ボクが「不安をあおる栄養学」をやめたわけ。
自分が夢見た、やりたかった仕事をしているはず。
でも、ぜんぜんうまくいかない。楽しくない。
よくよく考えてみたら、一番やりたくないことをやっていた!
……という「世にもビックリなお話」です。
なぜ自分は、ここまでダメなのか……
栄養学関連のジャーナリストのようなお仕事をしています。スタートはそれなりに順調でしたが、途中で自信も情熱も失ってしまいました。
暗闇期の自分を一言で表現するなら、「とびきりのネタが手に入っても、おいしく料理できないライター」。
もっと具体的に「どこがダメなのか」と聞かれれば、いくらでもポンコツ要素を書き出せました。たとえば……
文章にメリハリがない。パンチが効いてない。
主張がぼんやりしていて、結局何を言いたいのか分からない。
つかみが弱い。読者の関心をひくのが下手すぎる。
机に向かっても一向に筆が進みません。
「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」
「天職が他にあるんじゃないか」
「このままだと、新宿駅のホームレスに仲間入りするしかない」
頭の中がネガティブだらけの状態で、10年以上を過ごしました。
転職も考えましたが、「自分が一番好きなこと、得意なことをやっているはず」という思い込みが強くて、一歩目を踏み出せませんでした。新しい世界に飛び込む勇気やエネルギーも足りなかったのだと思います。とにかく、いつでもガス欠状態でした。
セラピーを受けたり、自己啓発やスピリチュアル系の本を読みまくったり、自分探しの旅に出たり……思いつくことは一通りやりました。「自分が本当にやりたいこと」のヒントを探そうとして、幼いころの記憶をたどったりもしました。
子どものころ、一番なりたかった職業は、医者でした。それは果たせませんでしたが、健康とかかわる仕事ができているし、ある意味、夢はかなえられているように感じていました。
「子ども時代にヒントはないな」、と思っていたのですが……
ある時、ハッと気づいてしまいました。
「自分が望んでいたことの正反対ばかりしていた」ことに。
頑張る方向が、180度違っていました
ボクは幼いころ体が弱く、急な頭痛や腹痛でよく学校を休みました。でも、小児科の先生の前に座ると、それだけで安心するせいか、痛みが溶けてなくなることがよくありました。ぼくにとってお医者さんは、「どうしましたか?」と柔らかく声をかけてくれて、もう大丈夫だと安心させてくれる特別な存在でした。
ひょっとして本当になりたかったのは、医者というより……
「不安をなくしてくれる、安心させてくれる人」?
そうだとすると自分は、まるで正反対の仕事をしていたのでは!?
本を売るため、注目を集める記事を書くための常套手段の1つは、不安をあおることです。そこが絶望的に苦手なことが、自分の最大のダメポイントだと思いこんでいました。
当時、四六時中考えていたことは……
不安をかきたてる方向にむりやりでも話を盛って、過激にパンチを効かせないとダメ!
まだハッキリ分かっていないことでも、「危ないぞ!病気になるぞ!」とズバズバ断定しないとダメ!
とにかく、もっと不安をあおれるように、もっと死ぬ気で頑張らないとダメ!
要するに、むりやり読者を不安にすることに、日夜全身全霊で打ち込んでいたわけですよ!
子供のころ夢見ていたのは、「誰かを安心させられる大人」、だったのにですよ!
これだけ正反対のことやってたら、
そりゃ、ウツにもなるでしょうよ!
不安から安心にシフトしました
ここでまたボクのクセなのですが、「ちょっと誤解を招くかも……」と不安になってしまいました(笑)。
世の中のライターさんは、不安をあおることに血道を上げている人ばかりではないんですよ。ボクの場合は、ちょっと特殊なケースだと思います。もともと、不安を抱えやすかったせいもあって、あちこちから不安を引き寄せ、雪だるまを転がすようにふくらませていたのでしょう。
今考えてみると、幼いころから副腎が弱かったのだと思います。すぐ具合が悪くなる、いつでも不安と共に生きている子供でした。そのせいで、何よりも安心を求めていたのかもしれません。
「正反対をやっていた!」と気づいてから、静かに自分の内をみつめる時間を重ねました。
「安心」が自分にとっていつでも最重要のキーワードだったことに、確信が深まりました。
「そういうことだったのか……」といろいろ合点がいくと、いつでもガス欠で重だるかったのがウソのように、エネルギーが湧き上がってきました。自分の深いところで、マグマがグツグツ煮えているような感じです。
これまでのやり方を続けることは、もうできない。
再出発する方がよっぽど楽。
小指でポチッとキーを押すくらいの力加減で、仕事への意識をたやすくリセットできました。その要点をまとめてみると…
本当に注意しなくてはいけない、危険な食べ物もあるはず。でも、そうした闇の世界ばかりにフォーカスしない。
ましてや、いたずらに不安をあおることはしない。
なぜなら、不安や批判ではなく、感謝や喜びと共に食事をした方が絶対いい、と思うから。
適切な栄養摂取は、オプティマルヘルス(最高、最善の健康状態)を手にする助けになるはず。そうした希望や光の部分にフォーカスする。
パンチや切れ味が足りないところは、分かりやすいイラストを工夫してカバーする。
こうして、人知れず路線変更をしました。
その後、「素材をおいしく料理できるライターにはなれたのか?」と聞かれると、はなはだ疑問ですが……
それでも、仕事をしていて、ワクワクする瞬間は格段に増えました。「別の仕事を探した方がいいんじゃないか」と考えることもなくなりました。
以前は仕事が遅くて、大きなトラブルも起こしてしまいましたが、今は締め切りに遅れなくなりました!
不安をあおる情報にふりまされたくない人に
世間には「あの食品は危険」的な情報があふれているし、関心もとっても高いですね。
至極まっとうなお考えだと思います。過去に食生活の問題で大病を経験された方ならなおさら、「いいかげんにできない」と痛感されていることでしょう。
自分が考える「本当に危ない食品や食べ方」については、別の機会に丁寧に書きたいと思います。
今回の記事では、最後に1つだけお勧めしたいことがあります。
もし、このようにお考えなら、ぜひコレだけは頭に止めておいてください。
肯定から始める
中伊豆で自然農法のお野菜を作られている高橋康晴さんが「肯定から始めよう」という記事を書かれていて、強い共感を覚えました。ボクが言いたかったけどうまく言えなかったことをズバリ書いてくれています。たとえば、このあたり……
原文もぜひご一読ください!