さらば、千里中央行き
2024年3月23日、北大阪急行電鉄の千里中央〜箕面萱野間が開通する。「大阪の大動脈」こと大阪メトロ御堂筋線に乗り入れすることで、箕面市内から梅田、なんば、天王寺など大阪市内主要駅へ乗り換えなしで結ばれるようになる。北陸新幹線金沢〜敦賀間に次ぐ新線開業で、関西ではこちらでフィーバーが巻き起こる予感。
一方で長年見られた行き先が見られなくなる。
それが…
千里中央行き
行き先である「千里中央駅」は大阪府豊中市の北端に位置する北大阪急行の駅。1970年2月に「会場線※」で仮駅開業、大阪万博(EXPO70)閉幕後に今の場所に本開業した。50年以上ターミナルとして親しまれていて、1日の乗降者数は7万人を超える。
大阪モノレールも乗り入れていて、万博公園や「大阪空港(伊丹空港)」へのアクセスも容易だ。駅前のバスターミナルからは千里ニュータウン各地を始め、阪急北千里駅や箕面、吹田方面のバスが多数発着している。「千里ニュータウン」の玄関口で「交通の要衝」ってやつだ。
駅の周辺は商業施設が集積。
千里セルシー(ショッピングモール)
千里阪急(百貨店)
せんちゅうパル(専門店街)
ヤマダ電機LABI LIFE SELECT
一時はこれらが中心的だったが、千里セルシーは耐震性の問題で閉館。千里阪急も建て替えが予定。一体的な再開発もなされることが計画されている。
「セルシー」にある「セルシー広場」のステージではアーティストやアイドルがリリースイベントを行う名所として知られてきた。閉鎖した今は過去帳入りだ。
大阪人は「千中(せんちゅう)」と略し、親しんできた。「せんちゅう行こー!」なんてフランクに行けるところで、御堂筋線を使えば一発で行ける。
御堂筋線では北行きの半分ぐらいが「千里中央」を表示。昼間は「新大阪行き」と交互にやってくることが多く、御堂筋線に乗ったら出くわす確率が非常に高い。
「中川家」がネタにしたことで「中津行き」が大阪以外でも知られるようになった。ただ、これはラッシュ時しか見られないマイナー。大阪の地下鉄で一番メジャーな行き先は「千里中央行き」と言っていい。100人の大阪人に聞いたら全員そう返ってくるなんて言ってもいい。知らんけど。
ただ、その駅が大阪メトロじゃない別会社の駅であることは北摂(大阪北部)以外ではあまり知られていない。路線距離が短いし、ファンや地元以外では御堂筋線というひとつの路線という認識。見た目が違ってもそこはどうでもいいかもしれない。
それぐらいのブランド力が大きい駅名が華々しい影で消えてしまう。発表されたダイヤに「千里中央」を表す印は一切なく、千里中央へ向かう列車は全て「箕面萱野」を出すことになる。南行きもほぼ同様、朝5時台の最始発列車が千里中央発以外は箕面萱野が始発となる。
4歳手前まで北大阪急行沿線に住み、少年期も大阪在住の母方のおばあちゃんに会いに行くたびにこの行き先をたくさん見てきた。個人的にも馴染み深い行き先は過去のものとなってしまう。どことなく切なさを感じる。
だが、裏を返せば「新時代の幕開け」。これまで、御堂筋線の影で隠れている「バーター」のようだった「北大阪急行」も、メディアを通じてかなり注目を集めている。元沿線民としてこんな嬉しいことはない。職場の会話の中で「北大阪急行」というワードを出したら「あ!ニュースでやってた!」と反応してくれる人がいた。知名度は確実に上昇している。
北陸本線の区間短縮と北大阪急行箕面延伸はいずれも僕が幼少期、少年期にお世話になった路線に関係する。この2つとも奇しくも同じ年、同じ月に大変化をもたらす。この偶然みたいなこともどことない嬉しさ。
そうは言っても、御堂筋線から消えてしまう「千里中央」という表示。幼少期からのノスタルジーであり、「大阪人心の行き先」だと聞いたことがある。それだけに惜別の思いが強い。開通から何ヶ月かしたら「箕面萱野」という行き先には慣れてくると思うが、やはり、こういう瞬間が一番やんごとない寂しさがある。
こうやって、寂しさに浸るのもいいが、また開通早々「箕面萱野」と「箕面船場阪大前」行ってみますかな。