大トロのお寿司

 以前大トロのお寿司を前にして上機嫌な父に「ねえねえ、それ(大トロ)ちょうだい?」と、意地悪な試練を与えてみた。"試練"なんてあまりに生意気な表現であるが、その質問で父を"試した"のは確かである。

 すると父は0.1コンマの迷いも躊躇いもなく「いいよ!」とお寿司を差し出してきたではないか。まさかの反応に私も戸惑ってしまい「いやいや、冗談だよ。ちょっとは嫌な顔してよ。」としどろもどろに言うと、「いや、最高に美味しいからあげたいんだよ!食べな!!」と言うではないか。「最高に美味しいなら自分で食べなよ、大好物じゃん。」と心で呟きながら、私は父の大トロのお寿司をいただいた。最高に美味しかった。

 父とは物心ついた時から仲良しだったし、私は父のことが大好きだった。勿論、今も大好きである。よく周囲から「なんでお父さんと仲良しなの?」と聞かれるたびに、なぜなのかを自問自答してみてはいるものの、いまいち明確な答えは出せていない。年齢が2回りしか変わらず友人のような存在だからなのか、私以上に流行りの音楽やおしゃれにめざといからなのか、生まれた時から今の今まで私を凄まじい愛で包んでくれるからなのか。…それである。

 物心ついた時から父は私に優しかった。あまりにも優しかった。勿論叱られることもあったけれど、それでも圧倒的に優しかった。「18時に迎えにきて」とお願いしておいて、友人と遊ぶことに夢中になって20時に約束の場所へ行っても「おつかれさま!」と笑顔で車内から声をかけてくれた。中高6年間殆どの朝、学校まで車で送ってくれた。何かをねだれば大抵は買ってくれたし、仕送りが足りないともじもじお願いすれば、こっそり通帳にお小遣いをいれてくれた。

 こんな話をすれば「ただのクソ娘製造機ではないか」と言われかねないが、これが決して当たり前でないこと、どれほどまでに父が私に甘く優しく接してくれていたかをそれはそれは痛感できるほどには、私も常識をもって大人になることができた。

 (勿論、こんな薄いエピソードばかりではなくもっと奥が深く胸が熱くなるようなエピソードが何億もあるのだが、それについてはまた別の機会に書くこととする。)

 私自身教師をやりながら、ふと思うことがある。"人を育てる"とはどのような接し方が正解なのか。とにかく厳しく正しくあれと鞭を打ち続けるものか、あなたは十分頑張ってる。つらければ逃げてしまいなさい甘く囁くべきものか、横に並んで一歩一歩一緒に声を掛け合いながら模索していくものか。きっとどれも正解で不正解なのである。なんと曖昧で矛盾の生じる言葉であるが、正解はないし、不正解もないのである。だからこそ、この問いは2024年の今もほとんどの人が答えを出せないのである。

 だけれど私の仕事はそれでは終われない。実際に目の前の子ども成長させていかねばならない。ましてや人様の子である。適当な指導など決してあってはならない。しかし…この堂々巡りである。

 ある時ふと父の顔が浮かんだ。底の見えない大きな大きな愛で私を包み込み、私の全てを受け入れた深い深い父の愛を思い出した。

 生きていると様々な人と出会う。様々なもの、事柄、価値観…それはそれは様々なものに出会う。良いことも悪いこと嬉しいことも悲しいこともそれはそれは多くのことを経験する。その中で自分なりに考えて模索して成長していく。…そう!人は勝手に成長していく。私の心配なんてなんのその、勝手に成長していくのだ。色々な人に出会って様々な感情を刺激されて、どんどん進んでいくのだ。

 だったら私はこの子にとっての"父"になろうではないか。底のない愛情で包み込んで満たしてやろうではないか。どんなわがままも甘えも大きな愛で満たしてやろう。道を間違えた時はそっと戻して。なにごともなかったかのように褒めて褒めて心を満たしてやろうではないか。

 日々生きているだけで追いつかないほどの感情を抱く。時にはどうしようもなく辛い目にあうこともある。そんな時、どうしようもなく大きな愛の存在を感じられたら、少しは心が軽くなるのではないだろうか。もう少しだけ前を向く力がわくのではないだろうか。大きな愛があるからこその謎の自信をもって、もっともっと大海原へ漕ぎ出す勇気を持って欲しい。かつての私のように、溢れる好奇心で世間に揉まれに行ってくれ。たくさんたくさん経験して傷ついた時はそっと帰っておいで。私の愛一つで誰かの人生を左右するだなんて自惚れているわけではないけれど、私の愛"なんか"が、誰かの心を軽くできることがあるのならば、私はその"なんか"を全力で与えたい。

 私の娘も先日1歳になった。食べられるものと増えてきて、やれることも増えてきた。先日、自身のご褒美にと楽しみにしていた高級なお菓子を娘が食べたがった。私は0.1コンマの迷いも躊躇いもなく娘にあげた。自分の中に父を感じて嬉しかった。私もあの日の父のように、娘に無償の愛を与えられる人間になりたいと切に願う今日この頃である。




 父が今、私のこと以上に溺愛するガールズたちを添えて…🐶

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