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文学はなにをやっているのか:『悲劇の誕生』を手がかりに

会社の飲み会で

先週、会社の飲み会があった。私が働いているのは、従業員三十名程度の特許事務所である。うちの事務所では、日常的な会話というものはほとんどなく、飲み会も年に一度あるかないかというくらいだ。

就活の面接でしゃべって以来、私が趣味で小説を書いていることは知られているため、この日もその話題になった(なぜ面接で話したかといえば、フリーター期間の理由づけのためだ)。となりに座る所長が、私にこんなことを言った。

「文学ってなんであんな書き方をするの? ふつうの小説とちがうじゃん。わざとわかりづらく書いてるのかな? 村上春樹を読んだことあるけど、意味がよくわからなかった」

私はこんなふうに答えた。作家は、わざとわかりづらく書いているわけではない。なにかについて純粋に考えたときに、ああいうものができあがったというだけだ。

私の答えにはだれもピンときていないようすで、話は流れてしまった。だがたしかに、あまり当を得たものではなかったとおもう。というのもこの返答はとてもオープンなものになっていて、1)純粋に考えるとはなにか? 2)純粋に考えるとなぜあんなわかりづらい小説になるのか? 3)そもそもそんなことをするモチベーションはなにか? といったような疑問の余地がおおいにある。とくに「純粋に考える」というのはふつう、「文学」とは正反対の、意味がはっきりした論理的に理解できるものを指すだろう。せめて、「まさにそれこそ長年議論されている大きな哲学的問いなんです」とでも言ったほうがマシだったかもしれない。

『悲劇の誕生』の「小説の誕生」

さてあらためて、所長の問いについて考えてみたい。そこには、「文学とはどんな現象か」という問いと、「文学の価値(目的)とはなにか」という問いがまざっている。一般に文芸論において、このふたつの観点は互いに関係しあいながら論じられるが、ここでは、後者を捨象して前者のみにフォーカスしたい。つまり、「なんのために」ということはおいておき、「そもそも文学はなにをやっているのか」ということだけを考える。

長い引用になるが、ニーチェは「小説」の誕生について、ずばりつぎのように述べている。

悲劇詩人たりし若き日のプラトンは、ソクラテスの門人たり得んがために、まず手始めにその作品を焼き捨てるに至った。[……]彼は、いかにも悲劇と芸術一般を断罪することにかけては彼の師たるソクラテスの素朴な犬儒主義の後塵を拝するものではなかったが、それにもかかわらず、全き芸術的な必然性から一つの芸術様式を創造せざるを得なかったのである。[……]プラトンが以前の芸術にたいして加えざるを得なかった主たる非難――以前の芸術は幻像の模倣であり、従って経験的世界よりもさらに低劣な領域にすら属するものであるという非難――は、特にこの新たな芸術作品に向けられてはならなかった。果たせるかなわれわれの見るプラトンは、現実を超えて、かの似而非現実の根底に潜む理念を描かんと努力しているのである。しかしこれによってプラトンは、詩人としての彼が常に故郷としていた処へ、ソフォクレスや以前の全芸術がそこからかの非難にたいして厳かに抗議を発していたまさにその処へ、一つの迂路を経て到達した。[……]事実プラトンは全後世に一つの新しい芸術様式の模範を示した、すなわち「小説(ロマーン)」の模範である。

フリードリッヒ・ニーチェ『ニーチェ全集2 悲劇の誕生』、「音楽の精神からの悲劇の誕生(1870年―1871年)」、塩屋竹男訳、ちくま学芸文庫、1993年、119頁

つまりプラトンは、悲劇(=芸術)に批判的なソクラテスの思想に感化され悲劇詩人の道を捨てたが、そのソクラテス的な制約ゆえに、プラトンの芸術への欲望は「対話篇」という、実在の人物同士の架空の対話という新しい芸術形式へ結実した。それが「小説」である。

本書の内容に即していえば、プラトンがもともともっている芸術への欲望というのは「ディオニュソス的なもの」に対応し、真理や意識を重視し芸術をさげすむソクラテスの態度は「アポロン的なもの」に対応している。アポロンとディオニュソスはギリシャ神話の神であり、ニーチェは「アポロン的なもの」と「ディオニュソス的なもの」を、芸術創作へ向かう二種類の「衝動」だと定義している。「アポロン的なもの」は新しい秩序を作ろうとし、「ディオニュソス的なもの」は既成の秩序を壊そうとする。

ついでに本書の全体を要約しておくと、つぎのようになる。
1)元来ギリシアの生はディオニュソス的だった
2)アイスキュロスやソフォクレスの悲劇では、アポロン的なものとディオニュソス的なものがうまく結合していた
3)エウリピデスの悲劇は、世界を体験し味わうのではなく世界を認識し理解するだけのソクラテスを導入してしまった
4)ワーグナーの現代音楽はディオニュソス的な芸術を復興した

なお「ディオニュソス的なもの」は、ニーチェが生涯重視したモチーフであり、「生の肯定」や「力への意志」と言葉をかえてくりかえされる。それは『悲劇の誕生』では「アポロン的なもの=ソクラテス的なもの」と対立するが、『ツァラトゥストラ』では「キリスト教的ニヒリズム」と対立し、ふつうの意味での「神」とはことなる、「敬虔な無神論者」が信じるほんとうの〈神〉と重なってくる。有名な「神は死んだ」というセリフは、キリスト教的ニヒリズムが〈神〉を殺したという意味だ。

ところで、さきほどの引用とおなじ章で、ニーチェが「ディオニュソス的なものはいまや自然主義的な激情へ翻訳されてしまった」と嘆いているのを読んだとき、私は、「ディオニュソス的なもの」というのは、私がロラン・バルト論で定義した「マイ言語」に似ているな、とおもった。それはなんだったかというと、文学史においてはまず、人びとが苦しんで闘う長い歳月を描くことを重視する「苦闘史のエクリチュール」という伝統的なスタンスがあり、そこから離れるために、日常的な思考のあり方や言語表現と共鳴しようとする「マイ言語のエクリチュール」というスタンスが発達した、と私は分析したのだった。「マイ言語」とは、現に自分がおこなっている思考と言葉への原理主義的な依存であり、「ディオニュソス的なもの」もまた、内から湧き上がる未規定の衝動へ身を任せることだ。

文学はなにをやっているのか

話をもどそう。

プラトンがはじめた「小説」とは、プラトンのとどまることのないディオニュソス的な衝動に、ソクラテス的な制約がくわわって生まれたのだった。すると小説、文学、あるいは悲劇や芸術と呼ばれるそれは、「無秩序へ傾斜する人間の本能的な衝動に、必要最小限の秩序や社会性を与えたもの」といえるだろう。

プラトン自身が、じっさいにだれかとおこなう生の対話こそを重んじテクストの価値をさげすんだように、そもそも「文学」に目的というものは存在しなかった。

ではどうしてソクラテス的なもの(アポロン的なもの)が必要なのか。内的な衝動こそを重んじ、現実のすべてを肯定し、真の道徳はすべからく反社会的なものだと説いたニーチェにとって、ソクラテス的なもの、みなが理解できる言語で表現された「文学」など、まったき不要物ではないのか。

ここで考慮すべきは、ニーチェ思想には、彼が多大な影響を受けたショーペンハウアー同様に、「人間=苦悩の海で溺れる存在」という前提、人間は苦悩から逃れようともがきつづける存在だという強力な大前提があることだろう。それこそが、オリュンポス神族という既存の形式を破壊しようとするディオニュソス神の衝動であった。

それは裏を返せば、どんなにディオニュソス的に特化したところで、決して苦悩はなくならないということでもある。私は自分が小説を書くさい、それを実感する。目につく既成のものをすべて取り去って、「マイ言語」という自分だけが理解できるディオニュソス的な表現にのみ従いたいという気持ちがベースとしてはあるのだが、それでは前に進めなくなる段階がかならずやってくるのだ。他者に理解してもらうため既存の文体を導入することは、むしろよい緊張感を与えてくれる。「作品」にではなく、「私」にである。

その「他者性」は思考を拡張してくれる。私が最近こうしてnoteに投稿したり、読書記録をツイートするようになったのも、それが関係している。承認欲求の価値というのもそういうものではないだろうか。徹底的に無秩序で孤独なディオニュソス的衝動においてこそ、真に人間的な時間が流れるが、そこに他者が理解できる余地をわざわざミックスすること、それをニーチェは「小説」と読んだのではないか。

以上をふまえ、来年か再来年におこなわれる飲み会では、所長にこう答えようとおもう。「文学がなにをやっているかというと、苦悩から逃れるため無秩序を求める衝動に、必要最小限の他者性をくわえているんです」と。



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