引用日記⑰
重要なのは,ペレズヴォンがペレズヴォンでありながら同時にジューチカでもありうること,イリューシャがそのような思考の可能性に気づいたことである。ジューチカがジューチカだったこと,考えてみればそれそのものが偶然だった。そもそもそれは野犬の一匹にすぎなかった。だからぼくたちは,ジューチカが死んだあとも,もういちどジューチカ的なるものを求めて新しい関係をつくることができるし,またそうすべきである。それが生きるということだ。山城はつぎのように記す。「ペレズヴォンがジューチカであることによって,それ[イリューシャとコーリャの関係]がまったく新しい別の関係,カラマーゾフ的な兄弟愛に置き換えられたのだ。森明正が「復活」と呼んでいるのは,ペレズヴォン,コーリャ,イリューシャの「邂逅」によって生じた,出来事としてのこの新しい関係のことなのだ」。
東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、2017年)
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