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これは駐妻の承認欲求なのか?
海外に住んで1年経ってもつきまとう
定期的にやってくる私の心のモヤモヤ。
たぶんきっと駐在妻として過ごして何年しても考え方を変えない以上、つきまとうものだと思っている。
それは、
平日日常的に何か社会と接点がもてるものはないか
というもの。
日常的に社会と接点をもつということ
働くことはかなり厳しいし(というか出来ないし)ジムや語学学校以外、やることがないこの街でこの問題と向き合うのはなかなか難しい。
日本ではバリバリ、、、でもないが仕事をして、
自分のお金を稼ぎ、休日はのんびり休み、という
日々の生活のルーティーンの中で回っていた私の生活。
少なからず生活にメリハリがあった。そして人との関わりもあった。
海外にやってくると仕事は出来ない、かと言って
他にボランティアなど社会的な接点を何か見つけようとすると本当に見つからない。
日常にやることを探し、それを実行し時間だけが過ぎていく毎日で、生活にメリハリがないのだ。
そして体力的に(精神的にも?)疲れることがないので、なかなか寝つきも悪くなるという
困った問題なのだ。
まあよく考えれば、
こんなに時間があることは人生でこの数年間だけなのかもしれない、
と思って色んな勉強や知識をつけたり、やりたいことをみつけ、それが実行できる時間なのだと考えることは出来る。
そして今実際に英語を学んだりしているのだが、
私が探しているものは、
日常に人と関わりたい。
ということなのだ。
これは承認欲求か?
現在日常的に関わりがあるのは基本夫だけである。
それでも出来る限り、この国で出来た友達や知り合いには会うようにしている。少ないけど、ありがたい時間だ。
夫にもこの話はしていて、話を聞いてくれるだけでもありがたいのだが、一緒に何かやることはないか探してくれるのだ。
それでも見つからないし、私自身結構必死に探してるので半ばあきらめているのだが、というかこの日常がここでの生活と思っているのだが、
やはりこのモヤモヤが来るたび、夫にこの話をしてしまう。
夫も毎回話に付き合って大変だ。本当に感謝。
しかし、
私はこのやることがないところで
私なりに生活していることを認めてほしいのかもしれない
と最近思ったのだ。
それだから、夫にも話しているのではないか、と。もちろん夫もよく生活していると思ってくれているはずなのだが。
そして日常の人との関わりをすることで、
少なくとも社会と関わって社会に認められ生活している
と思いたいのではないかと。
これがわかっただけでも、駐妻生活のなかで自分は成長しているはずだ。
だって、日本にいたらこのことにも気づかずに
日々仕事をして時に休んで普通に生活していたのだから。
この承認欲求に気付いたことで、日本に帰った時、社会との接点をもって生活している自分に感謝出来るだろう。
きっと駐在妻になってよかったと思う気付きなんだと。
そうやって今日も気付いた自分を自分で褒めながら生活していく。褒めホメ。
PS : 、、、自分だけじゃなくて周りのことも認めていかねば。