研究室をクビに!ポイ捨て先生と拾うもやし。
小さい飲食店を8年経営してきました。
一昨年からスタッフが全員育休で、ほぼ一人になったものの
それが4月から全員復帰+αで一気に10人に。
次の店舗、次の事業、組織化と変化に目まぐるしく
時間をかけて1つ決めたのに
あっと言う間に問題が幾つも出てくる始末。
楽しんでやっているときはさて置き
頑張ってる!と思っているときは何かが上手く行ってない。
さらには
あのスタッフの働き方が・・・
あのスタッフの意識が低い・・・
あのスタッフは話を理解していない・・・
などと人のせいにする始末。
ホントはうまくいっていない原因は自分にあるのに
頑張ってる!と思っている時ほど
「こっちは頑張ってるのに」と人のせいにしたくなるもので。
そういう時に決まって、大学時代の恩師との会話を思い出す。
教育大学4年生だった僕は
音楽と麻雀と漫画とアルバイトに明け暮れ
週に三日は徹夜して、寝る時間までスケジュール管理していた。
最も仲の良い友達と組んだバンドで
初めて作った荒削りとしか言えない音源を
「CD出すんや、プロになるんや、チャンスを掴むんや!」
と、とにかく無数にばら撒いた。
反応があるわけないのだが
それを聞いてくれた物好きな音楽雑誌の編集者から
「イベントに遊びに来ないか?」
と誘われ、歓喜の声をあげ
徹夜のバイト終わりでメンバー全員と東京へ。
初めての池袋・初めてのクラブイベント
田舎の青年4人は
大音量の音楽
煌びやかな照明
踊り狂う若者
を横目に
開始から終了までの8時間
無言でただ大人しく座り続けるという偉業を成し遂げた。
夜を徹して座り尽くした後、また車を運転し急いで研究室に駆け込んだ。
「すいません、課題何もやれてないです!!」
「昨日は何をしていたんだ?」
「東京のクラブににいました。そこで・・・」
僕は夜を徹して座り続けたその一部始終を、嬉々として話そうとしたその時
「ウチの研究室はもう辞めてくれ」
と食い気味に。
音楽に例えるとシンコペーションという表現になります。
略すとシンコペなので
シンコペ気味とも言い換えられますね。
まあどうでも良いんですけど
トントン拍子で研究室をクビになった僕は
どうやったら卒業できるのか・・・
8時間も座り続けたあの話を誰にするのか・・・
頼れる人も考える力も無いまま途方に暮れていたその時
「クビになったんだってねー、明日うちにおいで」
眼鏡を掛けた、もやしみたいな体型で
全くもって頼り甲斐の無さそうな先生が現れた。
仮眠して
深夜のアルバイトをして
バンド練習をした後
さらに仮眠した後
研究室に伺うと、クビになった理由を問われたので
夜を徹して池袋に座り続けた理由を話した。
「音楽すきなんだねー、音楽を頑張ったらいいよ。」
と最低限の部分さえこなせば卒業させてくれる約束までくれた。
捨てる先生あれば、拾うもやしあり!
もやしヒョロ眼鏡は続けて自分の事を話してくれた。
僕の大学の先輩である事
映像研究会で江川達也(東京大学物語の作者)らと楽しんだ事
現ガイナックス(エヴァンゲリオン等)のメンバーと切磋琢磨してた事
そんなこんなで卒論はゴミみたいなものしか出せなかった事。
会社を経営していた事
その会社を倒産させてしまった事
もやしヒョロ眼鏡のドラマチックな人生が!
と衝撃を受けていると
会社を倒産させて気付いたことがある、と続けた。
自分が良い状況の時には人が集まってくる
でも良くない時には離れていく
そんな状況で一人だけ離れて行かなかった人がいた
それが今の妻だ
これから良い事も悪い事もたくさんあると思うけど
良くない時にも一緒に居てくれる人を大切にしなさい
それが仮眠しかしていない僕の胸にとっても響いた。
もやしヒョロ眼鏡は
ゴミみたいな卒論を提出した僕の卒論を受理し、卒業させてくれた。
そして僕はプロミュージシャンを目指し音楽の専門学校に進んだ。
そして順当にプロミュージシャンを諦め
システムエンジニアとして就職し
非営利の異業種団体で活動したりしながら
複数のバンドに所属し
念願叶いCDも幾つかリリースし
色々な経験をした。
そんな中で意識高い系の大学生達にあてられ
自分の価値観と全く違う人と何かをやる!
と一念発起して脱サラを決意。
その中で全く理解できない変態と出会い
「ケーキ屋さんをやりたいの、カフェでも良いか」
というので全く未経験の僕はその変態と
ケーキ屋ともカフェとも言えぬお店を始めた。
未経験者である僕の戦闘能力は限りなくゼロに収束していて
ただのお荷物でしかなかったのだが
洋菓子、料理、ドリンクとお店の全てをこなす変態の戦闘能力は
カウンターを破壊するほど高く
色んな雑誌にも掲載され3年間順調に業績を伸ばし続けた後
変態は結婚・妊娠し、料理未経験者の僕にこう語り始めた。
「明日から料理作ってね」と。
・・・そんな事ある?
全ての料理のメニューに斜線を引き
料理屋に料理がない!と
来客をドン引きさせてから始まった僕の料理人生が
今もまだ続いているのは日本七不思議の一つとも言えるだろう。
そんな不思議の甘い香りに誘われた10匹のカブトムシというのも
変態を先頭に元アルバイト、飲み仲間、常連と
全ての料理メニューに射線をひいてしまった
僕のダメな時期も一緒に居てくれた連中なのだ。
今日も組織作りに頭を抱えながら
もやしヒョロ眼鏡とのあの会話を胸に
ダメな時期も一緒に居てくれたこいつらを大切にするんや
幸せにするんやと
やっぱり頭を抱えるのだ。
もう頭痛い。
どうでも良い話だが
卒業して、専門学校に行ったはずの僕は
必修の単位を1落としていたらしく半年間留年してしまったのだ。
卒業を機に専門学校に入学するつもりが
食い気味に
いや
シンコペ気味に入学していたのだった。