「性的マジョリティ」なんてもはや存在していないのでは・・・?という話。
いわゆる「性的マイノリティ」を指す言葉である"LGBT"や"LGBTQ"という言葉たちは日本内でも結構浸透してきたと思う。
「マイノリティ」(少数派)がいるということは、つまり「マジョリティ」(多数派)もいると考えて自然なわけで、基本的にそのマジョリティというのはシスジェンダー(体の性と心の性が一致している人)でありヘテロセクシャル(異性愛者)の人たちのことを指している。
「マイノリティ」の人たちが差別的な扱いを受けたり、「マジョリティ」の人と同等な権利を得られていないのは、この「マジョリティ」の人の関心やアクションがまだまだ足りていないからだと思う。
ではなぜ、「マジョリティ」は「マイノリティ」に関心を向けたりアクションを起こしたりしないのか?
それは、自分たちは「マジョリティ」だから、今のまま何をしなくてもある程度の権利や自由はあると思っているからだろうし、「彼ら(マイノリティ)は自分たちと違う、別枠」という気持ちがあるから共感をしにくいのではないかと思う。
でも最近思ったのは、
「もはや性的マジョリティなど存在しないのでは…?誰しもマイノリティとも捉えられるのでは?」
ということ。
それは、2,000以上の組み合わせの中から自分のセクシャリティを診断してくれる「anone,」で自分のセクシャリティを診断してみて思った。
この診断では、自分の性を「こころの性」「恋愛的指向」「性的指向」「表現したい性」の4つにわけて示してくれる。
そしてそこでわかったのは、例えば「マジョリティ」であるヘテロセクシャルの人でも、同時にサピオセクシャル(相手の知性に魅力を感じる)やデミセクシャル(強い信頼関係がある人に惹かれる)、ガイネセクシャル(相手の女性らしさに惹かれる)等々本当に色々なセクシャリティに属し得るということ。
そりゃたしかに2,000以上の組み合わせがあるわけだ。
となると、一概に「ヘテロセクシャル」といってもその中でもまた細分化することは可能なわけで、そうやって分けていくともはやみんなバラバラ・・・?あれ、ある意味みんなマイノリティ・・・?ということも考えられるのではと思うようになってきた。
これによって「みんなマイノリティだからもう他者への配慮は必要ないね」
と言いたいわけではない。
「マジョリティ」として対岸の火事として「マイノリティ」の人が直面している問題を眺めるのではなく、自分もマイノリティに属している/属し得るという自覚を持って自分ごととして捉えると、少し問題の見え方が変わり得るのではないかなと思う。
私自身はずっと「マジョリティ」に属していると思っていて、今のところシスジェンダー且つヘテロセクシャルだけど、anone,をきっかけに、自分のセクシャリティはそれだけではないと知って自分も「マイノリティ」に属していると言うこともできるのかもしれないと実感した。
他人事を他人事で終わらせずに、自分ごととして捉えてみる。
そうすることで、他人にも自分にも今より優しくなれるかもしれない。
写真:ベトナムで見つけた猫ちゃん。今日(もう昨日か)は猫の日らしいので。