すぐに火がつく「脱出」の波
過去に日本軍、そしてイギリス軍の統治下におかれ、祖国中国から切り離されてきた香港。
その結果、色々な物をフレキシブルに受け容れる順応性を身に着け、自分達のルーツを心の奥底にしまい込みながらしかやって来られなかったという事なのかどうか・・私には測り知れませんが、とにかく香港の人達の考えの中には日本人の感覚よりは、はるかに軽く「海外に移民しよう」という選択肢を持っていて、しかもホントに実行します。
私達日本人は、よっぽどの必要に迫られない限り(仕事の辞令とか結婚とか)または命の危険がない限り、というか命の危険にさらされても、自分の郷土と共に生きて行こう、もしくは別の都道府県、地域に行っても、「海外移民」をしようと考える人はまだまだ少数派ではないでしょうか。
以下、ちょびっとだけウィキページを私が翻訳し、説明が必要と思う箇所に私が《 》で括って補足したり余計な事を書いたりしています。
香港の移民ブーム(英語:Hong Kong Mass Migration Wave)は別名「脱港ブーム」とも呼ばれ、香港居住者の大規模な海外移民の波を指しています。
《第一次》1945年の香港解放後《from日本軍》
《第二次》1967年の六七暴動の後《共産派vs香港政府》
《第三次》1984年に中英共同宣言に署名した後
《第四次》1989年の天安門事件の後
《第五次》1997年に香港の主権が中国に返還される前
《第六次》2014年 雨傘運動の後《民主派vs香港政府》
《第七次》2019年の反送中(中国送検反対)運動と全人代が2020年に香港国家安全保障法を制定した後
《大小さまざまな波が起こっていて、それは過去記事にもちらりと触れて見たりしても来ましたが》
政府の統計によると、ピークは天安門事件後の五年間、1990年から1994年に渡って、約30万人が香港から移民しており、これは《第一次の》香港解放以来の大規模移民であり、甚大な人材と資金流出をもたらし、香港の人口構成にも大きな影響を与えました。
注:記事翻訳はここまでです↑↑
つまり香港の前途に不安を感じると、多くの人が移民するのです。
大きな波の影にも、80年代中後期にかけては毎年平均2万人ずつくらい移民しています。
もちろん、「移民」する事は実際、全く簡単な事ではありません。言葉も文化も環境も違うところで一からスタートなわけですから。
香港の人たちにとってもそれは苦渋の「選択肢がない中での選択」でしょうが、日本人感覚と比べたら、もっと普遍化している選択肢であることは間違いないでしょう。
ちなみに、記事翻訳では一つ一つに細かく触れませんでしたが、第一次ブームの香港解放後とは、1945年は、言わずと知れた第二次世界大戦の終結です。
つまりそれは何を意味するかと言うとイギリス植民地としての日々のスタートです。それなのに、香港は何から解放されたと言うのか。
他でもない、日本軍からの解放です。
日本は過去3年8か月という期間、香港を占領して、ペニンシュラホテルを当時の軍事拠点としていました。
香港は世界大戦の間、抗日戦が繰り広げられていて、日本敗戦で「日本軍からは解放され、イギリス軍に植民地化」されました。
同じく、占領されるという事実には変わりなく、香港の人たちにとっては、本来どちらも喜べない状況ですが、日本から解放された事を「香港重光《香港復興》」と呼び、世界大戦の終了を記念してついている名称です。
私が初めて、憧れだった「ペニンシュラでアフタヌーンティーをする事」を実現し、ペニンシュラの荘厳さと、初めてのアフタヌーンティーに感動していた時、連れて行って下さった、当時の香港事務所の総経理から「ここは戦時中、日本軍の軍事拠点だったので、従業員も日本語ができる人が多いんですよ」と聞きました。
ホントに従業員(割と高齢の執事みたいな感じの男性でした)が優雅な所作で微笑みながら日本語でサーブしてくれて、少し心が痛くなった事を覚えています。
1967年の六七暴動は、今起こっている事とはある意味真逆で、この時は中国文化大革命に刺激された共産主義思考の人たちがイギリス統治下の香港政府に反発して起こった暴動です。
1984年の英中共同声明は日本語ありましたので興味のある方はご覧ください。要は鄧小平が出て来て、1997年に香港が中国に返還される事と「一国二制度」を50年維持する、という共同声明を発表したものです。
第四次以降は何となく皆さんもご存知かと思います。
でも、私は思います。
この多くの香港の人たちが持つ特質;
香港の前途に不安を感じると移民しようとする考え方。
一つの国や地域の前途というのは誰が決めるのでしょう。
「いやいやいや、政府は私達国民の声なんか全然聴いてくれない」
そういう声もあるでしょう。ホントに日本も日本国民をないがしろにし過ぎてて、ホントにどうにもやるせない気持ちにもなります。
だからと言って香港の人たちのように、じゃあずっと延々移民を繰り返すのでしょうか。
香港の前途が不安→イギリスに移民。イギリスがブリグジットで不安定→今度は貨幣価値の低い台湾に移民。で、今度は台湾の政情不安や地震の多さに不安→更に安いタイに投資移民。でも投資移民というのは、タイにとっては外国からお金を落とさせる為の手段であり、旅行ビザのように30日に一度、ビザの更新の為にタイを出国させられるから→・・・延々続く。
こういう事を繰り返して、いつ安生の地に辿り着けるのでしょう。前途に不安のない理想郷(エルドラド)はどこにあるのでしょう。
聖飢魔Ⅱ エルドラド(黄金の理想郷)
そう思ったらやっぱり自分が今いる所にしっかり腰を落ち着けて、政府に自分達の声を通す為にはどうしたらいいのか真剣に考えていく。
政府と言っても全員国民の代表です。国民がいてこその政府であって、国民がいない所に政府は成り立ちません。
「移民」という選択肢を、私はフレキシブルだと好感的に受け取る事が出来ませんが、どちらもある意味苦渋の選択なのかもしれません。
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