静寂の美刻(My Photoで伝えたい)
本日、加西市にある兵庫県立フラワーセンターへと、
心を癒しに行ってきました。
現在園内は見渡す限りのチューリップの時節。
一眼レフ片手に、半分は園と心を一体にさせ、半分はその静寂の美を、shotして刻みました。
昔はローキー(ダークトーン)の魔術師になってやろうと、
淡路島に住んでいた頃、その写欲とともに薔薇を撮影し続けたり、
鮮やかな紅葉を「深み映す」気持で追いかけたりでした。
今になって、昔やっていたローキーの美しさが自分なりにですが本物だったことを認識しています。
暗がりの中でも楚々と咲いているチューリップ。
彼、彼女たちは、艶やかにその美の妍を競う・・・。
そう・・・、暗がりの中でもけしてよこしまな雰囲気を醸し出してないですよね。
それが花の本物の美しさかもしれないと僕は思うんです。
白いチューリップも、
処女性を持った乙女が、赤いルージュとチークをあしらったような、
若々しいときめきを、妖しくも惜しげなく演出しているかのような・・・。
ローキーは、ある意味ハイキーよりも、難しくて奥が深いと僕は思うのです。
何故なら闇のある方が、真実の光により近い美を演出していると僕自身想いたいから。
だって人生自体そうだと思えるから。
(結構な枚数を撮ったので、後日、またアップさせていただくかもしれません)
そして、チューリップというイメージとは、
どこか似つかわないと、スタンダードな考え方では思ってしまうような、
ショットです。
僕自身が、その園で、空間と真実を一つにして心を開いて会話してきたのならば、
つまりはこの写真も、本日のローキーなるチューリップのphotoと必ずリンクする一部と映えるはずです。
この記事のヘッダーの写真です。
フラワーセンターの園内、中心にある池と鵜(であろう鳥)。
哲学的なる写真は、普段からどれだけ物事を、本気で考え、自己哲学として落とし込み、解釈し、実践しているかによって成功を収められるかが変わってくると思う。
哲学で成功を収めるには、
絶対にやってはいけないことがあって・・・、
『傲(ごう)』という文字に気を付けることかと思っています。
これをやってしまうと、
自己の才能、徳、これまでのその善なる行いの全てが、自分に対してしっぺ返しとしてかえってくるように思います。
もとより、僕はこの廣い世間で、
自分に対して大した才能を感じたこともないし、
人より勝っていると思えるものを、努力なしに磨いてこれたとも思っていません。
今日の小旅行は、ただ、魅せたいがための撮影ではなく、
人生をたのしむとはどういうことか、
自分を広げるとはどういうことか、
驕らないとはどういうことか・・・、
それを見つめる旅だったと思う。
『静寂の美刻(せいじゃくのびこく)』とは、現在この記事をつくらせてもらっている中で、
考え付いたタイトルで、
このテーマを引っ提げて行ってきたのではありません。
どうかまた観て下さい、作品を。
素直さや正直さ、ちょっと言いすぎると『美しさのかけら』が、皆さんにとっての幸せの何らかのきっかけとなれば、それ以上嬉しいことはございません (^-^)
人生、おおいに楽しもうじゃありませんかっ!
Rose
僕らの愛から始まり、やがては社会に大きな経済・笑顔・勇気・励ましあいの循環が起こる。その一端を担える人物でありたい。頂いた寄付は、やがて僕らみんなに還ってくるだろう社会の循環の為に使わせていただきます。ありがとうございます。