DesignShip2024感想|これ以上デザインを拡張するのは止めにしよう
この度、10月12,13日の2日間に渡り開催されたDesignShipに遊びに行ってきました。今年が初参戦です。
参加した上で、自分の中にあるデザインに対する反吐が出そうなモヤモヤした気持ちを、吐き捨てるか、ぐっと飲み込むか。とにかく何かしら整理をしたくて、書いてみました。
はじめに断っておくと、これは感想ではなくポエムです。
もしこれを読んでくれた皆さんは、拡張されるデザインをどう捉えているか、ぜひ教えていただければと思います。
デザインは全てを救うというテーゼはそろそろ辞めてほしい
デザインに関するテーゼ
そもそも、デザインがここまで神格化されつつある背景には、現在デザインというものにこうしたテーゼが存在するからのように思う。
まさにDesignShipが体現していそうなこのテーゼは、私にとっては毒薬のようなものだ。
自分なりのアンチテーゼ
それに対して、私はあえてこうアンチテーゼを示したい。
デザインは好きだ。
そもそも私がデザインの力に求めるのは
物事の見方を変え、全く新しい気づき、発見を与えること。
たったこれだけ。だからこそデザインが好きだ。
本当の意味でのデザインは、正しくデザインの使い方を知っている人の手で、正しい方法で、正しい方向に向けてられる必要があると思っている。
デザインは広がり過ぎないでほしい
だからこそ、「広がりすぎたデザインを接続する」必要もない。
というか、広がり過ぎないでほしいと思っている。広げ過ぎだ。
気持ちとは裏腹に、悲しいほどに広がりすぎる現在のデザインの実態と、その未来を、DesignShipに参加して感じてきた。
広がることで形式化されすぎた
とにかく形式化され過ぎてやしないか。
例えば、UXデザインやUXリサーチはこうだ、みたいな発想などだ。
「共感を高めるにはワークショップが有効だ!」と。手法だからと、みんなワークショップをやりたがる。
このような、形式化が、今のデザインの潮流には求められ過ぎではないか?
広がり、取り込まれることで形式化は進む
実行力を高めないと、社会の中ではデザインの力を認めさせることができない。形式化し実行力が高まったから、これだけ広がってきたと言える。
それはわかる。それにしてもいろんなことが形式化されすぎじゃないか?
デザインが拡張し過ぎて誤解されている
形式化することや人を巻き込むこともデザインである!?
形式化だけならまだしも、形式化が求められるデザイン環境の中では、以下のように、デザインの解釈の拡張がどんどん生まれてきている。
誇張表現だが、DesignShipではこんな話が繰り広げられていたように思う。
いやいや・・これは大いなる誤解ではないか。
コミュニケーションデザインや組織デザインがあるからといって、全てがデザインではない。
もちろん、デザイナーとしてそれを仕事でやっていくのは当然と思うし、デザインがこれだけ市民権を獲得した状態で、実行や環境づくりがデザイナーに期待されることは仕方のないことだと思う。
さらに、デザインはあらゆる領域で "活用" されているので、あらゆる領域で力を発揮できることもまた、当然だ。
でも、それを中身もよくわからないままデザインだと言ってしまうのはかなり無理があって。
"ただやるべきこと"はデザインではない。
無理やりデザインと結びつけないで。
私にとっては、そうしたものはデザインをしていくための準備であり、作業なんだ。そんなことまでデザインと呼ぶのは、自分で自分の首を絞めることになる。
デザイナーだからって、全てデザインと呼ぶ必要はないんだよ、と声をかけてあげたい。
デザイナーがデザインをしている瞬間は、ある一瞬だけでいいんだ。全部がデザインである必要はない。ある意味、それだけデザインの力に期待している。
拡張され重くなる"デザイン"の船はどうなる
重くなるデザインの船。期待できなくなる馬力。
ただの実行計画や作業も、デザイナーがやっているからデザインの一部。デザインの工程だからデザインの一部、といった、拡張解釈。
DesignShipというデザイナーが集まるイベントでそれを自己認知して発信し、社会全体に広まっていく。
すると、デザインには多くの重みがのしかかる。
結局デザインに期待しなくなってくる。
なぜなら、究極はあって当たり前の単純作業 = デザイン になってくるから。
沈没する前に拡張を止めてくれ。
『デザインでは全て救えないし、下手に活用しない方がいい』 と言いたいのはここに理由がある。
その本当の力を信じたいからこそ、どうかこれ以上船を拡張し過ぎないでほしい。乗員を、荷物を、道ゆく海原のレベルを上げ過ぎないでほしい。
だってほら、私の求める"デザイン"が今にも沈没しそうではないか。
デザインは視点の出発点であり続けてほしい
デザインの力で常に光を与えてくれ
再度言いたい。デザインに求めたいのは「物事の見方を変え、全く新しい気づき、発見を与えること。」だ。
実行は誰だってできるんだから。
デザインの領域を拡張して、計画や実行に能力を使ってないで、
どの角度から、どのように物事を見たらいいのか、常に光を与えてくれ。
それがデザインの力じゃないか。
違うところに力を使って、デザインを沈没させないでほしい。
常に信じさせてほしい。デザインは視点の出発点だと。
私はただそれだけに、期待しているのだから。
おまけ|光をくれたKeynoteセッションやあれこれ
全てではないですが、Keynoteセッションを聞きました。それらは、自分が期待するデザインの光の灯火を与えてくれました。やっぱりデザインが好きだと、こんなに無駄に拡張する中でもその灯火は失われていないと。
橋田 規子先生|エモーショナルデザインの実践
菅 俊一先生|問いが世界を拡げていく
また、六本木の会場の近くにある2121に寄り道しました。
今回の視点の出発点は廃棄されるごみやうんち。循環を社会のさまざまな角度から眼差したくなるテーマでした。
追記:2024/10/24 追記
多くの方に読んでいただいており、みなさんデザインについてモヤっとされている部分が少なからずあるのかなと想像したりしています。
Xもやっていますので、ぜひフォローや何かご縁があればメッセージもお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いします。