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吸血師Dr.千水の憂鬱㉖現場から葬儀場まで

前回の話

第26話   現場から葬儀場まで
  
 幸い遭難者達は皆意識はあった為、身体に負担がかからない、ぬるい白湯を飲ませる事ができた。女性は寒さに震えていたので、症状としてはまだ軽度だった。低体温症は、身体が冷えすぎて身体機能が低下してくると寒ささえも感じ取れなくなってしまう。寒さに震えているうちがまだマシと言えた。

 今「おふくろ」で暖を取っている男性はもう少し遅ければ意識が混濁し始めていた事だろうが、この男性に関して言えば幸いなことに山岳警備隊の到着が何とかギリギリ間に合ったのだ!

 竹内は携帯電話をスピーカーにしたまま千水の指示に従いテキパキと処置に当たるが、一緒にいる宮森には千水の指示する箇所の名称がわからなかった。竹内は即座に足首の真ん中あたりに指を当て弱い脈動を確認する。脈動を数え伝え、千水が言う通りに、患部に消炎鎮痛スプレーを吹き付け足を高くして寝かせた。

 竹内は、もしここに千水がいたら、すぐに脈を読み、血液を読み、鍼を施し、もっと適切な処理が素早く出来るのに、と痛切に思う。まだ脈の読み方もおぼつかない自分が不甲斐なかった。鍼などの措置は国家試験に通ってからでないと行えないが、もし今こういう現場で、そういう「治療」行為ができれば、遭難者の重症化をもっと防ぐことができるのに、救える命が増えるのに、と思うと居ても立ってもいられない気持ちだった。外の雨は、少し弱まったようだったが、相変わらずヘリが飛べそうな状況ではなかった。

 その間に、遭難者達三人は少し落ち着きを取り戻したようだった。ご遺体と同じテントに入っていた女性は、先ほどまで気に掛ける余裕もなかった、亡くなってしまった仲間の事に気が向いたらしく、同じテントに安置されているご遺体の脇に近寄ると、袋の上から身体をさすりながら静かにすすり泣き始めた。
 そこへ大石と赤木が合流。ヘリがどうにも飛べそうな状況ではない為、後援の隊員がセンターに到着したのを見て、このゴツゴツした岩場しかない男山から自分達で移動させる事を念頭に最低限の軽装備でやって来た。

時間は既に夕方の5時になろうとしていた。

 隊員は五名になり、ここから峰堂までのちょうど中間地点にある壱の越まで移動をするかという話になった。

 そこまで移動できれば立派な山荘もある。

 食べ物やトイレや温かい部屋が用意できる。男山はト山県側の鷹山登山コースで最もポピュラーな登山コースではあったが、険しい岩肌に囲まれた厳しい環境である為、確かにテントがあっても遭難者がゆっくり身体を休められる環境ではなかった。外の雨脚も先ほどから見ればだいぶ弱まってきたようだった。
  竹内は誰に言われるでもなく再び千水に電話を入れ、遭難者達の状況を伝え移動させて大丈夫か指示を仰ぐ。

 骨折している男性は本来安静にしておくべきだったが置かれた環境が悪すぎるのと、さっきかけた消炎鎮痛スプレーのお陰で、今は足の患部周辺に溜まった内出血が、もう目に見えて黒く浮き出していた為、致命傷の怪我ではないから背に腹は代えられないと判断されたようだった。 
 幸い、というか、外は患部も熱を持ち得ないほど十分に寒かった。

 現場でこのスプレーを初めて使った竹内は、あまりの薬効の速さに内心驚いていた。ただの捻挫だって、こんな風に内出血が表皮に浮き出てくるまでには数日かかる。それが数十分前にスプレーしただけなのに、もう内出血を散らし始めているなんて!
 
 千水の同意を得、五人の隊員達は意を決したようにうなづき合う。一度は収納袋に収めたご遺体を再び取り出し、遭難者三名とご遺体を隊員が背負って壱の越へ向かう。全員テントを出た後で荷物係になる一人が装備を片付けて回収する。おおよそ50キロほどの重量になるが、そのくらいなら普段の鍛錬でも担いでいる。

 そして、五人の中では一番ガタイのいい出町隊員がご遺体を背負い、男性のケガ人を分隊長、もう一人の男性を宮森、女性を竹内、赤木は一旦一人残ってテントを片付けて後を追いかける事となった。
ご遺体はまだ完全に硬直はしておらず脱力しきっていて運びにくい為、順番に運ぶのが暗黙のルールだったが、出町隊員は半分を過ぎても交代する事なく、ひたすらご遺体を担ぎ続けた。

 ト山山岳警備隊は、元々昔からの鷹山ガイドを生業とする者達の有志部隊であり、警察管轄として警備隊が結成されてからも、そのガイドらに救助方法を教わるだけでなく、遭難者やその家族に対する思いやりやケアまで学んできた。

 その心遣いは「現場から葬儀場まで」と言われるほどで、鷹山連峰は三県にまたがる壮大な山々だったが登山者たちから「落ちるならト山県側へ」と言われるほどに献身的な救助が行われていた。

 出町の背中からは「一刻でも早く家族の下へ帰してやるんだ」という鬼気迫るものが感じられた。最近はほとんどヘリコプターでの救助がメインとなっているが、山ではそういう常識が通用しない事もままあるのだ。

続く

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ハザカイユウ
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