山際響
山際響の短編まとめです。
連載小説です。 各エピソードに繋がっていますが、独立した作品としても読めます。
書評、時々映画音楽評。
それは、緑一色という麻雀の役でした。 リュウイーソーと読みます。 あれは一九五〇年頃の夏でした。 当時、私は十歳だったと思います。父と母、そして私の三人で横須賀に住んでいました。我が家は駅前の商店街にあり、玩具店を営んでいました。暮らし向きはあまり良くなかったと私は記憶しています。父は四十歳でした。二十二歳になって除隊しましたが、私が生まれたすぐ後に召集され、そして戦地から生きて帰ってきたそうです。生きているだけでありがたい、というのが父の口癖で、そう言う度に左足の
その家は、小高い丘の上にあった。近くには海岸がある。 白い積み木のような家で、鮮やかに整った草の上に、白亜の塊がある様は、夢の中に出てくる風景のようだ。最近、夢を見ていないと明夫は思った。別に見ない事で何も困る事は無いし、見たいわけでもない。だが、夢を見ないという事は、漠然とした不安を抱かせた。夢をみるからこそ、今自分が生きている現実を実感できるのだ。 その夢のような風景が保たれるのは、ほんのわずかな時間だ。移動していると、すぐに丘の下にある住宅地がすぐに目に入って来て
まず光があり、次に雷の音が響き、そして、我々の住むこの山間の町は、重苦しい雨雲に覆われ、しつこいほどの雨が、降り続けている。強い雨というわけではないが、ずっと止まないので、降雨量は膨大なものになっている。この町の何処かに貯めこまれた水は、我々の全て流してしまうほどの力だろう。私は、最近再就職した工場の近くで、実家に残っている姉と会った。一帯は、鉄条網に囲まれた空き地と、いくつかの工場しか見えない。排水溝が、ごぼごぼと不吉に聴こえる音を立てている。その隣には、池と見まごう程の
アントニオ・サラザールは独裁者である。 いや、「であった」と言うべきか。 彼がハンモックで昼寝の途中、落下して頭を打ち、意識不明の間に、世界は、ポルトガルは変わってしまったのである。 腹心のカエターノに政権が移り、サラザールは目覚めるまでの二か月間の記憶とともに、権力を喪失した。 一九六八年の事であった。サラザールこの時、七九歳。 側近は、その事実がこの元独裁者には衝撃的すぎると判断した。 幸いなことに、体調が思わしくないので、彼が官邸の外に出る事は無い。
「イルカなど、消さない」と彼は静かに、断言した。 ベッド脇の電気スタンドのような駅前のパブで、彼はベルギービールを飲んでいる。ピンク色の象が描かれているデリリウムという名の奇妙なビールの瓶だった。 彼はもう一度言った。 「イルカなど、消さない」 彼は満足げに、ビール瓶を傾け、ゆっくりと、ビール瓶の象ではなく、その不思議な文字をなぞる。 「デリリウム、というのは、せん妄状態の事だよ」 彼は言った。 私は彼に、再度問いかけた。 「本当に、イルカは、消さないのでしょうか?
満月の光が、ビルの表面や谷間、そして控えめに生えている街路樹の根本など、理子が目にする全てに降り注いでいる。駅からだいぶ歩いた。人通りも建物のシルエットも無くなってくる。 そして、このあたりに、あの人の家があると考えると、急に喉が渇き、気管のあたりがざわつき、空咳がいくつか出た。あの人の家は記憶にしっかりと残っている。ここ一年は記憶があいまいだった。何処か遠いところをさまよっていて、気が付くと、ここにいたという感じだった。記憶の中に、蛍光灯が注がれた広い部屋が出てくる。理子
海に来るつもりは無かったが、ふいに胸の内にこみ上げてくる懐かしさに引き寄せられ、妻を説得して車を浜辺へと向かわせた。 この辺りはだいぶ変わってしまった。昔はもっと錆びついたトタン屋根の平屋で埋め尽くされた町だったのだが、今では茶色と白の南欧風の家が立ち並び、すっきりと整理されたリゾート地のようである。たった今通り過ぎた場所はバス停だった。今でもそうであるが、私の知っているバス停とは違った。昔はコンクリートに鉄の棒を突き刺し、ひしゃげた鉄板に時刻を書いただけの時刻表があり、
あれは、もう十年前の事だろうか。 まだ、私が、いや、私たちがまだ、島にいた時の話だ。 あの日、私は海岸を眺めていた。すると、ぽつぽつと、赤黒い点が浜辺に見えてきた。 もう、蟹の季節かと私は考えて、空を眺めた。すると、小雨の一粒が私の眼球に入った。空を覆っていた雨雲はほとんど去っていて、島の奥、山の方にしか残っていなかった。私は、この島で二十二年生きてきたので、この光景がどれほど奇妙な光景なのかは理解できなかった。まだ行ったことがない祖国である日本では、数万匹の蟹が島を
丘の斜面には羊たちが、寝そべっている。 彼らの羊毛は空に浮かぶ雲のように白く、部分的には灰色に汚れている。空は晴れ渡り、太陽の陽差しが牧草や羊、木製の柵に、柔らかく降り注いでいる。 一人の男が丘陵を眺めていた。丘の向こうは海であり、控えめな波の音が聞こえた。 絵葉書に載っている風景のようだが、ここは東京湾沿いにある土地である。 男は深呼吸した。潮の香りがした。東京湾の水だから、化学的な匂いも交じっているが、風景だけはなかなかのものだった。海外旅行気分を味わえるわけで
噂には聞いていたが、ここまでとは思わなかった。 千葉県八街市の妻の実家に帰省中、洋は砂嵐に巻き込まれた。外国の砂漠ではなく、間違いなくここが日本である証拠に、車の外には砂で霞む日本家屋が見える。 車を道端に止めやり過ごすしかない、と妻が忠告する。砂塵で立ち往生。そんな滅多にない経験が出来たのは、街中いたるところにある落花生畑のお蔭だ、と妻が教えてくれた。畑の土が乾燥し、砂になり、春先の強風で砂嵐となる。原理は実にわかりやすいが、対策の立てようがない。街としても、落花生と
何度も自転車から落下している。そのたびに大の字になり、空を見上げている。 十歳の相司はもちろん普通に自転車に乗る事は出来る。だが、まだまだ未熟とはいえ、曲乗りが出来る十歳児は、この湾岸の町では、相司ぐらいなものだろう。自分でも気づかなかった曲乗りへの想いに火がついたのは、サーカスで自転車の曲乗りを見た時からだ。歓声が巻き起こり、熱狂は肌で感じられるほどだった。物まねでも良いから、やってみたかった。父は家を出ていて、一緒に見た母の反応もいまいちだった。やればやるほど、熱中し
「就活生ですか?」 そのタクシー運転手は言ったが、私は眼を向けることすらせず、この自動車は無人で動いているかのように、その声を無視した。 女性だから馴れ馴れしいのかと、私は警戒していた。外に眼を向けると一日の終わりの風景が、私の意思とは無関係に眼に入ってきた。空の夕日から遠い部分は、藍色に染まり星を待っていて、空と海の交わる境界には、溶鉱炉のような橙色が、荒くて太い筆で描かれたように水平線と平行に力強く走っていた。 何故か学生生活が終わった事を思い出し、私の心は憂鬱を超
あらすじ 孤独な落書きアートのライター由美はリコと出会う。 二人はともに真夜中に落書きを始めるが…… 誰にでも、人生で時間、空間を真っ白にに塗りつぶしたい時がある。由美にとって、今がその時だった。 由美は無心で線を引く。真っ黒なパソコンモニターに白い線が現れる。無心だったが、楽しいからではない。そうしなければ心が痛むからしている。 いま由美が向き合っているものはCADというものだ。コンピューターアイデッドデザインの略で、コンピューターでデザインできるソフト