっていただけると思います。
「自己肯定感ばかりが高く、他人への敬意がない」
自己肯定感が高い人に時折感じるモヤモヤは、恐らくこういった人に対する感情ではないでしょうか。
先ほどいったように、自己肯定感というのは環境要因が背景として大きな割合を占めます。つまり、その人が頑張ったかどうか、才能があるかどうかではなく、たまたまそういった環境に恵まれていた、ということがほとんどです。
それをわかっていない人が、他者の肯定や敬意を払えず、自己肯定感ばかりが膨れ上がり、他人に尊敬されない対象となってしまう。
自己肯定感が高いことが良いとされる今だからこそ、それと同じくらい大切な他者肯定感を忘れず、楽しく生きていきたいものです。