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キャンプが世界を救う。

ある本を読んで、今生きている世界の改めて考えてみるとスッと答えられないような、それでも身近な問題について考えさせられました。

世の中になぜ、格差があるのか
歴史を遡っても、支配者と隷属する人々の関係がありました。
機械が誕生していても人間が働かなくてはいけないのはなぜ?

または、私たちを取り巻いている経済の仕組みについて、本当にわかりやすく書かれていました。

身の回りに取り巻いているにもかかわらず、どうしてこんなに知らないことがあるのか衝撃を受けました。

考えていなかったことばかりで、新しい発見にどんどん読み進めていました。

どの本がこちらです。

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

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どうしてこんなにわかりやすい本ができたのか、ヒントは訳者のあとがきにありました。

筆者はギリシャの財務大臣を経験したことのある、経済学者ヤニスバルファキスさんです。

大臣らしからぬ、スキンヘッドとバイクに乗る姿から正解のブルースウィスルと呼ばれていたとか。

この財務大臣時代、経済危機に陥っていた自国を救おうと行った改革が国民に理解されず、増税や社会保障費の削減によって非難や反感を買っていたそうです。

そのまま、何も成し遂げることができないまま辞任に至ったという経歴があります。

この失敗の原因の一つに、国民の無知があったのだと思います。
政治が一体何を行っているのか、理解できず、あるいはメディアのスキャンダルに踊らされてしまったのかもしれません。

我に返って自分はどうだろうか。
経済の仕組み、「国家と銀行の関係」など明確に説明できるだろうか。

ちょっと自身がありません。

経済について書かれた本を、読んだことはあまりなかったのですが、タイトルや書評に惹かれてとりあえず読んでみることにしました。

これからの時代を創造して行きたければ、知っておきたいことばかり。
オススメの一冊です。

この本で私が学んだ内容をかいつまんでお話ししたいと思います。

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

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明日食べるものをお金で買うのが当たり前

お腹が空いて、ご飯を食べる。
その中の食材を全て自給している人はなかなかいないと思います。

食べたいものを売っている場所で買って、調理して食べる。

これが今の人たちの大体が思い浮かべる食事だと思います。

縄文時代あたりに遡れば、全く違った生活をしているはずです。
自分たちが食べるものを育てたり、狩りをする必要があります。

狩猟民族は、狩に出た男たちが動物を捕まえてくることができなければ、一族もろとも生存の危機です。

それに反して農を発見した民族は彼らよりも圧倒的な安心を得ていたでしょう。自分たちが食べるものを育てることで狩猟よりは安定的に確保できる。

次第に作物がとれない冬にいかに食べ物を残すかを考えるようになり、さらには不作の年も生き延びれるように、蓄えることが始まります。

これが動物として、大きな爪や鋭い牙を持たなくても、生き残りそして今に至るまで繁殖してきた歴史のはじまりでした。

余剰が文字をうみ、お金をうむ。

私たちが行きている世界は、余剰から始まっているのです。

未来の価値を予測してお金を描く

借金はなぜ可能なのでしょうか。

お金をお米で考えると、とてもお腹が空いているから来年取れる分を前借りして今食べたい。

そんなことできるわけないと思いますが、等価交換のはずだったお金はそれが可能です。

詳しく言えば、銀行にはそれが可能です。

一年後や二年後、貸した相手がそのお金を元にして返していけると予想してお金を貸してくれるから、借金ができる

ただその予想すらも、状況によって変化する。
私たちが銀行に預けているお金を元に銀行が運用しているというのがもともとの姿でした。

でも、今が苦しい銀行は、手元にお金がなくたってお金を描いて借りたい人に貸す。その人が作り出したお金で、描いたものを現実のものにしていく。

こういう仕組みを知っていくと面白い。

なんとも不思議な世界です。

この先を詳しく知りたい人は本書を読んでみてください。

生活を未来により価値のあるものを作ると信じて私たちは行きていて、それがこの売り買いをする世界を動かしている。

企業して融資を得ることは未来の価値を前借りしているということだし、

本書はある話題で締めくくられています。

守るべきもの

こうして、農から始まった余剰が、未来から価値を借りることができるようになるまで、長い時間をかけ発展してきたことは人類の成果です。

しかし、地球というフィールドがなければ、もう進化することはありません。

どんだけお金があったって、大地がなければ意味がない。

人間の文明を発展させ続けてきたこれまでの歴史が、人という種を超えて地球にまで害を与えていること。

これ以上の発展で人間を幸せにするのか、について改めて考えていく必要があると思いました。

新しいテクノロジーで環境を改善していこうという動きももちろんあります。

いくらデジタル化したって、データ量が増えれば圧縮するために冷却施設を必要とします。

けれど、長い歴史の中では共存していた時代もありました。
生活を自給していた頃の方が、環境にアクションを起こすことが簡単だったかもしれないですね。

人間は、自己犠牲の行動をとることができるけれど、地球規模の変化を必要とする行動には、やっぱり人間にとっても心地よい、楽しいことが大切だと思います。

山に登ってスッキリしたり、海で泳いで気持ち良かったり、自然を肌で感じれば山が燃えていくことやサンゴ礁が死んでいくのを身近に感じると思います。

それがなくなったら悲しいから、困るから、行動する。

ということでキャンプがこの世界を救うと言えるかもしれません。

ということで、来週はキャンプに行ってきます。

いただいたサポートは、花と民芸の表現の追求にあてさせていただきます。