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19年勤務した会社を辞めた勇気
2025年2月に、新卒で入社して19年勤務した会社を辞めました。
私が職場を離れるだなんて、
ずっとずっと思いもしなかったことです。
自分でも信じられません。
今日は辞めることにした経緯について、
書いていきます。
タイトルに「辞めた勇気」と書きました。
これは私にとって、会社を辞めることは、
本当に勇気のいることだったからです。
私は会社に執着していました。
私は新卒でメーカーに入社しました。
大学では英米語を学んでいたため(←その割には驚くほど英語喋れない)、海外に関わる仕事を望んでいました。
最初は生産管理に配属されましたが、
入社半年後、輸入業務を行う部署に異動となりました。
異動当初は、全然輸入業務に携わっていませんでしたが、
1、2年ぐらい経ち、輸入業務の仕事をさせてもらえることになり、うれしかったです。
そして、途中、国内からの仕入担当、その後、輸出業務も担当し、
いつの間にか、当初希望していた海外に関わる仕事ができていました。
何回か海外関連会社に出張したり、
ある時は、自腹で旅行も兼ねて、マレーシアの関連会社に見学に行ったりもしました。
自腹でも行きたいぐらい、どうしても工場見学したかったのです!
自分のやりたかった仕事もでき、
楽しんで仕事できていました。
月曜日仕事行きたくない気持ちになる「サザエさん症候群」もなったことありませんでした。
そんな中、2020年に新型コロナウイルス感染症がやってきて、それは私にとって転機となりました。
感染症対策として、在宅勤務が始まりました。
そして、その頃、スピリチュアルに出会い、そこから、私の価値観が変わり始めました。
1、2週間在宅勤務をして、
久しぶりに職場へ行くと、
今まで普通にやっていた業務に対して、
疑問を持ち始めたり、
忖度のようなものに違和感を感じました。
以前のように、熱意を持って、頑張れなくなりました。
一度、特に仕事が嫌すぎたとき、
体調を崩し、回復して出社したものの、
またすぐ体調悪くなるを繰り返し、
一ヶ月ぐらい不調が続きました。
そして、その後遺症なのか、体が弱り、
その後1年ぐらい、毎月のように体調不良を繰り返しました。
でも、その頃はまだ、
自分が職場を辞めるだなんて、
全く考えていませんでした。
たまに奇跡のようなことも起こったからです。
「これがやりたかった!」という主業務以外のプロジェクトに出会い、邁進できたり、
人間関係が楽しいものになってきました。
突然、パワハラ上司が職場を去ったり、
私は一時期、苗字ではなく「下の名前」で呼ばれたい、
と思っていた時期があり、
上司が「下の名前で呼び合おう!」と提案してくれたときは、
その奇跡のような出来事に笑ってしまいました。
このように奇跡はたまに起こるけれど、
以前のように頑張れませんでした。
楽しく仕事できる工夫もしたり、
輸出入の仕事から、部署異動希望も出しました。
部署異動は叶ったものの、結局、同じような仕事の部署で、変わり映えしませんでした。
それでも新しい部署で、
「嫌なことを楽しくする努力」をし続けました。
2024年秋、ある考えに出会いました。
「嫌なことを無理やりポジティブに捉えること」
「嫌なことを楽しくする努力」
それらは無駄ということ。
「今まで私は何をやってたんだろう……」
と衝撃を受けたけれど、
その一方で、ホッとしました。
これらの言葉は、
「もう嫌なことは頑張らなくていいんだ!」
と私を解放してくれました。
「まだまだやることがあるのではないか」
「もっと職場から学ぶことがあるのではないか」
と思っていましたが、
そもそも、熱意を持って頑張れない自分嫌だなぁと思えてきました。
「嫌なことをポジティブに捉えるゲーム」を辞めたいと思いました。
辞めたいと決意したら、
その翌日に訪れたネイルサロンでシンクロがありました。
担当してくださった方は、
40歳ぐらいで今までの仕事を辞め、やりたかったネイルの学校に通い、ネイルサロンで働くことになったとのこと。
「本当に年齢関係なく、やりたいことできるんだ」と勇気づけされました。
このお話を聞いて、翌日、職場に退職を伝えました。
私は職場に執着していました。
私の働いていた職場は、
地域ではある程度の知名度があり、
給与面、福利厚生面、働き方など、恵まれている方だと思います。
この職場を離れたら、次の職場は、
「もっと給与が下がる」
「何も資格なく、特別なキャリアもない40代なんて、働ける場所なんてない」
「これ以上、恵まれた職場はない」
と、家族に言われていました。
これらは、口には出さない私の内の声を、家族が代弁してくれていたのだと感じます。
中々辞めることができなかったのは、
無力感です。
自分に自信がないからです。
自分に能力がないと思っているからです。
でも、
仮に、仕事も、夫も、子どもも、お金も、
何もかも失って一人になったことを想像したとき、
「なんとかなる!」
とわかりました。
日本には生活保護のシステムがあります。
もちろん生活保護担当の方に言わせれば、そんなに甘くないと言われてしまいますが、
それでも、
一人だったら、今より自分の時間あって、
お金なくても楽しく生きられると分かり、
大丈夫だと思えてきたのです。
怖いけど、それでも何とかなると思いました。
私は次の仕事も決まっていなくて、
今、無職です。
今は、自分にいろいろ挑戦させてあげたいです。
その一つが、一人旅。
こちらのnoteで旅やお出かけについて発信し始めました☆
職場の仕事が悪いわけでもなく、
人間関係も悪いわけではありません。
ただ、私の価値観が変わったからであり、
誰も悪者ではないのです。