「ないものは創ろう」って思ったこと、ありますか?それは、なんですか?
hello! ユメーカーアッコ★です。
32歳で遅延型食物アレルギーになったわたしが、
まえより健康になった10年間のはなし
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珍しいタイプの遅延型アレルギーに悩んだり苦労しましたが、
今は仲良くお付き合いしています。逆境を活力に!変えることもできました。
なかなか出逢わないけれど、私と同じように、
普通のアレルギー除去食が食べられず苦労している患者の方、
困っている方が日本にも、世界にもおられると思います。
またその症状を必死で改善しようと日々奮闘して下さっている
家族・医師・研究者の方もおられます。
わたしは、アレルギーになって多くの出逢いがあり、
たくさんの方に助けていただきました。
今度は、わたしの番!です。
そして、気づいたんです!わたしが食べられてる食事って、
小さな子や、健康を意識している方にもぴったり★
皆さんのヒントになれば嬉しすぎます。
【その方々のココロに届くnoteを。元気な毎日を届けたい】。メラメラと執筆中。
今日は、ないものは創ろう、って思ったことはありますか?のはなし。
あれば、それはなんですか?
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わたしは、ごはんのおとも。
いろいろありますが、アレルギーになり、
一番いるなと思ったのは
ご飯のおとも。
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白飯くらいしか食べられない時期もあったので、
そのときは特に
いかにご飯をおいしく食べるかを
常に模索していましたね 。
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わたしは、20代の頃、
ないものは創ればいいという精神が自分のモットー
でもあるな、って気がつきました。
小さな頃から、なかったら創ればいいな、と思っていた気がします。
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父は、私が子供のころから、
その当時なかった地域のおしらせ新聞のようなものをつくっていました。
近所のおじいちゃんは、ないものをどんどん製品にしていました。
初めて就職した会社の社長は、当時なかった日本人のためのバイリンガルインターナショナルスクールを我が子のために創っていました。
資格取得で編入した大学の教授は、自分に合う筆箱がないと、すてきなものを手作りでつくっていました。
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そう、私の周りには、ものづくりというか、
ないものを自然に創ってる人が多かったのです。
だから、それが普通になっていました。
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アレルギーになって、ないものはつくればいいのだ
その想いはより、強まりました。
料理はもちろん、環境も。
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アレルギーの料理は最初は、母におそわりました。
ラッキーなことに、母は料理が好きで得意でした。
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ハンバーグに、グラタン、スープ、お菓子
今でもいろいろ作ってくれます。
新作も次々。
そのおかげで栄養は◎です。
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こうして、自分でもアレルギーのわたしが
食べられるものを作っている中で、特に力を入れているのが
ふりかけや佃煮。
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日々、研究しています。
いつかふりかけレシピ本を出せたらいいな、なんて夢見ています。
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先日言ったように、趣味はふりかけ探し。
もう一つはふりかけ作り、です。
皆さん、添加物のないふりかけ、つくだに
こんなのつくってるよーがあれば、
ぜひ教えてください★
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
夢kerAkko☆(ユメーカーアッコ)
♦インスタで、私が食べているもの・使っているものを紹介しています。アレルギーフリーの食品・低アレルギーメニューがほとんど食べられないわたしの常備おやつ・非常食などです。添加物なしなども多いので、ぜひご覧ください。