大学時代の友人とルピシアのグランマルシェにいってきた。 いもくりかぼ茶というルイボスティーを買い足したかったのに袋入りはなかった。 去年買ったパスタでポンというおかしもなかった。全体的にオヤツ系は少なくなってた気がする。 友達と相談してスコーンを大量に買ったのを半分こにした。スコーン美味い。 久しぶりに友達と会えたし話せたし、本当楽しかったな。
最近、家事が楽しい。 ご飯作るのも、にゃんずの世話も、掃除も、洗濯も苦ではないし、むしろ楽しい。 うちは朝が早くて、4時〜5時半の間に起きなきゃいけなくて、起きるのだけはすこしきついけれど、 お弁当作るのは苦ではない。 一時期、家事しかできないわたしは最低だと思い悩んでた。隣の芝生がレインボーにみえてしまっていたみたいで、自分だけが価値のない人間に思えていた。お金も稼げず、家事をしっかりやることになんの意味があるんだろう。 家のことをやるのが好きになってからは、わたしが楽し
学校でうまくいかないわたしに、ある教師は「どんなに環境が悪くても、理不尽なことがあっても、それが大多数なら溶け込みなさい」と説教した。わたしにはいまだにその意味がわからない。意味がわかってたまるかと思ってる。 わたしは目立つ生徒だったと思っている。 卒業式で在校生代表で送辞をよんだり、 テレビにでたり、 学校紹介のVTRにもでたり。 でも、友達には嫌われていたし、先生からも好かれてはいなかったと思う。 3年生になった。 好きな人のことはまだ好きだったけれど好きな人には彼女
わたしは何も考えずに高校を選んでしまった。 そのことを今でも悔やんでいる。 あまりにも投げやりだったし、あとすこしだけわたしに合った高校があったはずと思う。 偏差値30半ば、県内でいちばんのヤンキー高校。わたしはそこに3年間通うことになった。 一年生。 わたしはまだ最初の頃は自分の置かれた場所がひどいということに気づいてなかった。 勉強簡単だなーとぼんやり思っていたくらい。 好きな人もできた。 告白してないのにフラれた。 二年生。 県下一斉模試があったので受けてみた。全然
中学校のことを振り返る。 一年生のとき、文化祭でやる演劇の主役をやれと言われた。一生懸命セリフ覚えて、一生懸命練習した。拍手喝采もらった。でもそれが終わり教室に帰ると、先生も友達も誰1人そのことにはふれなかった。はっきり言おう、わたしはちょっとだけチヤホヤされたかったんだ。だってあんなに頑張ったのに。拍子抜けしてしまった。 二年生になった。 ある男子生徒ととても話が合って、楽しくて、放課後もその男子生徒と話し込むようになった。 それをよく思わなかった女子が、いろんな手をつか
小学校5、6年のときかな。 幼稚園のころから仲良しの子と同じクラスになってわたしはとてもうれしかった。 わたしは、というのは母は実はイヤだったらしい。たしかに仲良しの子は頭はいいけれど時々わたしを見下すような感じはあった。 でも当時のわたしにはそれが大きな問題とは思ってなかった。ただその子が大好きだった。 事件は6年生のときに突然起こった。 急にその子はわたしにシカトするようになった。本当に急で、理由をきいても教えてくれない。昨日まで普通に仲良かった子からシカトされ、グループ
うちの猫はけっこうな紆余曲折があってうちにきた。キャリーバックごとスーパーの駐車場に捨てられていてそれを保護猫カフェがひきとり、まあいろいろあってうちの猫になった。 トラウマがあるのか、ダンボールや箱状のものにはパニックを起こしたりした。蹴られてたのかな?女の足をとても怖がった。 ネグレクトだったのか、クシになれていなくて、長毛種なのにクシをとかすとすぐぷすんぷすんと鼻息たてて怒った。 保護猫カフェのひとが、この子は人間で言ううつ病みたい、、と言っていたのをよく覚えている。
生きているのが申し訳なかった。 せっかく無理して入った大学で統合失調症になり、なんとか卒業したものの、就活がうまくいかなかった。 時々バイトはしていたけど、生きる希望が見つからなかった。その時のんでいた薬はわたしの体には合わなくて、どんどん太っていった。 太ってる自分には価値がない、早く痩せるか終わるかにしないと、と焦った。 焦っても、食べることはやめられなかった。 だから泣きながら嘔吐をしていた。もうやめたい、やめたい、ガリガリじゃなくていい、人並みに痩せたい。 でも、痩せ
ダイエットは難しい。 わたしは昔過食嘔吐をしていた。そのときから食べること自体をわるいことだと思っている。でも食べることがやめれなくて、食べたあといつも後悔する。お腹はいつもすいているし、いつも口寂しい。 食べるものが少なければ少ないほど良い、 食べなければ、抜くのがえらいし良いことだと思っている。 でもお腹はすいて、口寂しくて食べちゃって自分責めて悪循環。 いい加減、食べることと仲直りしたいなと思ったのだけど、どうやっていいかわからない。とりあえず3食をしっかり食べることに
世の中には何やっても許される人と、そうではない人がいて、わたしは後者。昔からそう。もう許される側にいきたいとか思わないで、好きに生きたいよ
時々思い出して悲しくなる味がある。 父が亡くなって、初七日が終わって、家に帰る時、 スーパーに寄って、アイスを買った。 クーリッシュのバニラ。 とけそうだしと、車の中で食べたアイスは冷たくて、美味しくて。 しばらく味もわからない日を送っていたからかな。とてもおいしかった。涙がでた。 今日もあの時のアイスの味を思い出してわたしはすこし泣く。 お父さん、やっぱりあなたがいないこの世は寂しいけれど、 わたしはなんとか、なんとか生きています。
二、三週間くらいなんのやる気もでない。 ぼんやりとスマホを見て、飽きて、YouTubeみて、すぐ飽きて、寝てしまう。 困らない程度の家事をやって、またぼんやり。 暑いからかな。 テレビつけると、帰省して孫に会えましたと喜ぶ老夫婦の映像が流れた。 わたしはそれを見ないようにすぐにテレビを消した。わたしはどう生きたかったのかな? わたしはどうなりたかったのかな?と自分に問いかけても、二十歳のときの未遂が成功してたかったとしかわからない。 どう生きたかったとかない、生まれたくなか
たまに、ピンときた本を買って、それが自分の心情に合うと、とてもラッキーだったなぁと思う。 今回はワタナベマキさんの時間をかけて作りたい料理という本を買った。 わたしはたまに気分転換に時間かけて料理するのが好きだ。ゆっくり、甘酒を作ったりする。 別に全員がゆっくり手をかけてする必要はないと思うけれど、 私にとってたまに、ゆっくり時間かけて、手をかけるというのは癒しだ。 私は料理しかできない。料理はできる。 それでしあわせならもうそれでいいやと思ったりした。
椎名林檎のライブにいってきた。 それは本当に素晴らしかったんだけど、帰りのバスで開いたツイッターで一気に体調悪くなった。 ツイッターには、子ども産むと奨学金なくなるかもよ?!というニュースが溢れていた。 なんだか気持ちがぐちゃぐちゃになった。 子ども産めなかったわたしには価値がないといわれてるみたいだし、 奨学金の返済のために産まれる子どもがかわいそうすぎだし、 そもそも国公立大の入学金高すぎるからそれを減らせば良くないか?と思った。 最近の報道は、政府から子ども産んでない
わたしは毎年の年末にかなり不安定になる。 理由はたぶん、年末年始はこうでなければならないという圧力を感じるから。 手作りの彩りのよいおせちを作って、大掃除を完璧にして、親戚付き合いもニコニコと交わす。 わたしはほどほどというものがわからないし、ほどほどで許されると思ってないから、これをすべて完璧にしないとこの世にいる意味がないと思ってしまう。 本当に苦しい。 バレンタインも手作りじゃないといけないとか思ってたりする。でもこれは、わたしに限ってなので、別に旦那さんにあげない人で
今日は欲しいものがあって、ジルスチュアートに行った。店員さんが丁寧に接客してくれた。サンプルももらった。 いい気分で帰ろうとしたら、鏡にうつった自分が薄汚いババアで、すこし落ち込んだ。 痩せたいなぁ。 ある薬をのんで20kgくらい一気に太った、それからその薬やめても戻らない。 太りたくない太りたくない、と当時の主治医に訴えると、あなたにはこの薬しかもう効かないからと言われて、泣いた。 あの薬飲まなければこんなに太らなかったのかなと後悔もするけれど、あの時のわたしにはあれしかな