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会話に入る(対人恐怖症)

なんとなく楽しい時は躁のサインと医者に言われて(じゃあ私は楽しんではいけないのか…と悲しくなるが)たぶんそういうターンに片足を突っ込んでいる。躁だけに。
いつも低空飛行でだいたい死にたいと思っているが、ここのところ毎日が楽しい。このnoteを書いているときも少し楽しい。
手帳につけたマークも先週から〇か◎(ウィークリー手帳に体調のサインをつけている)である。
楽しいといえどもどこかで空虚さは抱いているが(いつかこの感情は壊れるんだとか、孤独だとか)、この感覚はもう自分に染み付いてなくならないものなんだと思う。

先日のnoteで、カフェで店主や客の会話に割って入ったことを書いた。
一般人には何気ない行動でも、私にとっては石鎚山(西日本最高峰)を登るくらいの行動なのである。石鎚山は言い過ぎか。金剛山くらいにしとこ。高さが800メートルくらい下がってしまった。

経緯を書くと、店主ひとりの時に私が突入した。
間借りのとても小さいお店である。客が入るスペースは4畳くらいの大きさだったと思う。
お茶のコースを頼み、相槌を打ちながら説明を聞きつつ、気になるところを質問したりして私なりに話を広げていた。対人恐怖を克服するためというより、単純に知識について深掘りしたかったという理由が大きい。
そうこうするうちに店主の知人繋がりとおぼしき別の客(A)が入ってきた。まあ当然のごとく店主とAの内輪の話になるわけである。
けれども、店主がお茶をサーブするたびにうんちくを私に披露してくれたり、私とA両方に話しかけてくれるので、置いていかれた気持ちには全くもってならなかった。
話を盗み聞く限り、店主とAの共通の知人は、私が気になるジャンルのお店をやっているらしい。タイミングを見計らい、「その店は、~の店(店のジャンル)ですか」と聞いてみた。
おかげで店の情報を聞き出せたうえに、会話のラリーが続いたので楽しかった。今度その店に行ってみよう。お茶に関しても面白い情報が得られたので、行ってよかった。

この会話に入ってみるという行動が私にはとても苦手で、かなり緊張する。普段の私ならできない。
なぜなら、割って入ったあとの反応を想像してしまうからだ。空気が悪くなるのではないか、おかしいと思われるのではないか等、最悪の状況を予測してしまう。(過去に話しかけて空気をおかしくしてしまった、という経験がある。)
結局、気になるやりとりが展開されていようが話しかけないほうが安全という判断に至り、黙っておくのである。ある種の自己防衛。

ベンゾジアゼピン系の安定剤を飲んでない状態でこの行動ができた私に、とても驚いた。
店主の雰囲気や態度が優しかったし、一応客という立場ではあるので、安全圏と思えたから実行できたのかもしれないし、まあ躁までは行かないまでにしろ、明るい気持ちが続いていたからかもしれない。
まぐれでもノー準備で金剛山を登頂できたので、ひとつ成功体験を積めてよかった。


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