
ニューギニアの人食い部族
81歳になるバイデン アメリカ大統領の発言が話題なっています(2024年4月)。
生まれ故郷のアメリカ・ペンシルベニア州で、戦没者の慰霊碑を訪れた際の発言。
「第2次世界大戦中にニューギニア上空で撃ち落されたおじの遺体は、ついに見つかりませんでした。なぜなら、その地域には人食い部族が多くいたからです」
年齢を考慮して、記憶違いの可能性を指摘するコメントが多い。
ニューギニアといえば、先の大戦で小生の父が出征した戦場です。9割以上の日本兵が戦死したというわれるニューギニア戦線ですが、幸い生きて帰ってきました。
小生が幼少のころ、我が家でニューギニアでともに戦った兵隊たちが集まる戦友会が開かれ、さまざまな思い出話をしていました。
ニューギニアに上陸して戦った相手は、オランダ兵。当時、ニューギニアはオランダの植民地でした。その植民地を守る兵隊です。おそらく日本軍のほうが数量に勝ったのでしょう、オランダ兵は降伏して捕虜にしたのはいいのですが、日本の戦況は悪化し、食料や弾薬の補給は途絶え、見捨てられた状態でした。いわゆる棄兵です。
原住民からの食料の差し入れもありましたが、自らの食料にも事欠く状態では、とても捕虜の分まで賄えません。
原住民はオランダ統治下では奴隷状態で強制労働させられていたようで、日本軍はある意味、奴隷解放軍的な存在だったらしい。
原住民はオランダ兵を引き渡すように求め、やむなく原住民の意向にしたがい、オランダ兵のほか、プランテーションの農場主一家も引き渡した。
そして、兵隊の人数、農場主一家の人数もわかりませんが、すべて跡形もなく、いなくなった、といいます。
戦友会では、引き渡したその日に悲鳴を聞いた、とか、引き渡すときにオランダ兵や農場主一家の人たちがすがるような目でこっちを見ていた、などの話があったのをうっすら記憶しています。
バイデン大統領、高齢の割には記憶は確かなのかもしれません。
戦友会の面々は、といえば、一人減り、また一人減り、平成の時代には消滅してしまいました。