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【掌編小説】きつね火ともし (1627文字)

二つ足音が山野をめぐる。

ひとつ、ふたつと数えて歩かねばならない、見える数、聞こえる数は変化する、しかし常に、ひとつ、ふたつ、それだけを数えなければならない。まやかされてはならない。

そうして里見と土岐は野を歩き、気付けば山の端を辿っていた。

霧雨が肌を覆う。虫よけに藍の風呂敷を被ってきたが、それもすっかり濡れていた。

薄の草むらを辿り、笹藪に入る。
笹藪の獣道はわかりやすい。僅かな陽に照らされた土に、可愛らしい獣の足跡が見えた。

「出るぞ」

土岐は得意げにささやく。

「ここまできて、出なければ困る」

里見は溜息混りに笑う。

数刻前。
筆が進まず何か面白いことはないかとこの面白い友人の家を訪ねてみれば、まさに外出の準備をしているところだった。

「面白いものを見に行くぞ」

まるで里見が来るのを知っていた風に言う。

「生真面目に締め切りを守る昨今珍しい作家先生がこんな時に家に電話しても出ないときたら、答えはひとつだろう」

思い上がりも甚だしい。

「そんなとき、に電話をしてまで呼び立てるつもりか」
「君は、来たじゃないか」

藍染の浴衣を着た土岐は、同じく藍染の風呂敷を投げてきた。

「いくぞ」

そうして、ふたり、山端を歩いていた。


小さな足跡は増え、減り、増えては、また減った。ふたりの足音も同じく、増え、減り、増えては、また減った。

ひとつ、ふたつ。

もうじき日暮れの時間だ。鳥が山に帰ってくるのが聞こえる。霧雨の緞帳は重みを増し、俄かに青みを含んで降りてくる。乳白していく視界にようやく見える獣道の向こうが茫と光るのが見えた。

「出たぞ」

二人は合わせて息をひそめ、歩みを遅くする。
光はほの青く、次第に数を増やしていく。
ひとつ、ふたつ、ふたつ、みっつ、よっつ、よっつ、むっつ、みっつ、みっつ、みっつ、ななつ、
孤――――と高鳴きが響くと、数え切れぬほど集った光が列をなす。

そうして、青いともしびは獣道をゆらゆらと進みだした。

土岐の瞳にも淡いそれがぼんやりと映ってみえている。

ふたりを囲む笹藪は青い香りと鈍い輪郭を木々の影につないでいた。辺りは星灯りも届かぬ静けさの闇だ。まだ夕刻過ぎだというのに、妙に暗く、妙に明るい。息をひそめた土岐の横顔も、霧と木々の影に滲んでいる。きっと、自分の輪郭も滲んでいた。

土岐が無言でそぅと歩き出す。かさりと笹藪が鳴るも、向こうの狐火は変わらず明滅を繰り返し隊列をなしてゆらり離れていく。里見も土岐の半歩後ろを歩き出す。

狐火はいつしか増えていた。

まるで、天狼星の銀河である。
獣道を蛇行し奥へ、奥へと続く、ひとつ、ふたつ、みっつと増え、もはや早朝のような明るさである。その銀河は気付けばふたりの目前にまで広がっていた。緩やかな斜面を流れ落ちてくる銀河にこのまま呑まれるのであろうと里見は悟っていた。半歩前をゆらりと歩き続ける土岐の滲む背をぼんやりと眺めながら、悟っていた。

果たして、瞬きを幾度とすることなくふたりは青白い光の流れにぐるり囲まれ、山道を歩いていた。
それは何の恐れも不思議もなく、穏やかな洪水に呑まれるように、狐火の渦に浸されたのであった。

てんでばらばらに明滅をするそれらは、それからもじわりじわりと数を増やしては、ふたりの後方へ流れていく。

暫くもすれば、ふたりの辿ってきた獣道から野の茂みまで、銀河のように満たされていくのであろう。ふたりはその銀河の内を歩く。どこまでも続く、笹藪を照らされて歩く。それは幻惑であろうか、導きであろうか、ただただ、どこまでも青白い光を泳ぐ。

「おい」

唐突に、土岐が振り返り白い何かを乱暴に投げ渡してきた。
咄嗟につかみとったそれは、骨であった。見れば土岐は巾着袋からもうひとつ骨を取り出している。

「知ってるだろう」
「まあ、知ってはいるが」

にやりと土岐が笑う。里見は溜息をつく。勘弁してくれよ。
そうしてふたり、骨を咥えると、それはちりちりと焼けた音と香ばしいかおりを放ち、次にはもうどちらの身体も輪郭を青白く滲ませ明滅する、狐火であった。

【了】

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