引用日記⑩
できることなら、できるだけぶっきらぼうに詩を書きたい。内容はぶっきらぼうな詩も、ぶっきらぼうでない詩もあろうけれど、書き方はぶっきらぼうに。
けれども、いつも事志に反してしまう。
徹底してぶっきらぼうに書くならば、最後は詩なんてものを書く必要もないところまで行くのだろう。けれどもその時、実はいちばん詩が書ける状態に居るのでなければ、意味がない。単なる枯渇にすぎないだろう。
なぜこんなことを考えるのか、よくわからない。
私は詩というものを無用なものともくだらないものとも思ってはいない。逆に、詩は有用であり、すばらしいものだ。ただ、私自身の詩について思うときは、一度もそういうことが念頭に浮かばない。
有用ですばらしい詩は、いつでも他の人が書いている。千年も、また五十年も前に。
だから詩の世界は広大で、多様で、生きるに値する。
大岡信『火の遺言』(花神社、1994年)あとがき