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土浦市大和町青年会分裂騒動〜昭和52年、昭和53年〜
昭和39年の土浦祇園祭当番町として山車奉納以降昭和49年まで大和町の山車奉納は無かった。
当然大和町青年会も解散状態であった。
世の中は高度成長期の真っ只中。日本文化など忘れさられ道路に溢れた車両で山車運行など低俗なものと認識されていた。
土浦祇園祭・大和町の歴史〜私的考察〜
土浦祇園祭の歴史は古く400年前からの祭事と思われます。
現氏子町である大和町が町として成立したのは土浦駅開業付近から。
土浦八坂神社の祭事に参加しはじめたのも同時期からだと思われます。
因みに大和町として成立する以前は本町であったと伝わります。川口町も本町からの分かれだそうで、故に川口町と大和町は兄弟町という関係になります。川口町の成立は江戸時代中期。川口町のほうが兄ということになります。
原戸
土浦祇園祭の理想〜私的考察〜
土浦祇園祭は混とんしていてまとまりがなく、神社・奉賛会・当番町連合・礎会が個々に動いている。
そこで私的考察ではあるが理想の姿を表現しておこうと思う。
目指すのは氏子全町参加による大祭礼の実施である。
土浦祇園祭 当番の謎
土浦祇園祭には当番町という役割りが年毎に回ってくる。
江戸時代は土浦八坂神社様における神社の獅子を舞い、その音局を担当するのが当番町の役割であったようだ。その獅子舞はいわゆる厄払い的なものであったと推測している。
現在でもそうなのだが、土浦八坂神社様氏子町は東崎町鷲神社様氏子で構成される「大鷲会」と田中町八幡神社様氏子で構成される「八幡会」に2分されていた。当時は東崎鷲神社様氏子町を東崎分。田中八