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本を出す!
みなさんは本を出版出版してみたいと思った事はありますか?
私は小さなころから本とともに生きてきました。
周りになかなか精神で繋がれる大人や友達が見つからず、図書館に通いました。
中学から英語の楽しさに目覚め、海外に行ってみたいという思いから、言葉を習得しようと外国語学部を受験しました。
しかし、経済的な事情から受かった大学の中から国公立大学に入学することになりました。
私の母校はとても素晴らしい大学でしたので、すぐに入学したことを運命だと感じることができました。
そこで学べること、体験できることは私ができる限り全てチャレンジし、大学院進学、留学、教員への道へと繋げることができました。
思い切って大阪という地を目指したこと、実家は特に裕福でもなく、大学出の親戚もおらず、私のことを誰も知らない大学に行くということ、親戚も友人もいない地に4年間暮らすことは、私にとっては大海原に出航するようなものでした。
私が入ったのは英語学科ではなく、英文学科でした。選択する授業の担当の先生、ゼミの先生次第では、言語学、文学、ジェンダー、フランス語、ドイツ語、宗教学を学べるという素晴らしい大学でした。
京大、阪大、大阪外大の出身者を中心に先生方がおられ、同志社出身のアメリカ文学の先生に最終的にゼミの指導教授をお願いすることになりました。
やっぱり物語、小説が好きだったんです。アメリカへの憧れもありました。
その大学の図書館で、4年生の1年間、院試のために同級生よりも時間がたくさんあり、古典を中心に映画も観るようになりました。最高で年間150本観ていたこともあります。
そのような環境を経て、今度6冊目の共著が出版されます。
2024年4月には、耳ビジでの出会いから、一般書の企画書を書くことにチャレンジし、出版コンペにエントリーし、最終的に発表の機会を得て、複数の出版社さんに手を挙げていたくことができました。
悲しい傾向ではありますが、本を出す際に、その人の経歴、業績、メディア露出に加え、最近ではSNSでどれだけのフォロワーがいるか繋がりがあるか、ファンがいるかの数を求められるようになりました。
私は学会ではなんとか頑張って活動していますが、一般書の分野では無名です。一般書はもう少し後か老後の仕事と考えていたところもあったのです。だから、これまで、誰にもそのような夢を語った事はありません。
耳ビジの仲間とともに切磋琢磨し、励まし合う中で、夢を言語化し、周りに宣言することが少しずつできるようになりました。
今の私はやりたいことをやりたいと言えて、会いたい人に会いたいと言えますが、長いことそのような人間ではありませんでした。
実はこの出版コンペのこともあまり人に話していませんでした。
なぜFacebookで友達を増やすのですか?という質問を受けましたので、こちらに長文で自分の思いをまとめたく、書かせていただきました。
私は人生折り返しと思った年に、人のことを気にしすぎる事はやめました。正しい間違っている、善悪ではなくて、好き嫌いなのではないかということが増えました。人は傷つけない、自然や社会を攻撃しない、それ以外は全部良い。
私の言葉や行動を制すれば、みんなに好かれるかもしれない。
でも、私のことを今支えてくれている、強い結びつきの人たちとは出会えていなかったかもしれない。
私との出会いを良い、楽しいと思う人が集まってくれれば良い。合わないなという人は、去ってくれても全然未練はありません。
私は頑固で、不器用な人間です。
目の前のあらゆることに傷つき、他人にも共感を寄せやすく、仕事も頑張りすぎた時期を経て、体の不調と心の不調を抱えながらも、やっと上向きになってきたと感じています。
だから私は大丈夫です。本も何年かかっても良いものを書いて出せるように歩き続け、書き続けていきます。
写真は母校の跡地です。今は統合を重ねて別のキャンパスに移りました。
日本一有名な大きな古墳のお隣にありますが、活用法が決まっていないのか、更地になっています。住宅地になっても、この道路は残って公園や散歩の道になると良いなあ。