5時起きし、国鉄特急、会ってきた。
たまに5時半起きして列車に乗るのが楽しみな僕。普段は土日は出勤であまりできない。平日も混むのを少し敬遠する。ただ昨日、久々に土曜が休みになって会いたい列車に会ってきた。
5時起きし「18きっぷ」とともに西へ。
炸裂する「邦ロック魂」
道中は「乗り鉄」で混み合っていた。そんな中で邦ロック好きの魂が反応する光景を見た。
あ!レディクレのクローク袋!!!!
年末のフェス「レディクレ」こと『RADIO CRAZY』で荷物を預ける「クローク」の袋を抱えた人。普通列車で西へ帰っていった。僕も1日行ったばかり。まさかこんなところでプチ余韻に浸れるとは。この人はどのバンドを見てきたのだろうか。
ライブハウススタッフの女の子のインスタグラム見ていると、18きっぷで東京へ行っていた。移動のお金を節約したい邦ロック好きの間でも、高速バスといい勝負をする「18きっぷ」。鉄オタ以外が使っていると嬉しくて誇らしい。
「国鉄色」とご対めーーん!!
岡山駅までやってきた。着くや否や反対のホームにお目当ての列車がいた。
赤とクリーム色のこの列車。「特急やくも」の復刻カラーの1つ「国鉄色」だ。
「485系」「キハ181系」など国鉄における昼行特急の標準の色だった。民営化でJRになると各社オリジナルカラーに塗り変わったのが大半。しかし、何度も復刻していたり、国鉄色を維持した列車もいるなど、アイデンティティに等しいカラーだ。
側面には「JNR」という国鉄のロゴを掲げている。これも復刻する上では欠かせない。
滋賀に住んでたとき
滋賀に住んでいるとこのカラーは当たり前の存在だった。特急「雷鳥(大阪ー金沢など)」が廃止されるまでこのカラーを維持していた。
湖西線がメインだったが、強風で止まる際に米原へ迂回し、家の近くを駆け抜けていた。母校の中学校も線路沿いで、音だけで授業から意識が逸れることもあった。そんな10数年前を思い出す。
たくさん撮っていると列車は出雲市へ向けて出発していった。
1998年生まれの僕にとってはJRオリジナルの電車ばかりに世話になってきた。国鉄生まれの車両も多くはJRオリジナルカラーだった。それでも、国鉄色もちょいちょい見かけたし、興奮した。
そんな少年時代を思い出させてくれた「国鉄色やくも」引退までのラストスパート、どうかご安全に。
ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。