サラザールの一日
アントニオ・サラザールは独裁者である。
いや、「であった」と言うべきか。
彼がハンモックで昼寝の途中、落下して頭を打ち、意識不明の間に、世界は、ポルトガルは変わってしまったのである。
腹心のカエターノに政権が移り、サラザールは目覚めるまでの二か月間の記憶とともに、権力を喪失した。
一九六八年の事であった。サラザールこの時、七九歳。
側近は、その事実がこの元独裁者には衝撃的すぎると判断した。
幸いなことに、体調が思わしくないので、彼が官邸の外に出る事は無い。その間、サラザールの偽の新聞を書き、読ませ、そして何の意味もない命令書を書かせ、彼に世界は何も変わっていないと思わせていた。
偽りの世界で生きる衰弱した老人。権力の頂点に立ち、秘密警察を操り国民を弾圧した独裁者の姿はもうない。
私がその偽新聞作成の仕事募集を知ったのは、サラザールが哀れなる囚われの鳥として目覚める一月前の事であった。
私は元新聞記者である。記事には自信がある。
簡単な仕事に思えた。
ポルトガルは今日も平和であり、国民はサラザールを愛していると、情緒と説得力たっぷりに書けばよいのだ。
技術的には問題ない。
だが、私の経歴を知れば、心情的に問題はないのか、と人は思うだろう。
サラザール政権の真実を暴くために働いた多くの仲間が、刑務所送りとなった。
私自身もそうなったのだ。
つまりは一度サラザールに自由を奪われ、囚われた身である。
その私が、どうしてサラザールの心の平穏のために働かなければならないのか。人によっては不思議に思う事だろう。
しかし、私にとってこれはまたとない好機でもあったのだ。
今度は私があの無慈悲な独裁者を囚える番なのだ。
しかもそれは、サラザールが恐れた筆の力を用いてだ。
私は左派の記者であったという身分を隠し、うまく偽新聞記者の座に就く事が出来た。
年齢もサラザールと同じであった事も幸いした。
同世代ならば、彼の喜びそうなネタを考えつけると思われたのだろう。
サラザールは衰弱していたが、思ったよりもしっかりとしていた。
それがまた逆に哀れであった。
もはや、羽を伸ばす事も飛び立つことも出来ない。
せいぜい、閉じた虚構の世界で生活するのが許される程度の体力なのである。
偽の命令書を書き、自分に権力があり、国を動かしていると信じて疑わなかった。
まさか、眠っている間に世界が反転したとは全く疑っていない様子だった。
私は彼のために新聞を書いた。
とにかくポルトガル国民は、サラザールの事を愛していると、強調した。
サラザールは満足気に私の「作品」を堪能した。
天気の良い日は、官邸のテラスに出て、青空の下、私の記事を読んだ。テラスに降り注ぐ穏やかな陽の光は、私が歪めた世界に良く似合った。まるで舞台俳優に注がれるスポットライトであった。全く奇妙な舞台である。役者である事すら知らない役者が主役を演じ、客はおらず、脇役たちが必死に動き回っている。どのような舞台であろうと、劇が上手く行っている事にかわりはない。演出家であり、役者でもあるこの私はサラザール以上に満足した気分であった。私の仕事は文章を書く事であったが、サラザールの身の回りの世話も同時に行った。どういった記事がこの老人を癒すのか、痛めるのかを判断させるため、側近たちがそうさせたのだ。
体調が優れない日は、心臓に負担がかからぬ穏やかな内容の記事。少し活力がある日は、逆に心躍らせ高揚させる記事、といった具合だ。
いずれにせよ、ポルトガル国民はサラザールを愛しているのだと、心底実感できる内容にした。
「私は、愛されているのだな。国民に」
新聞紙を膝の上に置くと、傍らの私に向かって老人は呟いた。もちろん、これが私の作品であるなどと、知る由もない。
「首相、その通りです」
私はにこやかな笑顔を浮かべながらも、内心では焦っていた。サラザールの口調が妙に醒めている。
私は記者の前は小説家か劇作家を目指していた。現実ではなく、虚構の物語で人を魅了したかった。記者の時代から指摘されていたことだが、熱が入ると、創作家の本能が顔を出し、作り物めいた大仰な表現に走ってしまう。虚構の記事を書くうちに、その悪癖がまた出てしまったようだ。あまりにも国民からのサラザールへの愛を強調しすぎたため、作り物臭くなってしまったのではないかと、私は心配になったのだ。
これが虚構であると、勘づかれてしまっては、全てご破算だ。
私がこんな茶番を続けているのは、サラザールへの復讐を完遂するためだ。最後の最後で、国民の愛も権力も、何もかも失っているという決定的な事実を突きつけるために、サラザールを私の物語の住人に、虚構という刑務所の囚人にさせているのだ。
「私の行っていた事は間違っていなかったのだ!」
全てを失っている老人から滂沱の涙が溢れた。私は安心した。どうやら、この男からは、冷静さな判断力はとうに失われていて、さきほどの醒めた態度は、激情という嵐の前の静けさであったようだ。
サラザール政権は、三つのFを使って国民の目を現実から反らした。ファド、フットボール、そして聖地ファティマの事だ。
音楽、スポーツ、宗教。それらを使って、国民の心を揺さぶり、仮の幸福感で満たせた。
皮肉なものだった。今はそのサラザールが真実から目を逸らされ、涙で目を曇らせている。しかも、かつて叩き折った私の筆によってである。
「もちろんです。あなたは、国民のために働いたのです」
サラザールは抜けるような青空を見上げ、ただ口を噤んだ。
私はこの老人を眺めながら、一体、この男は何者なんだろうと考えた。偽の情報で満たされ、外界から切り離され、偽りの虚構から得た幸福感を現実から得た充実感と取り違えている。
「さあ、公務の時間です」
私はサラザールを官邸の中へと促した。一人で立ち上がる事も歩く事もおぼつかなくなってきた。この男の命の灯が確実に弱まってきているという事を私は実感した。もう長いわけではあるまい。官邸の中では、偽りの笑顔に満ちた側近たちが出迎え、これから何の意味もない公務が始まるのだ。サラザールが実感できている真実の中で、虚構でないものは、老いと衰弱、身体の痛みだけである。
もう十分ではないか、と私の中の最も人間的な部分が、私に囁く。哀れみが私の中に満ち、私はこの老人に最後の一撃を、とどめを刺すべきなのか、分からなくなっていた。
その次の日も、サラザールはテラスで私の物語を読んでいた。
これがサラザールの一日だ。
サラザールが権力を失ってから、一日たりとも変わる事は無い。嘘の中で目覚め、嘘の中で眠りにつく。毎日、舞台に上がり、同じ内容の芝居をして、舞台から降りる。
穏やかな風が吹いた。
国民の愛が、風に乗って来るとでも言うように、老人は恍惚とした表情を浮かべた。
無論。そんなものは何処にもない。私の文章と、この老人の頭が作り出した錯覚であり、幻想である。
私は哀れみの心に対抗するため、必死にこの老人の行った行為を思い出した。この老人は秘密警察を使い、反ファシスト運動家に拷問を行ったのだ。人々の自由を奪い、人生を狂わせた。真実を知り、心臓麻痺を起こし死ぬ瞬間の、この元独裁者の無念に満ちた表情は、あの世にいる私の同志たちへの、せめてもの手向けになるのだという考えを強くした。
そうなると、この程度では足りない。もっと幸福感を、もっと上り詰めさせなければならない。天にまで昇らせなければ、突き落とす甲斐が無い。
「近頃、私は無視されているように感じる」
突然、サラザールが呟いた。老人の表情からは恍惚も幸福も消え去り、深い疲労感のみが色濃く残っている。
「どういう事でしょうか」
「皆、私に政治の話をしようとしないのだ」
それは当然であった。政治に関しては複雑な設定を考えると、破綻が多くなる。あまり政治の話題は出さず、質問されても、全ては上手くいっていますと答えるのが得策なのだ。
「それは、首相の体調を考慮しての事です。軽めの公務から行っていただき、また体調が良く成れば……」
私が話している間も、老人は空を見上げ、雲の行く末に多くの神経を割いているようだった。気づき始めているのではないか、あるいは全て理解しているのではないかと、私は猜疑心を強くした。
猜疑心。この老人を含め、独裁者には必須の資質である。皮肉な話である。私と私の仲間を追い込んだ猜疑心というものを、私はこの老人を罰するために、心の奥から呼び起こし、強めなければならないのだ。
私は、サラザールの心中に漂い始めた雨雲のような猜疑心を消し去り、再び晴天の空のような幸福の絶頂に誘うため、より巧妙な記事を書き始めた。あまり絶賛一辺倒にするのも不自然なので、少しはサラザール批判も入れるようにした。
絶妙な匙加減が功を奏したのか、サラザールは国民の愛をより強く感じるようになり、官邸内での疎外感も忘れるようになった。
私はサラザールの笑顔を見るたびに、安心感、そして、己の筆力を遺憾なく発揮できたという充実感を得る事が出来た。サラザールは私に対して以前より多く心を開くようになった。私もサラザールに親しみさえ覚えるようになっていた。
格段に質を上げ、美しく磨き上げられた私の虚構は、思わぬ副作用をもたらし始めた。
サラザールを虜にするための物語が、私自身をも飲み込み、蝕み始めたのだ。虚実入り混ぜた文章は、筆者である私の判断も狂わせ始めたのである。私は目の前にいる元独裁者は元独裁者ではなく、国民と国の発展のために命を尽くし、国民の愛を一身に受ける愛国者に見えてきたのだ。そして、私が作り上げた物語の一員になる事は、私にとっても心底心地よかった。毎日、国の英雄の元で働き、労いの言葉をかけてもらえる。久しく、忘れていた幸福である。私の人生で最も充実した時期、記者時代に味わった至福であった。私の人生とて、もう長いわけではない。残りの人生、この心地よい物語の中で過ごして、何が悪いのか。何度もそう考えた。我に返り、我こそは正義の闘士、復讐者であるという現実に立ち返る瞬間は、苦痛の一言であった。しかし、私は苦痛に耐え、何とか飲み込まれないように正気を保ち、踏みとどまった。
「私の人生は、これで良かったのか?」
サラザールはある日私に問いかけた。
そろそろ頃合いだと思った。サラザールは幸福の絶頂にある。私の作り出した心地よい物語に取り込まれ、体調も回復しつつあるように見えた。
一人の人間として、これ以上の幸福には到達できないであろうと、私は考えていた。機は熟したのだ。近日中に真実を告げてやろう。私は心の中で拳をかためた。
「もちろんです。あなたは国民のために働きました。あなたは私利私欲のためではなく、祖国のために全てを投げうったのです」
「私に歯向かう者たちもいた……」
そう言って、サラザールはうつむいた。
「私を憎む者たちもいたのだ……」
私は仲間たちの顔が浮かんだ。サラザールによって人生を狂わされた者たち。あるいにはもうこの世にいない仲間たち。自由を愛し、正義感を持っていた普通の人々である。ただこの国、この時代に生まれたというだけで、何という理不尽な運命か。私は涙を堪えようとしたが、堪えきれず、一筋の涙がこぼれてしまった。サラザールは怪訝そうに私の顔を見た。、
「愚か者たちです。奴らはあなたがどれほど偉大なのか、想像もできなかったでしょう」
私がそう言うと、サラザールは笑顔を浮かべ頷いた。私の涙の真意は悟られなかった。忠実な側近が、英雄の栄光に満ちた人生に想いを馳せ、感極まって流した涙だと考えたようだ。
私はサラザールのかつてないほど晴れやかな表情、いつ死んでも良いというような表情を見て、これが一人の人間が到達できる幸福の頂上であると確信した。
今日は一日、この幸福感に浸らせ、天気が良ければ、明日にでも真実を突き付けてやろうと考えた。サラザールが最も好む時間、最も太陽が高く昇る正午が良い。虚構ではない。本物の新聞の束でも突き付けてやろう。弱り切った元独裁者に、この拷問が耐えられるわけがない。そして、苦悶に満ち、命が尽きようとしている哀れな老人に、棺にかける土のように、私の名を、私が知っている限りの、虐げられた者たちの名を浴びせてやろう。
サラザールは満足気に何度も頷くと、おぼつかない足取りで、官邸の中へと入って行った。私はその背中を見つめながら、涙を拭った。陽の光は穏やかで、テラスから見える木々は、風にそよいでいる。満ち足りた風景。まるでサラザールの心中そのものであった。世界はサラザールに微笑んでいるようでもあった。私は、この光景の中で、一人、除け者にされたように感じた。憎しみ、怒り、哀しみ。慈しみ。そして、自分が選ばれし復讐者であるという事実への高揚感。私は正しい事をしているはずなのに、周囲から切り離され、一人広い平原にいるような気分になった。唯一、強い風が吹き、入り乱れ、荒れ狂っているのは、私の心の中だけであった。
次の日の朝、サラザールは死んだ。私が真実を突き付ける前に、現実を見せつける前に、突然死んだ。一九七〇年の事である。つまり、この茶番は二年続き、破綻することなく完遂されたのだ。
私は側近と共に涙を流した。どういった感情に由来する涙であったのか、私は自分でも理解できなかった。復讐の機会を失った復讐者の無念の涙なのか、親しい友人を失った友人の涙なのか、英雄の死を惜しむ忠実なる側近の涙なのか、一人の哀れな老人に対する一人の人間としての涙なのか。理由を探るほどに、私は自分が何者であるのかわからなくなった。
それから四年後、一九七四年にいわゆるカーネーション革命が起こり、一九六八年から続くサラザールの後継であるマルセロ・カエターノによる暫定独裁政権が倒れた。
サラザールは私の物語の中で死んだ。残虐な処刑を行うつもりで、私の作り出した牢獄に捕らえたのだが、その前に逝ってしまった。
独裁者を牢獄に送った男。私は死の瞬間、自分の人生を振り返った時、自分をそう定義するだろう。
しかし当のサラザールはその事実に気づく事は無かった。
私は彼の中では、きっと最も忠実な側近、そして慈悲深き友人だったのだろう。