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傷つけたくないねん。

この同じ日、バイトリーダーはこういうことも言っていた。

自分(→関西だと、二人称)優しいから言わんけども…(略)

と言っていた。成長が感じられず、ただただ恐怖に慄くのはこういうところも一理アリだし、自分の行動をきっかけにいろんな人を傷つけてきて、それを見てらんなくなって、行動が怖くなったというのも怒られまくる理由だ。

「自分のことしか考えない」「対人関係の漠然とした怖さ」で何をするにしても、傷つけることばかりをしてきたし、僕自身も勝手な行動して、命を落としかけた過去がある。その上、妹を幾度となく泣かせたりゲームなどでマウント取りまくったりして、親からカミナリを食らったことも枚挙に暇が無い。その上、ギャグのつもりが親を泣かせた、なんてこともあった。

そうやって、「怒られたくない」「傷ついている相手が見てらんないし、『火に油』を注ぎたくない」「優しくなりたい」などいろいろ思って、反省しやったつもりだったが、それが心配されたり、嫌なことに歯向かわずに優劣問わず、相手の言うことを鵜呑みにしまくる原因にもなった。

結果、「優しい」「真面目」などと評価されることもあったが、行動できなかったり他人を頼ることにカッコ悪さを覚えて口を閉ざしまくったり、自分の気持ちを吐かないままに、言いなりになっていったりした。

最近になって、悪い友人関係を断つこともあったが、良いか悪いのか分からなかったし、ネットワークが狭く、「言っても分かってもらえなさそう」と思い込んで1人で抱えたり、辞めんでも良かったところから最低限の報告だけして去ったこともあった。こういうことで後輩で当時の軽音部長が「ゆうきさんが辞めるのは違うと思います!」とありがたい言葉を受け取った。でも、二転三転は迷惑だ、と思ってその言葉を素直に受け取れなかった。OBとして会いに行くと辞めたことをめちゃめちゃ悔やんだ。

「助けて!」などと叫ぼうにも助けてもらったとて、自分の情けなさを責めるしかなく、ありがたいとは思ったことすらない。列車で転がったスーツケースをキャッチしたり、隣の車両へ移ろうとしていたベビーカー持ちのママさんのアシスト、忘れ物の届け出など、助けになることは自分を良くするためにすることはするが、自分が助けられても、身近に対しては申し訳ないと思うしかない。

いろいろ変化は感じるところがあるが、そういう感じで仕事していると、ダメダメさが露呈するし、むしろそれが大嫌いと避けてきて、不可避だった場合は自分を責めるしかなかった。今は言葉の裏を考えてはみているし、逆に傷つけている現実を打破できるのか思い悩んではいるが、挑戦してうまくいかない、となったときがむしろ怖かったりしている。

いろんなところに話が転がり、「何が言いたいねん」となるかもしれないが、

優し過ぎて、逆に迷惑かけてるし、自分にも迷惑かけてる。

というところ。長所とは言われたが、こうなってしまうと一番の弱みなのだと思う。だから変わりたい思っても三日坊主になるわけだし、もうそんな気もしてる。そういうことを誰にも言われなかったか、言われても何も考えなかった。でも、このままだったらどこ行っても「お荷物」になることは変わらないし、今の場所で何かしらの打開策は考えないといけない。ラフで容易く考えたほうが良いとは聞くがなかなか腑に落ちない。「ナメとんのか」「調子乗んな!」と叱られないようにという気持ちがまたよぎりそうだが。

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Yuki(ゆうき)
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