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僕が好きな大阪の難読地名10選
大阪に住み始めてもうすぐ10年。
生活の中で電車に乗ったり、地図を見たりしていると、気づくことがあります。
それは、大阪が難読地名の宝庫だということです。
京都も負けず劣らず難読地名が多いですが、大阪は交通網が発達していて、駅や停留所がたくさんあるので、目に触れる機会が多いのだと思います。
大阪で生活しはじめた当初は、「な、なんて読むねん、、」のオンパレード。
後に読み方を知り、今は大体読むことができますが、由来などは詳しく知りませんでした。
なので、改めてここで、個人的にお気に入りの難読地名をいくつかピックアップして、それぞれの由来をまとめてみたいと思います!
行ったことがない所もたくさんありますが、フィーリング的に好きな気持ちを大切にして選びました。
地名が好きな方もそうでない方も楽しんでもらえれば幸町(※さいわいちょう。大阪市浪速区)です!
まずは目次だけを見て読めるかな!?
●喜連瓜破
(きれうりわり)
【大阪市平野区】
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やはりなんといってもこれですね。「大阪の難読地名と言えば?」と聞かれたときの個人的1位は迷わず喜連瓜破です。
大阪に来てすぐ、その語感の良さに衝撃を受けました。なんか何回でも言いたくなるんですよね。
そのしばらく後に、実は「喜連」と「瓜破」という、2つの地名が合わさったものだったということを知ります。
あくまで「喜連瓜破」と言う名前は、大阪メトロ谷町線の駅名です。
新駅が二つの街の中間に出来る場合、お互いの街への配慮から、二つの地名を合体させるパターンはよく見られます。
大阪の地下鉄はそのパターンが非常に多く、他にも、「西中島南方」「関目成育」「太子橋今市」「千林大宮」「駒川中野」「今福鶴見」などがあります。
70~80年代以降の比較的新しく出来た駅が多く、そして何より主に住宅街。
住民同士がお互いに譲らない“駅名論争”によく発展したそうです。
(ちなみに西中島南方は1964年開業。二つの地名が合体した日本で最初の駅)
「喜連」の由来は、この地に移住した中国系渡来人「呉人」の「クレ」がなまったもの。字は「“喜”びが“連”なる」を当ててめでたくしましたね。
「瓜破」は、大化の改新があった時代(645~649年)、道昭というお坊さんが、天から落ちてきた仏僧に瓜をお供えしたところ、パカッと割れたとされる言い伝えから来ています。
「破」が「わり」ですからね。意味は何となく通じるけども。
●野江内代
(のえうちんだい)
【大阪市都島区】
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こちらもお気づきの通り、二つの地名が合わさった“合体駅名”。
城東区の野江と、都島区の内代が合わさっています。
難読度は特に高くはないですが、個人的に気に入っているのはやはりその語感。
「うちんだい」て。「ちん」て。地名に普通「ちん」て入らんて。
でもこの「ん」はめちゃめちゃ大事で、「のえうちだい」だとなんか言いにくいしリズムが悪いんですよね。
「のえうちんだい」のリズムがめっちゃ心地いい。「ちん」からステップ踏みたくなる感じ。
つ、伝わってます、、?笑
「野江」は、野原を意味する「野」と、岸を意味する「江」から成っていて、近くにある淀川と寝屋川による湿地帯に村があったことからこの名前に。
「内代」の由来は割としっかりしています。
江戸時代初期、この地は徳川氏代官の領地内でした。
「代官の領地内」→「代官の内」→「代内」→「内代」になったそうで、この一帯は「内代村」と呼ばれていました。
始めは「ウチダイ」でしたが、江戸時代の「摂津国」の文献には「ウチムダイと称す」の記述が。これが転じて今につながる「うちんだい」になったそうです。
●私市
(きさいち)
【大阪府交野市】
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交野市(「かたの」もなかなか難読地名)にある京阪交野線の終着駅です。
芸人時代、京都の祇園花月に向かう際によく京阪電車を利用していましたが、車内の路線図で発見した「私市」の文字。
「しいち?しし?いや、わたくしいちか!?」と予想するも虚しく、まさかの「きさいち」だということが判明。
その時の衝撃が今も印象に残っています。
「私市」の由来も重厚なものです。
歴史は古く、日本書紀の中に「私部(きさいべ)」の記述があります。
この地は后(きさき)、いわゆる皇后の身の回りの世話などをする役所のような「私府(きさいふ)」があり、推古天皇に献上されて以来、皇后のための皇室領になったそうです。
その一帯の中心部を「私市(きさいち)」と呼ぶようになったそう。
「きさいち」の「きさ」は、お后(きさき)の「きさ」だったんですね。
「私」という字が用いられた理由まではわかりませんでしたが、その役所が皇后の「“私”的な空間」だとしたら、納得がいきますね。
●河堀口
(こぼれぐち)
【大阪市阿倍野区】
![](https://assets.st-note.com/img/1698217821953-cDzoCBC6X3.png?width=1200)
近鉄南大阪線、終点の大阪阿部野橋駅から一駅の河堀口駅。
市内にあり、天王寺に近いものの、近鉄南大阪線はほぼ乗ったことがなかったのでその存在を知らなかった僕ですが、最初に認識したのは大阪に住み始めて数年経ってから、近鉄で奈良の吉野に桜を見に行った時だったと思います。
南大阪線は他にも難読地名がたくさん(「布忍(ぬのせ)」「土師ノ里(はじのさと)」「当麻寺(たいまでら)」「浮孔(うきあな)」など)。
珍しい駅名の中でも印象的だったのが、この「河堀口」でした。
名前に「こぼれる」入ってるやん。動詞入ってもうてるやん。
第一印象はそんな感じでした。
厳密に言うと「河堀口」という地名は住所としては存在していません。
788年に和気清麻呂が上町台地に開削した堀川のことを「河堀(こぼり)」と言い、それがなまって「こぼれ」になりました。
そしてこの地が開削工事のスタート地点だったので、「河堀口(こぼれぐち)」となったそうで、駅名はこの名前に由来しています。
「こぼれる」という言葉から液体を想像させますが、しっかりと水に関係しているところがなんとも素敵です。
●十三
(じゅうそう)
【大阪市淀川区】
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阪急の駅があり、京都に住んでいる頃から馴染みがあった地名、十三。
飲み屋がたくさんあり、庶民的な雰囲気で賑わっている十三は、梅田からも近いので知名度も高いかと思いますが、よくよく考えたら変な地名ですよね。
シンプルに「13」ですからね。地名に数字のみ。
頭の中で「じゅうそう」に変換できているから違和感がないだけで、視覚的にも漢数字のみって珍しいですよね。
だって「十四」とか変ですもんね。
「十三」の名前には諸説あります。
古代の土地の区画法である条里制において、西成の飛田を1条として、北に向かっていって13条が今の十三あたりだという説も有名ですが、最も有力と言われているのが、淀川の上流、つまり京都を起点として十三番目に置かれた船の渡し場があったという説です。
「じゅうそう」という読みの語源については不明だそうですが、もう一つの「中津に住んでいた重蔵という金持ちが、よく十三の渡しを使って遊びに行っていた」という説が、「じゅうそう」という読みに繋がっているんじゃないかと考えます。
金持ちの遊び人のおかげで今がある、と考えたらなんか面白いですね。
●杭全
(くまた)
【大阪市東住吉区】
![](https://assets.st-note.com/img/1698982214273-CvSUb6Dr4L.png?width=1200)
大阪市東住吉区の町名で、国道25号線を奈良方面に行くと「杭全」交差点があります。
最寄りの駅はJR大和路線・東部市場前駅。こちらも天王寺から一駅なので、河堀口駅は割と近いです。
僕は現地に赴いたことはないのですが、難波など市内の中心部で、「杭全」行きの大阪市営バスをよく目にします。
これを「くまた」と知った時の、「おいおい!勘弁してくれよ!」感はすごかったです。
よくよく考えると「くい」の「く」と、「まったく」の「また」だということはなんとか紐解けるのですが、「い」と「っ」抜かれたらわからんて。青天の霹靂すぎるて。
こちらも由来が諸説あります。
・何本もの川が合流している土地で、杭状に股分かれしている、もしくは九股に分かれているなどとした説。
・川の氾濫が多くそのための工事で、「杭を全て打ち終わった」という説。
・朝鮮半島の「百済(くだら)」からの渡来人がこの地に移り住んだ。「くだら」が訛って「くまた」になった説(杭全には、JR貨物の「百済駅」がある)。
などなど。渡来人がちょこちょこ出てきますね。
個人的には「杭を全て打ち終わった」が、昔話っぽくてかわいくて好きです。
杭全には杭全神社がありますが、場所はお隣の平野区にあります。初代征夷大将軍・坂上田村麻呂の息子、坂上広野が朝廷から賜った土地に創られた神社です。
「平野」の由来は、「広野」から来ているといわれています。
ちなみに坂上氏も百済系渡来人だと言われています。
●遠里小野
(おりおの)
【大阪市住吉区】
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堺市との市境でもある大和川にも近い、南海高野線・我孫子(「あびこ」もムズい)前駅周辺の町名。
大阪市の南は難読地名が多いですね。
「小野」は読めますが、「遠里」は難しい。
ただ「遠」は音読みで「おん」と読むこともあるので(「久遠(くおん)」とか)、まあめっちゃ変ではないんですね。
ただその組み合わせの奇怪さですよね。
ほぼ「オリオン」ですもんね。
あと、僕が「遠里小野」の文字を見た時に必ず思い浮かべるのは、バブルガムブラザーズ『WON'T BE LONG』(EXILEのカバーもあるよ)。
曲冒頭の、「オリオリオリオ~ゥ♪」が、めっちゃ「遠里遠里遠里小野~♪」なんですよね。共感してくれる人いないかなあ。
地名の由来は、この地が瓜の生産地で(喜連瓜破も近い)、「瓜が生まれる土地」から「瓜生野(うりうの)」となり、それが訛ったものとされています。江戸時代の文献には「宇里宇野村」の記述も。
さらに時代をさかのぼると、万葉集にすでに「遠里小野」が登場しており、「とおさとをの」と読まれています。
おそらく近世以降、「遠里小野(とおさとをの)」に「うりうの」を当てたのではないか、と言われているみたいです。
「うりうりうりう~♪」にならなくてよかったです。
●御幣島
(みてじま)
【大阪市西淀川区】
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京橋駅から尼崎駅をつなぐJR東西線の駅。尼崎市にほど近い大阪市の端っこです。
利用機会が全くと言っていいほど無いJR東西線なので、御幣島の存在を知ったのも、大阪に来てからしばらく経ってからでした。
記憶では、誰かの会話から「みてじま」の音だけを聞いたので、「美手島」みたいな字面だと勝手にイメージしていましたが、「御幣島」だと知って、この時も心の中で「うそつけぇ!」が炸裂しました。
大阪の沿岸部はかつて海だったことから、この一帯も「出来島」「姫島」「加島」など島のつく地名が多いので、「島」に関しては解決ですが、問題は「御幣」です。これはどういう意味なのでしょうか。
「御」を「み」と読むあたり、なにか天皇に関係するんじゃないかと考えましたが、調べてみるとその予想はズバリ的中。
太古の昔、神功皇后が三韓征伐で朝鮮半島から帰ってきた際、この地にある住吉神社にお供え物をし、旅のお礼や国の安泰を願いました。
神様への捧げ物であるお供え物の総称を「御幣(みてぐら)」と言います。
「御手座」の意味もある「みてぐら」ですが、貴重な品という意味の「幣」に、天皇に対する尊称の「御」が合わさって「御幣」なんですね。
「幣」は貨幣や紙幣など、お金も意味しますもんね。貴重です。
言い伝えが神話レベルにまで達するとは思いませんでした。由緒えぐい。
●立売堀
(いたちぼり)
【大阪市西区】
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個人的にここは近所にあるので、一番馴染みがあります。
新町や阿波座といった、落ち着いた住宅街にある町名ですが、まあおそらくほとんどの方が「たてうりぼり」「たちうりぼり」と読むことでしょう。
間違いではありますが、そのアプローチは割と間違えてはいません。
大坂夏の陣・冬の陣で伊達氏はこの地に堀を作り、陣地を構えました。
その堀が掘り進められ川になると、「伊達氏が作った堀」から「伊達堀(だてぼり)」と呼ばれることに。
その後、「いたちぼり」と呼ばれるようになりましたが、江戸時代になると、幕府の許可の元でこの地に材木市場が開設されます。
材木商たちは客に見えやすいように材木を立てかけて販売、これを「立ち売り」と言いました。
そこから、「いたち」の音に「立売」の文字を当てた説が有力だそうです。
「たち」は一緒やからいけるか!ってなったんでしょうね。粋というかノリがいいというか。
●中百舌鳥
(なかもず)
【大阪府堺市】
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大阪メトロ御堂筋線に乗ったことがある人は誰もが見た事のある、終点「なかもず」。
大阪市を出て堺市にあるこの地名ですが、ひらがな表記は大阪メトロが採用している駅名だけのもので、正式名称は「中百舌鳥」。
ちなみに南海高野線と泉北高速鉄道の駅名表記は「中百舌鳥」駅です。
心地のいい歯がゆさ。「百舌鳥」で「もず」って。
実際の文字数と、読み仮名の文字数が合ってないんですよね。
文字溢れてもうてるんですよ。文字のキャパオーバーなんですよ。
「文字キャパオーバー現象」は「伊右衛門(いえもん)」とかもですよね。
珍しい苗字である「七五三掛(しめかけ)」とかも。「七五三」で「しめ」って。
日本語って面白いですね。
地名の由来は日本書紀の中にあります。
仁徳天皇が陵墓を作るために工事をしていたところ、突然野原から一頭の鹿が飛び出してきて、そのまま倒れこんで死にました。その鹿の耳の中から、モズが飛び去って行った、、という逸話からこの名が付きました。若干グロいですが、これも由緒ある地名ですね。
そんな日本最大の前方後円墳でも有名な仁徳天皇陵の最寄りの駅は、JR阪和線「百舌鳥」駅。
中百舌鳥以外にも「百舌鳥」がついた地名はこの周辺にたくさんあります。
まとめ
というわけで、以上が僕が好きな大阪の難読地名10選でした。
実際に足を運んだことのない所ばかりですが、普段大阪に住んでいて目に入ったり、知ったりする中で、特に印象的だった地名を選びました。
調べながら思ったことは、由来が持つ歴史がどれもすごく古いということ。
飛鳥時代や奈良時代に作られた、日本書紀や万葉集などに記録されている地名が多いことに驚きました。
「歴史のまち」という印象は京都の方がありますが、平安京に都が遷るまでの約150年間は、「難波宮(なにわのみや)」が現在の大阪にあり、まさに日本の中心は大阪だったのです。
こういうところからも、実は大阪の方が京都よりも長い歴史を持つといっても過言ではないですし、現代では生まれそうにもない地名がたくさん根付いているのだと思います。
大阪が難読地名の宝庫である理由は、大阪という街自体が持つ歴史の長さによるものだったんですね。
今回は自分の生活圏である大阪市内や、その周辺の地名を中心にご紹介しました。
大阪府下にはまだまだ難読地名がたくさんあるので、他にも調べてみたいですし、京都や東京など、他の都道府県の難読地名の由来もまとめてみたいですね。
その時はまた読んでください。
それでは、また!