株式会社KDDIエボルバを辞めました 〜退職後エントリ〜
冒頭
※2023年9月に株式会社KDDIエボルバは経営統合の関係でアルティウスリンクという名前に社名が変更されました。以下に記載している内容は旧エボルバ時代のものです。
2022/07/07(木)に宣言した通り、株式会社KDDIエボルバ(以下、エボルバ)を2022/08/10(水) 18:37 に退社しました。(2022/09/30 付けで退職)
※前編
この記事では
入社してから経験した技術スタック
入社してから携わった案件
辞めるに至った経緯
内定を獲得するまでにやってきたこと
などを中心に書きます。
決して、エボルバを誹謗中傷するような記事ではありません。
エボルバの良いところ悪いところについては少しだけ触れようとは思いますが、全ては個人の主観です。
また、ご存知かとは思いますがとても規模の大きい企業である為、私の体験が必ずしも当てはまることはないと考えられます。
例えば、私が今まで所属していた部署は1つの企業と同じくらいの人数を抱えておりますし、隣の部署に行けば大きく文化が違うこともあります。さらに付け加えて言うのであれば、エボルバはKDDIという名前を冠するSES企業の為、社員によって働く現場は異なります。
ゆえに何度も言うようですが、私の体験は一例に過ぎませんので鵜呑みにすることなくわからないことがあれば都度、エージェントなどを活用して調べていただくようお願い申し上げます。
そもそもKDDIエボルバって何の会社?
KDDIエボルバはコンタクトセンターの会社とよく言われます。
しかし、昔は事業のほとんどをコンタクトセンターでやってきたというだけの話であって今はコンタクトセンターだけでなくBPOのITソリューションを提供しています。
※BPO:ビジネスプロセスアウトソーシングの略。
BPOのITソリューションとは言うものの本質はSESとなんら変わりません。
そもそもSESとは簡単にいえば、お客さんから特定の業務を業務委託して技術者の労働を提供する契約形態のことです。
※以前は特定技術派遣とも言われていました。
エボルバは長らくBPOでコンタクトセンターの運用をしてきました。がしかし、ITエンジニアが今後は必要になってくると言われ始めた時代になり、ITスペシャリストを育成するようになりました。
現在ではコンタクトセンター事業だけではなく、ITエンジニアのSES事業も展開するようになっています。エボルバの位置付けとしては重要戦略子会社という多く存在するKDDIのグループ会社の中ではとても重要なポジションについています。
そんなエボルバで6年と4ヶ月の期間、新卒1期生入社のITスペシャリストとしてエンジニアをやらせていただきました。
どんな職種についていたか
職種はITスペシャリスト職です。役割としてはITのエキスパートとしてお客様の良きパートナーとなることです。
先に述べましたが、エボルバはBPOを主体としています。つまりはITに強い技術者をエボルバのパートナー様に派遣して技術を提供することが仕事となります。では、どんな仕事をするのでしょうか。そもそもどんな技術を扱うのでしょうか。
どんな技術を扱うのか
現場によって異なります。現場によっては何の技術・製品を使うのかすら決まっていない場合がありますし、そもそも現場の上長が把握していない場合もあります。私のいた現場では周りが技術に無頓着なところがありましたので好きにやらせていただきましたが、それ以外だとお客様かその上司の皆様が導入したい技術を導入することもあります。
もちろん、その製品に関する知見はない場合が多いです。導入すればできるもんだと思われているのが普通だったりします。
いきなり知らん製品や技術で業務効率化をしてくださいと指示がある場合もあります。私は器用貧乏ということもあり、大抵の技術や製品は難なく扱えてしまうので苦にはならなかったです。むしろ、最高でした。
どんな技術を扱ってきたかについては下積み時代が大いに関係のあるところになりますので下積み時代と共に語りたいと思います。
下積み時代の話
入社してからの下積み
入社してからの最初の業務は企業WAN回線のテクニカルサポートでした。
技術と言うにはほど遠い電話対応でしたが、通信キャリアを通して次のことを身につけることができました。
ネットワークの基礎知識全般
WAN同士のつながりと繋げ方
障害対応と故障切り分けのスキル
在籍していたのが2ヶ月と短い間でしたが、多くのことを最初は学びました。そして、ある日のこと新卒向けの案件がオーダーして流れてきて積極的に手をあげました。そして、案件にアサインされることになりました。
初めての派遣業務
初めての派遣業務、最初はネットワークエンジニアとして保険関連のインフラを保守する業務でした。
主な業務内容は次のとおりでした。
光回線の契約手続き
光回線の導入業務(ベンダコントロール、電話対応など)
商用回線に導入されているファイアウォールの運用保守(要件定義、設計、設定などの上流工程から下流工程まで)
商用回線に導入されているDNSサーバの運用保守(設定のみ)
ルータの構築業務(設定と検証)
スイッチの構築業務(設定と検証)
その他設備の調達、ログ調査などの雑務
ゴリゴリのオンプレミスネットワークで死ぬほどネットワークを学べました。例えば、check point製のファイアウォールを通してネットワークの基礎であるポート番号とプロトコルを学習できましたが、これは今でも役に立っています。
また、初めての業務で特徴的なところとしては複数のアプライアンスを運用保守できたというところです。
運用保守といってもアクセスポリシーの要件定義やアクセスリストの設計、社内レビュー資料の作成など上流の工程もこの時に経験させていただきました。もちろん未熟であり、自社の先輩や上司もいなかったのでお客様先のエンジニアさんから指導していただきました。
このとき嬉しかったこととして、ネットワークとセキュリティ絡みのトラブルに強くなったことを実感できたことでした。
次なる派遣業務そして、挫折
初めての派遣業務で4ヶ月というスポット案件を無事に終えました。お客様からの評価はまぁまぁよかったらしいです。
でも、個人的には及第点な感じがしていたので次の派遣先でも頑張ろうと思い、次の案件にアサインしてもらいました。
次はネットワークセキュリティエンジニアとしての業務で銀行証券系の案件でした。主な業務内容は次のとおりでした。
アクセスリストの要件定義
アクセスリストの検証
ファイアーウォールの運用保守
テープバックアップ作業(付き添い)
アクセスログ調査
SOC対応
オペレーションの効率化、時間削減
ゴリゴリのオンプレセキュリティエンジニアとして過ごしました。
最初はうまくできたのですが、ここでセキュリティ分野が苦手だということに気づいてしまい、途中から戦力外のような扱いを受けてしまいました。
※とは言っても検証室に8時間ずっとこもってファイアウォールの検証作業をするなどしていました。
実力者が多かったといえば、他責になってしまうので個人的には嫌なのですが、実際のところ自分よりスキルのあるセキュリティエンジニアの方が多く、自身の負けず嫌いな性格も災いして仲良くできませんでした。
※そもそも相手にされていなかったという部分もあると思います。
しかしその後、ファイアウォールの運用保守からSOC対応やオペレーションの効率化に仕事をチェンジした時は自分に合っており、名誉挽回した程度の評価を得られました。
うまくいったので続けようと思ったのですが、そんなに何度もうまくはいかないだろうと思っていたこともあり、仕事しながらも不安に感じていたのでその派遣先を退場することにしました。
お客様には「できるだけ長くいてほしい。少なくとも1年はいてほしい」ということでしたが、年始に配属されてから9ヶ月で退場という結果になりました。(2017年9月末)
退場後は自社に戻りましたが、直属の上司と部長に説教されました。
※「嫌なことでやりたがらないことだから金になる」と部長にそう言われたのを今でも覚えています。
説教が続きましたが、そんな私でも部長から「お前に最高の職場を用意してやるから次は死ぬ気でやれよ!絶対だぞ!頼むぞ!」と言われましたので頑張ることにしました。
リベンジ
そして某現場へ
上長含めいろんな人からのお説教でボッコボコにされた私は次なる派遣先で名誉挽回をする為に奔走することなりました。
※ボッコボコと言っても全部ド正論でしたので誹謗中傷やハラスメントなどは一ミリもなかったです。それに言い返す隙なんて一ミリもなかったです。
私が次に携わる業務は大規模インフラを支える社員の皆様向けにツールを開発・改修することでした。主な業務内容は次のとおりでした。
社内ツールの改修業務(要件定義、仕様書作成、設計、テスト、納品)
社内ツールの開発業務(要件定義、仕様書作成、設計、テスト、納品)
業務の効率化、標準化、自動化(企画、改善提案)
新製品(SaaSなど)の導入対応(PoCなども含む)
社員とお客様からの問い合わせ対応(テクニカルサポート、障害対応など)
自分でも驚くくらいの業務内容で圧倒されました。もちろん、最初からこれらの業務に携われた訳もなく、最初はリレーションシップの構築が命でした。
なぜなら、私自身が客先ばかりでしかも部署も変わって他のエボルバ社員との接点がなかったこともありますし、お客様からは「部長の部下についている知らないエボルバ社員」くらいの認識しかなく、社内からも社外からも「そもそもあんた誰やねん」という状態で実力を示す以前に信頼がありませんでした。そもそも示せる実力がなかったというのもありました。
※「金ない」、「信頼ない」、「実力ない」の3拍子!
部署のメンバーの中には一人や二人ですがOJT時代の先輩がいました。それでも人間関係はかなり厳しかったです。
いろんな意味でとても厳しい状態の中、小さいことからちょっとずつ信頼を積み重ねてリレーションシップを構築することにしました。
私はゼロをイチにする作業に没頭するようになりました。
最初の一歩を踏み出す
元々、プログラマーやシステムエンジニアとしての教育を大学で受けていたということもあり、実務経験はインフラ経験しかないものの知識と技術だけはありました。
そんな中で最初に携わった案件はUWSCで業務の自動化を実現するという内容でした。UWSCの技術自体はVBっぽくできているため。さほど難しくありません。しかし、技術調査の為にいろんなサイトを見ようとすると大抵の場合はブラウザのフィルタリングでブロックされてしまうため、手持ちの私用端末を見ないと技術的な知見を得られないという感じで大変でした。
UWSCはクセのある製品でしたが、無事に案件を終えることができました。
※UWSC:UmiUmi Windows Scriptの略。 Windows上でUi Automation やWebオートメーションを実現するソフトウェア。スクリプトを書いたりレコーディングをしてWindows上のオートメーションを実現する。いわゆる、少しかわったRPA製品
新しいツール作成に携わる
1つの案件を終えてお客様と社内での信頼を勝ち取った私は次なる仕事としてExcel VBAを使ったツール開発に携わることになりました。
いくらプログラマーやシステムエンジニアの知識と技術があるとは言ってもVBAを触ったことはありませんでした。
※そもそもそんなものが仕事になるの?とも当時は思っていました。
とにかくそれからというものの社内でいろんなVBAツールの作成依頼と改修依頼を多く受けるようになりました。当時はとにかく仕事がなくて暇だった毎日を懐かしんでいたと思います。
自社の先輩との出会いそして。。。
たくさんの仕事を受け始めたそんな時、隣のグループにヘルプに来るように言われました。そこには自社の業務委託デスクで社内の業務効率化をしている先輩がいました。
今まで自分の先輩はというと他社の方が普通でしたので自社では初めての先輩でした。
初めてお会いした時は「どこか疲れているようなやつれているような」という感じでした。
業務説明を聞いて携わっていること困っていることを聞いてできることをやろうとしたのですが、少し天狗になっていたところもあり
「なんでできないのか」や理想論を言うだけの面倒くさい奴になっていました。今思えば、嫌なやつだったと思います。
当時は気づけなかったのですが、先輩はこの時点でかなり疲弊していて精神的にもかなり限界だったのかもしれません。
※今でも私のひとことが先輩にとどめを刺してしまったのかなと思うことがあります。いや、隠すのうますぎでしょ。
その数日後ですが、業務内容を研修すると宣言した先輩は姿を消しました。
案件の炎上そして世代交代
突然として姿を消してしまった先輩、何があったのかをたくさん問い合わせしてくださるお客様、仕様書がないツール群、中途半端にできたWebシステム
とにかく、やばかったなという記憶だけはあります。
先輩が携わっていた業務について何も教わることがなく、先輩の業務を始めることになりました。そんな中でもWeb系の技術に携われたことは不幸中の幸いでした。
実務で初めてWeb系技術に触る
先輩が携わっていたこと
新しい人員を用意している暇はない為、とにかくやることにしました。先輩の技術スタックとしては次の通りでした。
PHP 5.16
HTML4およびHTML5
JavaScript(ES5)
gawk
sed
UWSC
先輩が携わっていたWeb開発で特徴的なのはIEで動くように作らないとまともに機能しないというところでした。
そもそも社内のユーザがIEユーザ100%だった為、他のブラウザで作成する必要はありませんでした。
※当時はIE8、IE9が混在する環境を意識して作らないと動かないという不具合も!!
先輩はこれらの技術スタックを使ってインフラを支えるツールやシステムを開発していました。
フレームワークも便利な製品もフリーソフトも活用せず、40〜50人規模のシステムを一人で運用保守していた先輩がすごいと当時は思いました。
※のちに、先輩が運用していたシステムを私一人で運用保守するようになりますw
社内と社外から確かな信頼を得る
先輩がいなくなってからたくさんのツール作成やシステム改修に携わり、多くの人から信頼されるようになりました。
※最終的には300件以上の案件に携わり完了させてきました。
人を増やすべく他の部署で日本語を流暢に話すラオス国籍のエンジニアTさんを採用面接で採用し、以降は一緒に働くことになりました。初めての相棒を得た私はここでマネジメントや教育に携わることになりました。
日本語が流暢に話せるだけでなく、プログラムを覚えるのが早くて驚きましたが、かなり助けられたことを覚えています。
その後、とある協力会社の女性エンジニアのAさんからツール開発業務を引き継ぐことになりました。内容はMicrosoft Accessによるツールがメインでした。
とても厳しい方でしかもエンジニアとしては一流の腕を持っており、他のエボルバ社員を寄せ付けなかったとのことで当時はめっちゃ恐れられていました。
しかし、なぜか私とは素直に会話してくれるのでなぜなのか気になり、私はAさんに質問をしました。私はAさんに「他のエボルバ社員、例えば私の上司や先輩とはあんまり口を聞かないのに若輩の私とはなぜ、会話してくれるのですか」とストレートに訊ねました。
すると「他のエボルバ社員は好きじゃないけどあなたはエボルバ社員らしくないっていうことと私が知らないスキルや考えを持っていて尊敬できるから」という言葉をいただきました。人生で初めて社外の人に認められたことが嬉しかったこともありますが
自力でいろんな人に信頼されるようになったことが1番の成長だと実感できたことがのちの自信に繋がりました。
以降は協力会社のAさんと共に会社でのポジションを他所にツール開発の議論やお互いに技術を教え合うような日々が続きましたが、残念ながらその年の年末(2018年末)にAさんは自己都合でご退職されました。
※現在の私にとって、Aさんはエンジニア人生でかけがえなのない人となりました。
別れの辛さも束の間、ある日のこと300人以上がエントリーするベストエンジニア賞にエントリーすることになり、そして、ベストエンジニア賞を受賞しました。
その後は派遣契約から業務委託契約に切り替わり、継続して同じ現場で働くことになりました。エボルバで働くのは3年ぶりのことでした。
業務委託化後は元々の業務にプラスして
OA環境の整理
Office 2010からOffice2016への移行対応
Windows7からWindows10への移行対応
RPAツール、UiPathの運用、活用
BIツール、Domoの運用活用
ツール作成の相談・提案・要件定義・企画
新卒社員の教育と指導
中途採用者の教育と指導
などに携わりました。以降は退職前のエントリに書いた通り、ずっと社内S評価を取り続ける日々を送りました。信頼はあったものの退屈さを感じてやる気がない時もありました。そして、だんだんと自身の業務に対して関心が薄くなってきました。
悩みながらも外部活動を頑張る
キャリアの転換
社内評価がある一定のラインをキープし始め、年収が頭うちになり始めたあたりから次のキャリアを考えるようになりました。
※ちなみに入社4年目〜5年目の年収は550万弱でした。
そして、退職前のエントリにもある通り雑食系エンジニアサロンに加入後、サロン内で部活制度が新設されてAWS部の部長となりました。以降はAWSに夢中になり、仕事を早く切り上げて申し込んだAWSomeDay をキッカケにAWSに触るようになりました。
当時は経験として主にネットワークに携わっていたこともあり、仮想ネットワークサービスのVPCが好きでした。
AWSを勉強し始め、Qiitaに登録していろんなAWSサービスを発信するようになりました。
※Qiita:技術者が好きなテーマで技術知見を投稿して共有できるサービス
2週間ほどAWSを独学で勉強した後、2021.03.13にSAA-C02を取得しました。そこから多くの外部イベントに顔を出すことになりました。
外部での活動
ブログ投稿だけでなく、CloudTechを通してイベントにも参加するようになりました。
ハンズオンイベント デビュー作品
AWS×LINE で実践!LINE で AWS 利用料金が分かる bot を自作しよう! - Youtube
ハンズオンイベント 2回目
AWS×LINEで実践!LambdaからLINEに通知しよう!【LINE Notifyハンズオン】- YouTube
ハンズオンイベント3回目
AWS認定資格実力チェックLINEbotを作るハンズオン【Cloud Tech × LINEDC】 - YouTube
最初はとにかくわからないことだらけで実装もお世辞にも良いとは言えませんでしたが、良いことも悪いこともいろんな評価をいただきました。
機会を与えてくださった方々は主にLINE Developer Community の皆様でした。
招待LTにも招待していただき、参加できました。
LINE Developer Community - 【好評企画!】Qiita/Zenn 人気記事執筆者が語るLINE APIの魅力【招待LT会】 - YouTube
招待LT 2回目
外部活動の多くは主にCloudTechとLINE Developer Communityとのコラボイベントで活動しておりました。
コラボイベントの活動だけでなく、今ではいろんな人の目に留まっているクラウドエンジニアのロードマップの作成とその本の執筆に携わることもできました。正直なところを言うと「本業をやりつつ」の活動だったので血反吐を吐くくらいめっちゃ忙しかったのですが、本業に退屈を感じていた自分としては楽しかったです。
※共同執筆者としてCloudTechのメンバーで執筆した本です。
巻末に自分の名前が載っています。
AWSエンジニア入門講座――学習ロードマップで体系的に学ぶ CloudTechロードマップ作成委員会
ちなみに外部活動の話は評価対象になっていませんが、本業でしっかり高評価(S)いただきましたw
そんな私でしたが、いろんなところからたくさんの正社員のスカウトを受けてこれからのキャリアについて考え始めました。それからは頭の片隅で悩む毎日を送っていました。
次のキャリアをどうするかを悩む
外部の活動、資格取得、頭打ちの評価、決まらないキャリア戦略
自分がどのような技術スタックでどんな業務に携わっているのかがハッキリしていないこともありましたが、そもそも自分は本当に大事にされているのかと思うこともありました。具体的には
実際には相手に大事にされていないのではと思う瞬間がある
私が会社から大事にされていると勘違いするように仕向けられている
そう思うことがありました。例えば
自分の高評価は本当に実績を見てつけられたものなのか
自分の年収は適正なのか
新卒1期生を大事にしていると上司は言うがそれは事実か
大事にしていることの意思表明がどこかにあったか
実際のところ、これからはもっと技術力を身につけて変わらなきゃいけないって思っているのに「大事にしている」だの、定型文のように書かれる「いつも助かっています」はこれから変わる為に必要なことなのか
「ちょっと気持ち良い言葉」を聞いて優越感に浸っていないかとそう思いました。それからそれらは自分には不要なものだと気づき、切り捨てることにしました。仕事だったら 気持ちよりも行動、感謝よりも数字 であるという原則を忘れないようになりました。
大きな行動に出る
結論を出した
不要な関係、これから必要な関係が何かを見極め始めた頃
やはり、退職すべきだと判断しました。
エボルバはよくも悪くもSES企業で客先で働くことで利益を出す就業スタイルですので異動届を出せば、異動は可能でした。
がしかし、社内の評価に懐疑的なところがあったことと、28歳のこの歳で案件ガチャを回して人生を会社に委ねるのかという思いから上司には異動はしない旨を報告しました。
すると、「異動が難しいなら年収据え置きで働いてもらうことになるがそれでも良いか」という返信がありました。
※もちろん、これは会社からスキルアップしてどんどん異動してくださいという意思表明
「そもそもいくら頑張っても今の評価は変わらないし、外部での活動は評価されない上に客先にいる時間が長すぎて社内でどんな案件が動いているかもわからんのにこれ以上働き続けるのか」という確かな考えがありました。
半期面談にて
そうして、異動を諦めた私はCloudTechのある人から運の良いことにリファラル採用をいただき、アイレット株式会社というAWSプレミアコンサルティングパートナーの企業様より内定をいただきました。(2022/10/03 ジョイン予定)
そして、内定をいただいた翌日に半期の目標フィードバック面談を設定してましたので退職報告をすることにしました。
※前日にYouTubeで退職時にやることをひたすら観ていました。
日頃から業務ドキュメントをたくさん作っていたこともありほとんどが内容の共有で済みました。
とはいえ、自分が抜ける穴はどうなるのか疑問だったのですが
昼休みによく話す同じ新卒入社の後輩が「Yamadaさんがやめる前にYamadaさんから色々学びたい」とのことでしたので
社内の調整業務ばかりでスキルがないことに危機感を覚えていた彼に託すことにしました。
それから2ヶ月間は後輩と一緒に仕事をしていました。面倒な仕事ばかりでしたがぶっちゃけ、この時が一番楽しかったと思います。
行動に出たワケ、そして動機
退職理由(良い理由)
ここまで過去から現在までの話を語りました。
「楽しかった業務なのにやめてしまうの?」とそう思う人がいるかもしれません。ですが、それではいけないと個人的には思いました。
これは自分が日頃から頭にあることですが、自分の人生に大きな課題があってそれがやらなければいけないことなら、後悔してでもやるべきということとやらなかったことでずっと頭の片隅で後悔するならやるほうが断然良いという考えがあります。
例えば、目の前にもしくは同じクラスに好みの女性がいて声をかけてみたいと思ってもやらなかったら後悔すると思うんですよね。
※私だったら絶対に後悔します。ていうか、後悔しています。
今現在、後悔している。後悔しているのはなぜかなのか。なぜ行動に移せなかったのか。行動に移すにはどうしたら良かったのか。
後悔の原因というのは探り始めるとキリがないと思いますが
本当にやるべきことが明確になっていないからなのではないかなと思っています。
何かやらなければいけない事象を見て、できなかったことを苦悩するのが
後悔であるとそう認識しました。
そうして振り返るといくつか思うところがありました。
自分が本当にやるべきは
社内でS評価を取り続けることですか?
評価されない外部活動を続けることですか?
いつも満額でもらえる賞与の為に頑張ることですか?
ぶっちゃけどれも違いました。評価も活動も賞与もこれらは自然とついてきたりするものなので自ら取りに行くものではありません。
ではどんな退職理由なのかというと簡単です。
挑戦してみたいことができたんです。
具体的には APN AWS Top Engineers を取得してみたいと思ったからです。
なぜ、アイレットなのか
一見して「エボルバに在籍しながらでも取得できる認定では?」と思う人が多いかもしれません。
実はこのAPN AWS Top Engineers はAWSが認めたコンサルティングパートナーでAWSの技術を扱い、実績を出さないともらえない認定なのです。
※厳密にはいろんな評価基準があるそうですが、今回は割愛します。
つまりは AWSからの認定を勝ちとる為にはパートナーではないエボルバではなくアイレットでなければいけません。
アイレットじゃなくても他のコンサルティングパートナーでも良いじゃないと思われる人もいるとは思いますが
これは私の思想というかこれから技術者として生きる為に必要なことに直結するのですが、そもそも私はマルチにクラウドを扱えるソフトウェアエンジニアになりたいと考えています。
※以前から主要な3大クラウド技術を扱えるようになるという目標がありました。
アイレットはAWSだけの会社ではありません。GoogleCloudも扱いますし、Microsoft Azureも扱います。方針や考えとしては「マルチクラウド」で戦う企業ということにもなっているようです。
そこが私とアイレットで絶妙にマッチしているのです。これは正直なところびっくりするくらいマッチしていると実感していて速攻で気持ちがオチましたw
前向きな理由もあるし、アイレットとの相性も抜群に良い。とはいうものの正直なところそれだけだったら嘘になりますのでネガティブな理由も書こうと思います。
退職理由(悪い理由)
挙げ始めたらキリがないですが、いくつか箇条書きでツイートしました。
上記のリプライ欄にある内容を羅列しましたが、ここにも書きます。
この中で特に自分に効いたのは
面倒なことは「わからない」のひとことで片付ける
マイクロマネジメント
制約のありすぎる開発環境(もはや人権なし)
同じことを何度も情報共有する(横連携がない)
根本的な問題解決に向かって動かない(検討で終わる)
未来のことを考えない。投資もしない
知識技術のアップデートの重要性に気づかない
メールを送っても一文字も読まない
部署から部署への情報共有を人伝に行う
なぜやっているのかわからない業務がある
問題は問題を知る当事者が解決するものだと勘違いしている
正当な理由があって資格手当を申請しても出してはくれない
私も鬼ではないので多少のミスや業務量過多でできなかったこともあるんだろうと思い、仕方ないのかもと見ているところがありましたので
一部は見なかったことにしましたし、聞かなかったことにしました。
がしかし、耐えられないことが多かったのが事実でした。そもそもの考えとして自力で解決できるなら努力して自分で解決することが良いと思っていますし、自分のことは自分でやるのが当たり前だったので誰かにマネジメントされるのが嫌いでした。
それと少し考えたらわかることや調べたらわかること、工夫したり働きかけたりすることで改善できることをいつまで経っても改善しない姿勢には違和感しかありませんでした。
もちろん、改善業務に積極的に関わり、ご自身の業務改善を成し遂げた人も何人かいます。それでも目に余るくらいの体たらくで失望しました。
「あぁ、これが大企業のそれも大きな名前を背負った企業の社員がやることか」とそう思えば思うほど肩書きが胡散臭くなって嫌いになりました。
会社を嫌いになった理由、退職につながった理由は何も知らないときやスキルがないうちは見えていなかった部分が多いです。気づかない方が幸せだったのかもしれませんが、そういうわけにもいきません。
人間は自分の過ちに気付いたり、できなかったことができるようになったりすることで成長する生き物です。成長せずにそのままでいることの方が難しいのです。良いこと悪いこと含め思うことを書き連ねましたが、退職理由は以上です。
これからどうするか
未来の話
ここからは未来の話をしようと思います。もちろん、その通りになるとは限りません。叶えられるかどうかは自分次第です。
今、達成したいことは次のとおりです。
AWS資格の全冠取得
APN AWS Top Engineersの取得
アイレットのスペシャリスト認定制度でスペシャリストになる
強いマルチクラウドなソフトウェアエンジニアになる
たぶん、今のスキル感では近いようで遠いような目標かもしれません。
今の段階では達成できると断言できるほどの自信はありません。
ただ一つ言えることとしてはこれらの目標は人生の課題だと思っています。
つまりはやらないといけないことなんです。
大袈裟に言えば、これらを達成できなければ次の道(キャリア)には進めないとも思っています。
さらにその先まで見るとエンジニアとして独立することがあると思います。
具体的には人に何かを教えたり人の成長を見るのが好きなので独立できるほどの手腕を身につけたら人に何かを伝えることを生きがいにしていこうと考えています。
まとめ
これまでのキャリアを振り返って
人生の方角を間違っていた時期が多分にあるとは思いますが
回り道をして良かったと思います。
エンジニアのキャリアでは最短経路でキャリアを爆速にするというのが
一部では流行っていますが
急ぎすぎると大事なものを見失ったり、薄っぺらい人間になったりしてしまうんじゃないかなと危惧しています。
少なくとも自分にはこれくらいの回り道は必要だと感じました。
急いでキャリアを築きたい人もいるので否定はしませんが
自分の人生に関わる意思決定をそんなに急いで良いのかという側面もあります。爆速が合わない人はペースを落としてじっくり挑むのも考えの一つです。あと、自分の経験から言えることがいくつかあります。
合わない仕事はすぐにやめる(戦ってはいけないくらいの内容)
過剰のストレスを感じているならすぐにやめるべき
もし、これらに当てはまりそうなら今やめるべき仕事だと思います。
※無理なことは言いません。
ですが、それも以下の前提があってこそだとは思います。
次のキャリアにつながる行動を常に意識する
自分の考えをしっかりと持ち、自立する
自らの意思を持って自分から行動する
言いたいことははっきり言う
自分の考えや行動原理を理解して主体的に活動することが命です。
簡単に言えば、他人任せではなく自分で自分のことをしっかりと考えることです。これからも自分の意思を大事にエンジニアのキャリアを築きたいと思います。
おまけ
現在の技術スタック
最後に退職直後の具体的な技術スタックについて書きます。
OS
Windows7
Windows10
Linux
言語
Bash
C
C#
PowerShell
Excel VBA
Access VBA
Word VBA
Python3
Python2.7
HTML
CSS
JavaScript
PHP5
PHP7
Perl
UWSC
SQL
TeraTerm Macro
データベース
PostgreSQL
OracleSQL
SQLite3
Microsoft Access SQL
フレームワーク
JQuery
Vue.js
dotNET Framework4.8
dotNET Core5.0
dotNET Core6.0
Blazor
ツール
JupyterNotebook
Excel
Access
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