「ほんの5分の奇跡の話」
「ほんの5分の奇跡の話」
その日私は1人静かに地下鉄の駅のホームで泣いていた。
うつむいて、周りに気付かれないように。
悲しいことがあったわけではない。
なんだか嬉しかったのだ。
今から話すのは、ほんの5分のある日の私の物語。
ほんの5分だけど奇跡が積み重なった不思議な5分。。。
5分前、私は地下鉄の改札を通り、ホームへと歩いていた。
名古屋の天狼院という、本屋さんなのに様々な学びの場も提供する少し変わった本屋さんで、マーケティングゼミを受けた帰りだった。
その日の用事はすべて終わり、地下鉄に乗り帰ろうとしていた。
改札を通り、階段の下へ降りたところで、1人の初老の奥様に話しかけられた。
地上に上がりたいらしいのだが、駅のホームから地上にあがろうにも、目の前には階段しかなく困り果てていたようだ。
「エレベーターの場所知りませんか?」
そう聞かれたが、実は普段あまり使う駅でなかったため、私もエレベーターの位置は知らなかった。
目の前の階段はそれほど段数も多くないのだが、それを登れないというところを見ると、初老の奥様はきっと足が悪いのだろう。
私は奥様に、少し待ってくださいね、とお伝えして少し小走りに探し始めた。
奥様が私の後を歩いて付いてこようとしたのだが、闇雲に探している私に、足の悪い奥様が付いてきたらかわいそうで、マスクをして目しか見えてない状態での精一杯の笑顔を向けて、手で「ストップちょっと待ってて」とゼスチャーで伝えた。
少し探したら、階段の斜め向かいにエレベーターがあった。
奥様に待ってもらってた位置から見える場所だったので、今度は「あったよ」と招くゼスチャーで伝え、エレベーターの上がるボタンを押し、奥様を乗せて無事に上階へ上がってもらった。
今までの5分ほどの出来事を、簡単に纏めると
「私は帰ろうと地下鉄の改札を通った。階段を下りて初老の奥様にエレベーターの場所を尋ねられた。エレベーターが見つかったので乗ってもらった」
たったそれだけの事だったが、よく考えてみたらそれも人生の中の奇跡の連続で起こっているのではないかと考え始めた。
……今までの私の人生、思えば会社員として毎日同じ時間に起き、同じ電車に乗り、会社に行って仕事をして、また帰りには同じ時間の電車で帰り、大慌てで夕飯の準備をし、片付けて、そして疲れて寝る。
起きたらまた同じことの繰り返し。
忙しくて疲れて時間のない毎日にイライラする日々であった。
やりたい事はたくさんあるのに、疲れてしまい「明日にしよう」と後回しにしながら気付いたら何ヶ月も過ぎていたりしていた。
だが昨年末、そんな毎日に終止符を打つ決断をした。
そう、私は25年勤めた大手企業を辞めて、自分自身で生計を立てていく事を決心したのだ。
「安定より、自分の人生や心の豊かさを大切にしようと決めたのだ」
そして大手企業のため、ありがたくも有給がたくさんあり、辞めるまでの数ヶ月間、神様からのプレゼントのような大切な時間として、たくさん学び、独立に向けての準備期間としていたのだ。
まず「自分自身の気持ちを大切に、心の声に従って、会社を辞める」この決断をしていなければ、天狼院のゼミには通っていなかったであろう。
会社を続けていれば学ぶ気持ちも、時間と心の余裕もなかったからだ。
人は道など何かを尋ねる時、必ず相手を選ぶ。
助けてくれそうな人はだいたいわかるものだ。
その奥様もたくさん通り抜ける人の中で、私を目掛けて聞いてきた。
今の私に、心の余裕があったことで、数メートル前から奥様にロックオンされているということに気付いた。
その奥様が、困っている雰囲気もキャッチ出来た。
たくさんいる中で、その奥様が私を選んだということは、きっと私は人を助けそうな穏やかな顔をしていたんだと思う。
数か月前まで、毎日ギスギスイライラとした気持ちで過ごしてた私が、自分のした決断により、こんな穏やかな気持ちで、学びの時間を作り、心が豊かになる時間の使い方をし、そして人から助けを求めてもらえるくらい、穏やかな表情が出来るようになっていたのだ。
ほんの数か月前まで私は今の会社で定年まで勤めあげるのだろうなと思っていたが、昨年から「自分を大切にする」という事を最優先に生活することを実践してきた。
自分を大切にできれば、自分自身に満足することが出来、人と比べて私は勝っている、負けているなどの感情もなくなってくる。
「自己肯定感」が上がることによって、自分軸がしっかりとし、自分の心から望んでいることに気付く、心のアンテナも敏感になり、自分自身も安定し、そこで生まれた心の余裕から結果的に人を大切に出来ることになる。
「自分軸を持った私が、天狼院書店でマーケティングゼミを受講し、穏やかな顔で歩き、初老の奥様から声を掛けられ、助けてあげることが出来た」
それだけのことだ。ほんの5分の出来事だった。
だけどこの中に、今までの人生の中で、どれだけの自分の努力や、奇跡が重なっているのかを辿って考えてみると、悩んで苦しんで涙した、私の決断した考えは間違っていなかった…
穏やかな顔で、決してうつむかずまっすぐ前を向いて、そうやって歩いていたからきっと見ず知らずの人から、助けを求められたのだろう。
「穏やかな顔で、まっすぐ前を向いて歩く」
それが出来る自分になれていたことが嬉しかった。
…そんなことを考えていたら、地下鉄を待つホームで、嬉しさや、今まで頑張ってきた事、考えてきた事、悩んできた事、色々な思いが込み上げて、涙が溢れてきた。
というわけである(冒頭に戻る 笑)
早くすぎて欲しい5分もあれば、とても愛しい大切な気持ちになる5分もある。
その時間をどのように過ごすかは自分の気持ち次第なのだ。
何気なく過ごしている時間も、奇跡の連続で起こっている出来事。
同じ時間を過ごすなら、たった5分であっても「時間と自分」を大切にし、愛しい時間をたくさん過ごして欲しいと思う。
今、この瞬間を生きていることは奇跡の連続であるのだから。
<終わり>
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