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運命の言葉をくれた監督へ

「2」なんて背番号、はじめはつけたくなかった。

外野が好き

レフト、センター、ライト。外野だったらどこでも好き。グラウンドのいちばん後ろで、試合全体の動きをみるのが好きだ。

ウインドミルでピッチャーが投げ、吸い込まれるようにキャッチャーのミットに入っていく。バッターが空振りしても、「カキーン」といい音を立てて大きく弧を描きながら飛んでくのも、みていて気持ちがいい。(やばい、打たれた!とは思う)

小学3年生から4年生で外野すべてをコンプリートした。わたしは「外野1周の旅ができた!」と心を躍らせた。

内野のあいだを抜けた、野球よりも大きいボール。「ランナーを絶対にホームへ返さない」と闘志を燃やし、しっかりと捕球する。

エースと呼ばれるピッチャー、内野の要であるショート。かっこいいけど、やりたいとは思わなかった。
後ろに誰もいない、自分がエラーすればたちまち相手の得点になるスリルを味わいながら、広いグラウンドを守りたかった。

 

先輩になるということ

そんな願望は、翌年に早くも崩れ落ちた。
先輩たちが卒団し、5年生になった春。わたしはファーストに任命された。

頼もしい先輩がいなくなり、低学年の新入部員がやってきた。ほとんどのチームは、まず内野を強化する。バッテリーを育て、仮に打たれたとしても内野で止める。そうすればアウトにできるし、ランナーは先に進めない。経験者は内野にならざるを得なかった。

こうしてわたしは、後輩に外野を譲った。そしてみんなからの送球を受けるファーストとして、練習に勤しんだ。

 

監督の一声

それなのに、ファーストとしての試合出場はほとんどなかった。なかったというより、なくなった。

当時の先輩(6年生)はふたり。そのふたりがバッテリーを組んでいた。
家も近くて仲が良く、最高学年になったらバッテリーとして試合に出ようと前から約束していたらしい。

キャッチャーの先輩は、ボールを怖がってしまう人だった。
顔に当たるのが怖い。身体に当たるのが怖い。それは捕手として防具をつけても変わらなかった。

相棒がワンバウンドしたボールを投げたとき、止めたい気持ちよりも恐怖が勝るのだろう。ほとんどを後ろへそらしてしまう。ランナーは走り放題。相手チームに追加点が入る。

それが連続して起こったとき、監督の逆鱗に触れた。
突然タイムをかけ、わたしを指さす。そして主審に向かって、こう宣告した。

「キャッチャーとファーストを交代」

え?

わたしはもちろん、チーム全員が困惑した。
なんていったってわたしは、練習を含め一度もキャッチャーをしたことがなかった。

 

運命の言葉

されるがままに防具をつけられ、「ピッチャーの球を受けていればいいから」と言われた。

そんなわけあるかい。サインを出すとか、みんなに守備位置を指示するとか、キャッチャーってしなくちゃいけないことがもっとあるでしょ。そう思ったけどツッコミを入れる人がおらず、心の中でつぶやいて終わった。

そこから試合の記憶がない。守備も打席も、勝敗すら覚えていない。たぶん負けたと思う。

試合後、わたしと交代させられた先輩は泣いていた。なにも声をかけられずにいると、監督に呼び出された。

「今日からお前はキャッチャーだ」

わたしはその一言で、外野とは真反対のキャッチャーに就任することに。
監督から少し離れたところで、先輩はまだ泣いていた。

 

なぜこんなことに

うれしくなかった。わたしは外野がよかったのに。いちばん後ろで、グラウンドを一望できる場所で、ボールを追いかけるのが好きだったのに。

背番号も「2」になった。これといった感情は浮かばない。むしろキャッチャーは体格がいい人が就く印象があり、女としてそんなイメージを持たれるのは屈辱的だった(悲しいことにわたしは体格がよく、それをとても気にしていた)。

そう思っていたけど、クソ真面目なわたしは指名された以上やらねばならないという責任も感じていた。まぁ頑張るしかないか、くらいの心意気だったけれども。

練習はきつかった。防具をつけるのに時間はかかるし、歩きにくいし、なにより暑い。そして1球受けるごとに「立つ」「座る」の動作を繰り返すので、思いのほか疲れる。

みんながバッティング練習をしているなか、わたしだけ個別でキャッチングの特訓をすることが増えた。わたしも外野にまで飛ばすくらいの、ホームラン級の球を打ちたいのに。
なんでわたしばかり、こんなことさせられているんだろう。

 

キャッチャーの魅力

だがキャッチャーを経験するにつれて、おもしろい発見があった。

後ろに誰もいない、自分がエラーすればたちまち相手の得点になるスリルを味わいながら」外野を守りたかったのだが、それはキャッチャーも同じだった。身体のどこにでもいいから当てて、ボールを前に落とす。後ろにそらせば、相手はすかさずホームを狙ってくる。

そしてバッテリーのみ、常にボールに触れる。内野と外野はボールが飛んでこなければその回は終わりだが、投手と捕手は毎回ボールを触る。キャッチャーに関しては、毎回ボールがミット目がけて飛んでくる。スリルでいったらキャッチャーのほうが何倍もあった。

もうひとつ。キャッチャーだけが、試合中に仲間全員の顔をみることができる。サインを出せばピッチャーの反応がある。内野と外野はそのサイン(コース)に合わせて動く。自分のサインひとつで、みんなをコントロールできるのはおもしろかった。

ほかにも、ミスを引きずって顔が暗くなっていたり、不調なのかどこかを押さえていたりする選手に気づくことができた。リードしているからか、違うところに意識が向いている選手も……。キャッチャーは、仲間の変化にいち早く気づくことができるポジションなのだと知った。

ミットを構えたところにドンピシャでボールがくること、そのボールをバッターが空振りすること、盗塁を狙うランナーをさしたこと、マウンドに集まって作戦を共有したこと。

大変なことも多く、悔しい思いもたくさんしたけれど、それ以上に達成感があった。次第におもしろいポジションだなと思えるようになった。
ホームからみる試合展開も、なかなかいいじゃないか。


なんとしてでも出場する意地

中学でもそのまま続け、2年の夏からは正捕手として毎試合出場した。

とある練習試合でのできごと。ホームにつっこんできた選手との接触で、左親指の付け根を痛めた。ボールを受けるたびに激痛が走る。だけどメンバーにも監督にもいわず、ひたすら我慢した。

翌日病院へ行くと、重度のねんざと診断された。どうやら骨折寸前だったらしい。

「3週間はプレーを控えるように」とドクターストップを申告されたが、その3週間後が最後の県大会だった。母親といっしょに「それは無理」と必死にごねた。(真似しないでね!)

最終的に医者が根負けし、1週間に縮めてもらった。そのくらいこの座を譲りたくないと思っていたし、キャッチャーであることが誇りだった。


監督へ

最後は県で3位だった。

幸運なことに、県選抜選手としてもプレーできた。地方大会と全国大会の2回。どちらも補欠だったが、全国大会では背番号「2」をつけた。

あんなにつけたくなかった背番号、守りたくなかった捕手というポジション。今となってはいちばん好きなポジションだ。

わたしに運命の言葉をくれた監督。そういえばわたしがこのスポーツを始めたのも、監督のお誘いがきっかけだった。お礼を言わなくちゃ。

わたしをソフトボールに誘ってくれて、ありがとう。
わたしをキャッチャーにしてくれて、ありがとう。

 

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