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身体的でアート的な過去のつぶやきを振り返る

過去のブログに、その当時twitterで呟いていたことをピックアップしていた。最もヨガを熱心にやっていたときだったから、ひとつひとつのつぶやきに身体的なものを感じる。

当時、取り組んだこと、そこから感じたこと、考えたことが、今の活動のベースになっている。もしくは拠り所になっている。ひとつひとつを自分で確かめていた、そんな時期だった

改めて、身体性を磨くことって、「確実に」創造性を回復するひとつの方法だと思う。また、ヨガをやりまくる生活をしたい。

※ちなみに、冒頭の私が描いた水彩画。妻と行ったスリランカにある、著名建築家バワが手がけたホテル「ヘリタンス・カンダラマ」。自然と一体となった素晴らしいホテルだった。

2011年11月

26日:今日、波待ちをしながら、ふと見上げると空は青く、白い雲はくっきりとしていた。ときどき顔を出す太陽は寒くなってきた海の上を温めてくれた。クジラみたいなパドルを見せる妻は誰よりも先に波を掴んだ。既に満たされていることに気付かされる海の上の出来事。
22日:「ねぇ、遊んで暮らすにはどうすればいいの?」「今日も明日もあさっても遊び続ければ、遊んで暮らすことになるんじゃない?」(「らしくあるため憲法 第4条:方法論に逃げずにいきなり表現する」より)
21日:ぼくの、みんなの、身体、心、表現、世界の見方、色んなものが少しずつ開かれていく瞬間に立ち会ったり、変化のプロセスに寄り添ったりすることは、本当に幸せなことだ。
18日:同じポーズを違う方法で行うことは、あるものに対する見方がいくつもあることや、違うと思っていたことが実は同じだということを示してくれる。
15日:ことし、確かに身体に刻まれたこと、目を閉じると脳裏に浮かぶ旅、慎重さと思い切りの間で表現したこと、そして、みんなと丁寧に共有したこと。あと1ヶ月とちょっと。
13日:成長することや、拡大することは自然なこと。
6日:ヨガ、描く、書道、オーガニック野菜、サーフィン、モンテッソーリ、禅、ハイポニカ。「Naked ありのままにきづく」というイベント。きっと、全部おなじことをやっている。
4日:毎朝のヨガの練習。サーフィン、絵を描き、安全な場所。ただただ言葉を並べて、鼻の奥を通る空気。足の裏とマット、足の指の間と砂浜の砂。しとしと雨の日は軒下で片手にコーヒー。テラスのイスから雨がしたたる。肌寒い日は窓を開けて、ブランケットにくるまろう。もこもこのやつ。雨が上がったら、チャイムの音とともだちの声。

2011年10月

31日:健康的で創造的。身体性と創造性。
15日:修習と離欲。吸う息と吐く息。寄せる波と返す波。こんにちはとさようなら。いろんなふたつが、今になる。いろんなふたつが、今にある。
14日:ただただ言葉を並べたい、ありのままを絵の具で乗せたい、本当のことを声にしたい、息の音に耳を澄ませたい、足の裏で地面を感じたい、美味しいものを舌で転がしたい、ありったけのやさしさで今に触れたい。
13日:(物語)
今日、会社から帰ってくる電車で初老のじいさんがぼくに話しかけてきた。
「大切なものを大切にしているときの心の温かさっていったら、まるで自分が世界に溶け込んじまう感じだ。世界はこんなに温かかったのかって。まぁ、お前にはわかるまい。」
おじいさんは続けた。
「でも、そんなことはめったに起きない。奇跡が2つも必要なんだ。ひとつは、大切なことが何なのかに気付く奇跡。たいてい、そこでつまづいちまう。もうひとつは、大切なもんをしっかりと掴み続ける奇跡さ。わかるか?」
フィクション。

2011年9月

28日:「あなた、知ってる?あなたの目の前の世界のどこにも、もともと目的なんてないの。ましてや、理由もないのよ。」って、耳元で囁かれたら、ドキドキが止まらない。
27日:頭で考えるだけでなく、身体で感じて、今ここに根差すために、今ここを離れて、方法論に逃げるのではなく、いきなり表現する。そして、それらを開かれた気持ちで誰かと共有できたら、それを幸せと呼ぼう。body, journey, art and share.
23日:健康的で創造的。

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