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嫁姑戦争勃発・・・成らず!

香港に嫁いだ当初、私の心は毎日嵐が吹き荒れていました。

結婚した途端に毎日お姑の家にご飯を食べに帰っていたからです。そして、食べに行かない日はお姑がご飯を作って私の家に持ってくるのです。

私は自分で料理ができるのに(←結構料理好きな人)



合鍵があるので私が中に居ても構わず自分で開けて入ろうとします。(人が中にいるとドアの前の鉄ゲートが内鍵で開かないのですが

ピンポンも押さず、私が中から開けるまで、ずっとガチャガチャしています。そして私が中から鍵を開けると、私が開けるのが遅くて腹を立てているのか、内鍵を掛けている事自体が結婚前の様子と違って腹を立てているのか何も言わずそのまま踏み込んできます。そして挨拶もなしに、うちのトイレにまっしぐらです。

トイレから出てくると、家で作って持ってきた炊飯器一杯の炒飯や鍋一杯のビーフンをくれるのです。

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そしてテーブルの淵っこを手で撫でるのです。
所謂ホコリチェックというヤツです。
かと言って何も言いません。手についたホコリをその場で指を揉み合わせて落とすと、私達の洗濯機に向かい、洗濯槽の中の洗濯物を私の下着も全てつかみ出して、自分が山ほど作って来たご飯を入れて来ていた空のゴロゴロに、今度は私達の洗濯物を直に入れて去っていきます。

「お義母さん、私達の分は自分で洗うからいいです。」

毎回断っていると、お姑なりにわざわざ頭を使ったらしく、ドアを開けた私が「ああ、お義母さ・・」と言い終わらないうちに、その場で大鍋いっぱいに炊かれたお粥をパスしてきました。私がその大鍋を受け取って両手が塞がったのを見計らい、家に踏み込んでくると洗濯機に直行し、私達の洗濯物を奪っていきました。

**ちなみに香港では、家族同士、親しいもの同士では「你好」なんて言いません。相手の名前、または呼称を呼ぶ事が挨拶となります。

「え?!(そこまでやるか!?)」

私は呆気にとられるというか、そこまでやるお姑にちょっと途方に暮れた気持ちになりました。お姑は洗濯物を詰め込むと何事もなかったように去っていきました。その間一言も言葉を発することなく。

どうやら、同じ棟の上の階に住んでいる離婚して独身のお義兄さんの家に家事をしに行く途中でいつも寄るらしいのですが、何故か自分がこれからキレイに掃除するお義兄さんの家ではなく、いつもうちで用を足していくのです。(コレは後々理由が明らかになるのですが)

で洗濯物を奪っていくのは「どうせお義兄さんの服も洗うし、ついでに私達の服も」というつもりらしいのです。

 わざわざ作ってもらわなくてもと思うような簡単なものばかりを何日も食べきれない量で持って来られる事。
鍵が開かないという事は中に人がいるという事なのに、それがわからないかのように私がドアを開けるまで延々ガチャガチャ激しく鍵を回し続ける事。
うちには洗濯機があるのにそこにある洗濯物を持って行く事。

有難いと言うより、なんて押しつけがましいんだろうという腹だたしさがありました。

そしてある日、いつものようにお姑の家にご飯を食べに行くと、私が手を洗っている時にお姑が何やら旦那Kに小声で話していました。私が手を洗い出ていくとお姑はそそくさと台所に入っていき、その不自然な様子に私がKに、どうしたのかと聞くと、

「母さんが漂白をミスって、ユウの服が色抜けして怒られると心配してるから、俺は『ユウがそんな些細な事で怒るわけないだろ』と言ってたトコだ。大体、自分達の服を洗ってもらってて感謝こそすれ、怒る訳ないよな。」

と言うのです。

そして見せられた服は、よりにもよって、私の一番のお気に入りのメタリックシルバーのブラウスでした。メタリックシルバーの横っ腹くらいのところに、漂白剤がボトボトッと落ちた感じの大きな水滴型の真っ白なシミが幾つかついていました。

コレ、結構高かったのに。腰にタックが入っていて体にフィットする感じが結構カッコ良くて気に入ってたのに。
大体私本人がいるのに、何でKから言わせる?
しかも自分達が「服洗ってもらっておいて?」?感謝???
私は毎回毎回断り続けているのに、おかしな小細工までして奪い取っていった上にダメにしておいて、本人目の前にして謝れないって?

仮に100歩譲って、その労に対して私達が感謝するとしても、そこは「ごめんなさい」では?


と、心の中で荒れ狂いながら口では「ああ、うんいいよ。」と言いました。

Kが「ほらな。たかが服じゃないか、ばかばかしい。言うとしたら母さん、いつもありがとう、だよな。」と言い、親が子供に今言うべき言葉を教えるかのように「あ・り・が・と・う」と私の方を向いて、私を促しました

お姑は「洗濯してあげている」と思っているのです。その苦労を自らかって出てやっていると。

そしてKはこっちが頼んでいるとか頼んでないとか、そんな事はどうでもよく、その労働をしている人が感謝されるべきだと思っているのです。

それが悔しくて腹立たしくて、私はできるだけ怒りも感謝もこもっていない声で「あ・り・が・と・う」と言いました。

頑として頭を下げなかった、頭を下げずに済ます為に私の目の前で根回ししたお姑と、そのお姑を守るために謝罪すべき事を普段の感謝にすり替えたKの母親愛がどちらも私のモノの考え方の許容範囲外でした。

私は全然別の日にKに言いました。

「日本だと結婚するともう独立したという事で、親との交流は激減して、特に女性は嫁に行くと、もう自分の実家とは疎遠になってしまうものだから、こんなに毎日のように親もとに通うのは、家族として本来の姿だとは思うけど、頼り続けているというのが本当に信じられないし慣れないわ」と言いました。

するとKは素直にカルチャーショックを感じたらしく、私の話から「確かにいつまでも年老いた親に負担をかけるべきではない」と思ったらしく(ポイントそこ?)「何で気づかなかったんだろう?そうだ、お母さん楽にしてやらなきゃ」くらいの勢いで、お姑通いは週の半分になったのでした。

 この旦那家族独自のカルチャーが「家族」という一番小さなユニットとして私の生活に大小様々な波を立てる中、更にお義兄さんの離婚を機に中国で生まれ育った娘が香港にやって来て・・・。

(つづく)

これも音楽や格闘技記事並みにすっごい細々とあげていくと思います。


私がお姑に対して抱えている心の闇


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ハザカイユウ
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