それでも感謝して相手を超えていく
ずっと怒っていたことがあって、やっぱりそういうことって、手を変え品を変え登場人物を変え、何度も似たような出来事が繰り返される。
これまでは、怒りを握りしめたままだったこともあり、自分の立場からの見方、「私は怒っている。」というレッテルを貼った出来事としてしかそれを認識してこなかった。
では、なぜこれほど似たような出来事が繰り返されるのか?
何かそこから吸収しないといけないことがあるのではないか?
そんな視点でもう一度その出来事やそれに似た出来事を思い返したとき、当時の私の怒りはもっとも。でも、問題は相手ではなく、私がその出来事をどう乗り越えるかなんじゃないか?そういう風に感じた。
ただ「私は怒っている。」という見方でその出来事を見るのではなく、当時、相手はどうしてそんな行動を取ったのか?そして、それは相手にとってどういった意味を持っていたか、もしくは何も意味はなかったのではないか?
一つ一つを思い返し、一つ一つの怒りを感じ、解放していく。
私にとっては思い返したくないぐらい、レッテルを貼って蓋をして、中身を掘り返さないようにしてきたほどの思い出。
怒りや悔しさ、悲しみ、無力さ、そんなものを一つ一つ見つめる作業。
ここまでの時が経つと、これはもう相手がどうではなく、私の問題。
そしてその出来事に怒りを感じなくなったらきっと、私はその出来事を乗り越えられたということになるのだと思う。
そうすればもう、相手に対する感情も、その出来事に対するわだかまりも解け、おそらくそれは私の糧になる。
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