キョンシー映画発掘の旅
キョンシー好きを名乗るからには
以前この記事を書いた時に調べてわかった「 殭屍片(キョンシー映画)」とジャンル分けされウィキに載っていた映画36本。
キョンシー好きを名乗るからして、せめてウィキに載ってるキョンシー映画くらい一通り見てみよっかな、と思ったんですね。
そしてまずは、見たモノと見てないモノを仕分け。
林正英(ラム・チェンイン)出演作で見てないものは一作もありませんでした。つまり見た事がないものはラム・チェンイン不在のキョンシー映画のみ。
・・・な~んだ。じゃあもう見なくていいな。
この見なくてもわかる揺るがぬ結論が眼前に出ているにも関わらず、ラム様なしキョンシー映画でも、別の要素で楽しめる名作もあるかもな・・・?
でも中国、香港のファンの間ではネット上で、ある定説がささやかれていました。
面白いモンなんてないという90%の確信と、もしかしたらという期待10%を胸に私は発掘の旅に出ました。
まず、この36本に上がっているキョンシー作品の内、50%を占める18本はラム様作品であり、そこにハズレは一個もないかと言うと、好みの問題と言ってしまえば、もう何も言う事がなくなってしまうが、私のイメージする「ラム・チェンイン」作品における完成度のスタンダードと照らし合わせて、若干見劣り感があったのは、わずか2作品。つまり90%が最高💗(甘めの採点である事は否定しません)
その他の玉石混合のキョンシー映画を片っ端から見る
とは言え、ラム様不在の作品は、見る前から「玉」より「石」ばっかだろうな~という先入観がぬぐい切れません。
が、キョンシー映画を構成するのは、もちろん道士役の俳優さんだけではありません。
キョンシーも、その他脇役も、脚本も、アクションも、重要な要素は色々あります。
そう思って、とりあえず片っ端からキョンシー映画を見てみます。
まずはキョンシー映画としてリストに挙がってる36本を制覇してみようと思いましたが発掘できないものがいくつかありました。
が、代わりに道士役がいる映画、中には題名に「キョンシー」と謳っているいるものさえ色々と出てきました。
これまで手付かずだったラム様不在キョンシー作品の中には、道士役としてラム・チェンインの後釜として定番の錢小豪(チン・シウホウ)。その実の弟で、同じくアクション俳優の錢嘉樂(チン・ガーロッ)、これまたアクション俳優として有名な元彪(ユン・ピョウ)、元華(ユン・ワー)、香港映画界の帝王の一人、鄭則仕(ケント・チェン)を始めとして、テレビ俳優として割と知名度の高い人たちもいました。
錢小豪(チン・シウホウ)↓↓
錢嘉樂(チン・ガーロッ)↓↓
元彪(ユン・ピョウ)↓↓
元華(ユン・ワー)
鄭則仕(ケント・チェン)↓↓
あっさり結論
ラム様不在キョンシー映画は、やっぱり「玉」はほとんどありませんでした。
例えば、せっかくいい俳優さんを使っているのに。
ちなみにこの写真はあの樓南光(ビリー・ラウ)ですよ。あの映画「霊幻道士」で警察の隊長役をやっていた俳優さん↓↓
遭難して無人島に辿り着き、毒入りプチトマトを食べて倒れたと思ったら
毒入りプチトマトの神経毒にやられて、自分達を吸血キョンシーだと勘違いして、血を吸いにやってきたキョンシーキッズ達を逆に人間が追い回し、キョンシーが息を止めて人間をやり過ごすという意味不明の脚本があったり、
神経毒にやられてるのは人間なのに、何故キョンシーが息を止める?そもそもキョンシーって人間的な呼吸してるんかい?
ツッコミどころあり過ぎてもはや意味不明。
歌手であり、音楽家としても有名な林子祥が西洋風吸血鬼役で映画を撮っていたり(作品自体は林子祥がとにかくカッコいい役をやりたかったんだろうな~という一人勝ちの作品。娯楽作品として悪くはありませんでしたが)
起承転結はあるもののクライマックスの物足りなさ
これらの作品に共通していると感じたのは、脚本の平坦さでした。一応起承転結はあるのですが、キョンシーをこてんぱんにぶちのめす系のアクション要素が、やはり物足りません。
キョンシー退治の要に、錢小豪などが据えられてはいるものの、若かりし頃「霊幻道士」で見せていたような機敏なアクションは影をひそめ、代わりに特撮効果などで取って替わられています。
あとは主役級の人たちがひたすらキャーキャー逃げ回る系も多く、そうなるとキョンシーを倒すのは、アクションではなく、爆弾や日光、硫酸や液体窒素など、普通の人間が知恵と根性と武器で頑張って倒す、西洋モノの吸血鬼や「バ〇オ〇ザード」系のホラーと何ら大差ない感じ。
そういう系は、見終わってもグダグダ感だけが残り、爽快感があまり感じられません。
「道士VSキョンシー」 という構図
キョンシー映画最大の魅力は何と言っても、キョンシーという化け物に対して、完全にそれを撃破する術をもっている道士という絶対的存在があるというこの構図は、やっぱり「キョンシー映画」というジャンルにおいては鉄板の構図なのです。
その辺、ラム・チェンイン作品は、道士役が警官であろうと中医であろうと、道教の術を用いてキョンシーを凌駕する存在として必ず描かれています。どんなにベタでもその構図がしっかりある上で、あとは、誰にも真似できないような圧倒的カンフーアクションで見せてくれるのです。
キョンシー役が見事!
そして、何と言っても「キョンシー」の質の違いです。
ラム・チェンイン作品も後期作やテレビドラマになると西洋の吸血鬼と対峙する場面も出てきますが、「キョンシー映画」の醍醐味は何と言っても、カッチカチの死後硬直した体で、ピョンピョン飛び跳ねる王道キョンシーであるからこそ、の面白さがあるかと思うのですが、私がまだ見た事のなかったキョンシー作品はラム様亡き後の作品が大半でしたので、特に強く感じたのは、キョンシーの差です。
道士役の圧倒的カンフーアクションが、今やカンフーの心得がなくとも特撮効果で何とかなってしまう、というのは時代の流れとしてしょうがないのかもしれません。もちろん私的には、どんなに巧妙な特撮効果であっても、あのラム・チェンインの超絶アクションより見ごたえがあるものはない、と思っておりますが、決定的に変わってしまったものは、キョンシーの在り方です。
キョンシーは西洋吸血鬼に近づき、普通の人間とほぼ変わりません。キョンシー独特のあの動きは、やっぱり演じるには大変な苦労があっただろうな、という事をネオ・キョンシー映画(キョンシーが人間と変わらない作品を勝手にそのように呼ばせていただきますが)を観ながら改めて感じる事になりました。
あの直線的な動き、前習えしっぱなしの腕、ジャンプでの移動。そして何より何よりすごいなと思ったのが、キョンシー役の俳優が呼吸している事をほぼ感じさせない演技と演出がすごかったなと思うのです。そこまで細部にこだわっていたのか、と今更ながらに驚いた次第です。
キョンシーが肩でゼイゼイ息をする
「人vsキョンシー」から「人vs人」へ
ネオ・キョンシー映画(キョンシーが人間と変わらない作品)の中には、ラム・チェンイン作品のようにアクションを全面に押し出したものがいくつかありました。
しかし、キョンシーがより人間に近づいていますので、そのアクションは、もはや「人vsキョンシー」ではなく、ただの「人vs人」のアクションなのです。
ただの「人vs人」のアクションであれば、もはやキョンシー映画である必要がなくね?
香港のアクション俳優事情についてはいつか機会があったら書こうと思っていますが、アクションを全面に出しているキョンシー映画では、若手のアクション俳優を起用しており《その構図は映画「霊幻道士」で林正英(ラム・チェンイン)ではなく錢小豪(チン・シウホ―)を売り出そうとしていたのと全く変わってはおりませんが》、最近のアクション俳優さん達は、(映画の主役で売り出されるような人達は特に)功夫を習っていた人が多いので、確かにアイドル俳優がワイヤーアクションに挑戦するのとはレベル違いのカンフーアクションは見せています。
が、激しいアクションで主役も「キョンシー役」も肩でゼイゼイ息をしているのが作品中で見えるのです。
これは決してそれらの作品をディスる意図ではなく、純粋にラム・チェンイン、サモハンキンポーらが設計してきたキョンシー映画というのは、そうして設定した「キョンシー」というものの在り方を絶対に崩さないというこだわり。「神は細部に宿る」というのは、そういう事なんだな、というのを痛切に感じさせてくれました。道士役も演技でゼイゼイとかヨロヨロはありますが、「アクション演技をしている事での余裕のなさ」を垣間見せる事は本当になかったなと思うのです。
おまけ
最後にラム様不在作品で、まあまあそれなりに面白いと思った作品は
以下の通り。
2時間半の大作です。主演も香港の映画帝王の一人、鄭則仕。
あるドラマで演じた 「肥貓」の愛称で親しまれる演技派俳優さんです。
が主役を演じる「捉鬼大師」は、アクションは特撮多用ではありますが、やっぱりケント・チェン、見せるのが本当に巧い!!!
見ごたえもあり、脚本も良く出来ていました。(ただしキョンシーではなかったけど)これはテレビとかで、たまたま再放映とかされてたら見ちゃうかな~というレベル。
でも、ケント・チェンが出ていればいいかと言えば、シナリオがカオスだったものもありましたので、ケント・チェン作品ならOK、とは言いきれず。
あと、個人的には「有隻殭屍暗戀你」。これは反論必至。
普通の人たちがキャーキャー逃げ回る系で、人間がキョンシーに勝てる要素ゼロ系の作品。たくさんの人が出て来て、誰がホントの主役かよくわからない、ありがち&カオスなシナリオ。だけど最後にヒロインを守る為に自分を犠牲にするヒーローという〆のストーリー部分だけしっかりしていて「終わりよければ全てよし」で、微妙に救われた気持ちになりました。また見たいかと質問されたら、その質問を聞き終わらない内に「No Thank you」と言うレベル。
終わり
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