甘々なカップル


 変わった奴と会った、そんな話をしたい。
 まあそこに座って、一杯付き合ってくれ。
 さて、どれにする? パブに居るのに何も飲まねえなんて話は無いわな。
 安心しなよ、俺が奢ってやるから。話を聞いてもらうお礼だ……で、何にする?
 あん? これで良いのか? チャイだな、そうかそうか……
 なに、この前会った変な奴も、おんなじモン頼んでたもんでな。

 俺はこれでも、このパブの前の主人でよ。今は倅に任せて自分は店の金で飲んだくれてるってわけだ。その日もロンドンの朝の寒さに負けて朝っぱらから飲んでたんだが、客も収まった昼過ぎに、そいつは店にやってきたのさ。
 見た瞬間、おっ? と、この爺の勘がピンと来たわけだ。ソイツ、まあ警官だったんだが、ぱっと見は端整な顔で色の白い、やさ男って出で立ちの奴。だがよ、肉付きは良いが肩幅は確かに女のそれだ。でも顔が女だか男なんだかよく分からんような形しやがって、にこりともしねえで席に着きやがる。
 俺はな、まだ働いてた時からここら辺の不良警官とは仲がいいんでね。顔を合わせれば「よう、ロクデナシ」なんて軽口叩き合うくらいだ。だから一層、初めて見たその警官が誰なのか気になっちまってよぉ、声を掛けずにはいられなかった。
『兄ちゃん、まだ若えのにふけっちまって良いのかい? 出世を諦めるにはまだ早えと思うがね』
 冗談めかして近付いたら、そいつ顔を上げてにっこり微笑むんだ。笑ったのはその時が初めてだぜ。
――ごめんなさいね。今日は早上がりなの。
 芯が通った、だが鈴が鳴るような声。そいつを聞いたら、俺は情けない事にうなじの毛が全部逆立ちやがってよ、言葉が出なくなっちまった。
 この老爺、夜中道をぶらついてるティーンのアホ共やパンパンに冷やかしをくれてやることはあるが、その時は女をからかってやろうって気は全くなかったもんで、面食らっちまったんだよ。
 それどころか、これは話しかけちゃいけねえ人種でねえのか、と怖くなった。俺みたいな汚れが話しかけるのは場違いじゃねえかと。見てくれよりシャイなもんで、俺は頭下げてその場は下がろうとしたのよ。そしたらなんと、そいつの方から引き留めてくるじゃねえか。
――怒ってないわよ。でもそうねえ、丁度何か頼もうと思っていたところよ。
  成る程確かに。詫び入れて、はいさいならじゃ示しがつかねえ。俺は警官に一杯奢ってやることにした。その時に頼んだのがチャイだったんだ。
――夫の好物でね。とっても甘いから私も好きなの。
 そう言って警官がチャイを見つめる目と言ったら、まるで初恋に燃える生娘みてえだ。いたずら心にまた火がついて、俺は皮肉たっぷりに笑った。
『姐さんの旦那……一体どんな奴だか』
 気になる? 警官はそう言って俺の方を見た。化粧っ気は無いが切れ長の流し目に見つめるのはよ、もう聞いてくれって言ってるようなもんだろ。俺も嫌な気はしなかった、人の身の上話聞くのは働いてた時から好きでね。

警官と……ややこしいから女にするか。女とその旦那ってのが出会ったのは、女の両親がギャング二人にぶっ殺された日の事だったそうだ。
その時女は15歳、自分の部屋に居たら親父の怒鳴り声が聞こえるってんで、見に行ってみたら母親が血肉の塊に変わる瞬間だった。階段でへばった女に、ギャング共はにやけ面して近付いてったその時だったのよ。
窓を叩き割って男が一人突入してきた。そいつは呆気にとられたギャング二人を張り倒すと、顔面目掛けてショットガンを4、5発ぶっ放して血肉に変えちまった。余りの事に女は気絶しちまって、男に病院まで担がれていったそうだ。
その男ってのが、女の旦那になる奴だった。
男は、警察官だったらしい。女の親父も警察官で、二人はおんなじ課の上司部下で詐欺事件を追ってた。それでギャングに目を付けられたってわけだ。
暫くの間、女は誰とも口をきけない状況だったが、男だけが一人せっせと見舞いに来てやってたらしい。女が熱っぽいティーンの時期に事故と言う祟り目、二人がくっつくのはそう遠くなかった。女の方からアタックして、男をどうにかこうにか結婚まで持ってった。
そこから女はもう有頂天さ。毎日毎日、かいがいしく男の世話を焼いて近所で羨ましがれるいい奥さん。じゃあ男はどうかって言うと、これも結婚したら豹変するような男じゃなく、ちょっとやそっとの事では動じない頼もしい旦那だったらしい。
羨ましいもんじゃないかい、俺なんか女房と10ポンド売り上げ足りないくらいで殴り合いの喧嘩になったってのに。まあ俺が大体呑みに使ってただけだが。
だから俺も言ってやったもんだよ。「何だい、惚気話聞かせたいだけか。アンタも人が悪いぜ姐さん」ってな。
――ここからが面白いのよ。
『……?』
 肘ついてそう言った女を見て、俺は気が付いたのさ。
 女の顔、というより、耳から顎にかけて沿うように小さな縫い跡がある事を。
 見えないように隠されたそれに気が付いた時、俺はまた何か恐ろしいモン見ちまった気がして、縮み上がっちまった。
 黙りこくる俺に、妙に引きつった笑みを向けて、女は続きを話しだした。

 女が買い物を済ませて、家に帰ったある日。家の中で男が死んでた。
 それもただの死じゃない。頭をショットガンで貫かれて、壁から天井まで脳味噌ぶちまける壮絶な死に方だ。
 錯乱寸前になりながら、女は近くにギャングがいるのかと家にあった銃の傍まで走っていったそうだ。だが、銃がない。それもその筈だ、銃は男が自分の手に握ってた。
 銃口を自分の方に向けて、そして引き金を引く。自殺さ。近所の人間が警察を呼んで女はそれに任せっきりだったんだが、警察が男のポケットを探ったら中から手紙が出てきたそうだ。
 女は飛びついて、警察の手から手紙を取り上げた。とても納得できるはずないが、すがるように女は手紙に目を走らせる。そこには、大体こんなことが書いてあった。
 男はな、警察をやりながらギャングに情報を流してて、情報料にそれなりの見返りを貰って過ごしてたそうだ。自分の弟だかがギャングに借金作っちまったそうで、従うしかなかったと。まあ、あとで調べたらそれも嘘で、弟は最初から兄貴を利用するため嘘をついてた。弟こそギャングの幹部だったんだよ。
 暫くは問題なかった。女の親父と一緒に働くようになるまではな。おせっかいな親父め、報告書を調査して情報の隠ぺいを突き止めちまいやがって。こうなりゃギャング共も黙っちゃいれねえ、早速始末しようと刺客を差し向けた。男を使って、決行の日に親父が確実に家に居るように休暇をいじらせて。親父は銃も上手いってんでな。油断した隙にズドンと、やってやろうというわけだ。
 男は知らぬ存ぜぬで通そうと思ったらしいが、流石にロクデナシの弟に情をかける男だ。当日に女の家まで行って、ギャングのカス共を血祭りに。だけど、もう親父とその女房はくたばって女だけが生き残ってた。全部が遅すぎたんだな。
 罪滅ぼしのため女とくっつき、ギャングには裏切りを見逃す見返りにより危険な仕事に足を突っ込まなきゃならなくなった。そのうち弟も正体さらけ出して図に乗り出す始末。男が壊れるのに、そう時間はかからなかったぁ。
 弟と周りの腰巾着ども始末して、自分にもケリをつけた。警察が弟の家に行ったら、壁中赤黒く変色した部屋に、ロクデナシ共が豚みてえに積み上がってたんだそうだ。全身切り開かれてな……
『……最後に決着をつけたわけか』
 昼間っから胃にもたれる話を聞かされて、参っちまった俺がやっとのことでそう言った。隣で聞いてた観光客なんか、碌に手も付けてねえ料理を置いて出て行っちまうくらいでさ。お通夜みてえな空気。
――どうかしら。
 終わった筈の話に疑問符を打って、女は肘ついた手で自分の顔を、ズルリと撫でつけたんだ。なにか、皮か何か、めくるみたいに。
『……!』
思わず俺は、うなじの毛が逆立つ感覚にぶるぶる震えちまった。見ちゃならねえもの、聞いちゃいけねえもの。常々感じていた恐ろしさが、どんな意味を持ってたか、ようやっとわかった気がしたんだ。
『姐さん……その……アンタの……旦那って……』
 どんな顔。俺が最後の言葉を言えずにいると、女はがしっと自分の顔を両手で覆った。覆う、というより、しがみつく、すがりつくって方が近いか。そうとも、
 死んだ旦那に、縋り付くみたいだった。
――人間は……亡くなって死ぬわけじゃない。忘れられて死ぬ……私はそう思うのよ。だから忘れないわ、私。死ぬ時までずっと……ずっと!
 女は顔から手を放すと、穏やかな顔で手を差し出してきた。ぼうっとしてた俺は考え無しに握り返したんだが、その途端、女は笑って言ったんだ。ありがとう、ってな。
――病院の予定があってね、この声も今日で最後なのよ。嬉しかったわ、最後に女としてエスコートされるなんて。
 手を放して、女はそのまま振り返りもせずに行っちまった。一人残った俺は、取り敢えずせがれにもう一杯貰うことにしたんだ。ビールも、すっかり気が抜けてたから。

 ……とまあ、こんな処かねえ。話の大体は……お?
 おーい、坊主。テレビの音量上げてくんねえか。あとビールだ、ビール!
 おおよしよし……はぁ~。会ったってのはあの警官だよ、あのお・と・こ。
 エライいい声になりやがって、完璧に仕上がってんな。良い男っぷりだ。
 あん? おいあんちゃん、頼んだんだから一口くらい口付けろよ。冷めちまうぞ。どうしたんでえ青い顔しやがって。
 なにぃ? いらんからやる? てめえ人の金だと思って、いい加減に……
……いや待てよ……良いだろう、じゃおれが貰ってやる。
へへっ、実はどんな味がするかちょっと気になってたんだよな。ちょっとだけ。
……ああ~、コイツは……
確かに……
甘々だなぁ……


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