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香港漫画の行く末

「バガボンド」と言う漫画をご存知でしょうか。
作者の井上雄彦(いのうえ たけひこ)さんは「スラムダンク」でその名を轟かせた漫画家です。

香港では「浪客行」という名前で翻訳されています。

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バガボンドは吉川英治氏原作の「宮本武蔵」という小説を漫画化したもので、「スラムダンク」の画風とは違い、筆なども使い、荒々しいタッチで、時に水彩画のように、時に水墨画のようにカチコチハードボイルドな武士の世界を描いた超大作です。

でも「武士」特有のサムライスピリッツとか、日本のワビサビの世界観とか、そういうの中国の人に伝わんのかいな・・と私が疑問に思う前に、先に「浪客行」(バガボンドの中国語版)が香港にはあったのです。

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効果音としての日本語はそのままに

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中国語訳の言葉選びの秀逸さに驚かされます

全て原作そのままの世界観がキープされているところに、作品に対する情熱とリスペクトを感じます。

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漫画の方がコマ割りとスペースが限られているから、ある面普通の書籍よりも感性豊かじゃないと難しいかもと思う。

日本語と中国語を一つの土俵に置いて比べた時、基本的には中国語が日本語より長いフレーズになる事はありません。

「ありがとう」「謝謝」、「お元気ですか」「你好嗎」、
「私は日本人です」「我是日本人」

全てがこういう調子なのですが、漫画や小説作品の翻訳は、この日本のオリジナルの雰囲気を出来るだけ再現しようとする為、この基本ルールから外れて、中国語の文字数が日本語の文字数と同数もしくは上回っているのがわかると思います。

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だから大好きな「バガボンド」を中国語で読んだ時、とても疲れました…。まどろっこしくて文字だらけでげんなりです。

中国語が本来日本語より短い表記になるのは言語上の構造上、漢字一文字に込められている情報量が違う事、助詞や助動詞が無い事などから当たり前なのですがそれが翻訳、特に漫画になるとルール崩壊が起こります。

○日本語は主語、述語、目的語、その時々で省略表現が多い事。
○擬音語、擬態語が豊富な事。

○そして!平仮名、片仮名は日本語を構成する語句の素でありながら、そのまま発音記号でもあることで、純粋な音声を聞こえるまま自由自在に無制限に組み合わせて細やかに再現したり、有り得ない音を創り出したりできる事!
(ズバン、ドスン、ズザッ、ズキューン、ズモモ〜ン、ガシャン、ガチャン、ドカン、ドビュシッなど)

例えば降る雨が、「ザアアアア・・」か「ドシャー・・」か「サアアアア・・」か「シトシト・・」かこんなに細やかに雨の状態を表現する音声バラエティに富んでないのです。

色々細かい説明がなくても臨場感とスピード感をキープしながら読み進められるからです。

先程の写真最初のコマと最後のコマの比較を見ると

「今じゃもう、全然思い出せない」→「 現在已經、完全想不出又八的面容了」

日本語は絵で又八という人物の絵を書く事で「思い出せない対象」を言語化するのを省略していますが、中国語では「又八の」と「思い出せない対象の名前」が補足されています。

「毎晩浮かぶんだ」→「 每天晚上都會浮現在腦海裡

(単なる字数比較で出している例なので中国語の細かい解説は割愛)

日本語では時と動詞のみで表現されている「(又八の事が)毎晩(頭の中に)思い浮かぶんだ」というのを簡略化した「毎晩思い浮かぶんだ」というのが、中国語では、在腦海裡(頭の中に)と、「どこに」浮かぶかが補足されています。

なので漫画の翻訳を読むのは、小説の翻訳を読むよりずっと疲れるのですが、日本の漫画もドラマやアニメまでとは行かなくても香港社会のエンターテイナーとして大きな役割を担っています。

香港社会にカラーTVが普及して以来、放映される番組
の中には、それはたくさんの日本のドラマがありました。

「子連れ狼」「金メダルへのターン」「姿三四郎」「キーハンター」など、私が生まれる前のドラマを始め、日本アニメも「未来少年コナン」「アストロガンガー」「母をたずねて三千里」「ドラえもん」「キャプテン翼」「Dr.スランプアラレちゃん」など有名どころは勿論、私達日本人がパっと想像できる以上に数多くの日本の作品が輸入されました。(以下のウィキでは70年代からの輸入された日本アニメ一覧表が見られます)

そしてカラーTVの普及と時を同じく

して50年代から香港でもただの風刺画ではない、いわゆる「漫画」が登場して60~90年代にかけてピークを迎えます。

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香港で超有名な「龍虎門」という漫画の前身の作品。

60年代 「小流氓(チンピラども)」というアクション漫画で一斉を風靡した黃玉郎氏は、ここに出てくるキャラを元に発展していった漫画、「龍虎門」で香港漫画界の王座に君臨し会社を設立。

「龍虎門」は、多くの武術集団の派閥が乱立する中、龍虎門の三皇と呼ばれる王小虎、王小龍、石黒龍を中心とする正義感溢れる仲間達が悪に立ち向かいながら信頼と絆を深め、ひたすら闘い続けるストーリー。

(それにしても、この初期の「小流氓(60年代)」と今現在の「龍虎門」の画風の差が↓↓)

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左上四冊が初期の頃、それ以外は今現在の画風。

ちなみに70年代「龍虎門」開始当時の画風はこちら↓↓「小流氓(60年代)」よりは足も長くなり、少しこなれて来たかというところ。

(実は黄玉郎氏はかなり早期の段階からもう自分では描かず、優秀で有望な漫画家の卵であるアシスタントがほとんど描いていたとも言われています。)

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自分の会社で「龍虎門」(1979年)の映画を撮ったり、一時は香港漫画の8割を手掛けるほどの飛ぶ鳥落とす勢いを誇り、巨万の富に目をつけた部下に騙され株取引で大損し財産も会社も失ってしまいます。(この負債に関して不正を働き4年の実刑に処されてもいます。)

そして落ちる一方の売り上げに、とうとう「龍虎門」の著作権を他人に売り渡し、現在の「龍虎門」は自分の名前では出版されていません。

但し「龍虎門」の作品自体はもう半世紀近くも続く超長寿漫画で、2006年には豪華キャストで実写版映画も制作されました。

「龍虎門」には一番メインで三人の主役がいます。

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主役のセンター王小虎。

王小虎に謝霆鋒(ニコラス・ツェー)

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センター主役、王小虎の兄貴分:王小龍

王小龍に甄子丹(ドニー・イェン)

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主役トリオの最後の一人、石黒龍

石黒龍に余文樂(ショーン・ユー)

という香港を代表する映画スター3人が主役を張って熱演。

三人が所属する「龍虎門」の師匠役には元華(ユン・ワー)

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など、有名どころが出演し、原作者である黄玉郎氏もチョイ役で出演しています。

香港漫画界のゴッドファーザー的存在の黄玉郎氏が表舞台から姿を消したことで、所謂独占状態は終了し、却ってたくさんの若手(元黄玉郎氏のアシスタントも含め)が次々にオリジナリティに富んだ作品を自由に創り出し、今もたくさんの漫画が販売されています。

そう言うと黄玉郎氏がひどく悪い人に聞こえるかもしれませんが、巷の評判としては経営管理をわかっていなくて下に利用された人、という感じです。

香港の漫画は写真のように薄っぺらいA4サイズの15ページくらいで、オールカラーです(週刊)。

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全巻カラーで見ごたえ満点

余談ですが、私が特に好きなのは元黄玉郎氏の有能アシスタントだった邱福龍氏、次いで鄭健和氏

特に邱福龍氏の作品は、絵も美しく物語も合理的で逆に日本でも人気が出るんじゃないかな~と思うのですが。

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現時点での私の最愛読漫画「山海」

日本漫画もホントに驚くほどたくさんの作品が、翻訳という大変な作業をしてまで販売され、それは(日本人の私に言わせたら)オリジナルのスピード感や臨場感はだいぶ削がれたものであるにも関わらず、その魅力はちゃんと香港の人たちにも伝わって来た歴史がある一方で、今時の若い世代は漫画を買わなくなって来ていると言います。香港漫画界全体の売り上げが激減中とか・・

それで香港漫画界の存亡の危機がテレビ番組で特集が組まれるくらい危ぶまれるこの現状の中、黄玉郎原作の「龍虎門」の著作権を手にしたArt comic Studio LTDによって、再び「龍虎門」ブームを再燃させようという動きがあるようです。

60年代の頃の復刻版作成、多数キャラの外伝、特定のエピソードのオリジナルストーリーなどが今どんどん出されています。

(ていうか半世紀続いているのもそうやってダラダラ引き延ばし続けているからなのですが・・)

いつか別途書きたいと思いますが、香港は漫画にしてもドラマにしてもそういう傾向が強くあるようです。

ゼロから「今まで見た事のないようなストーリーを創り出す」オリジナリティに欠け、当たったものをひたすらリメイクし続ける傾向(あくまで私見)

ただの持論です

私は、そういう守りに入ったやり方の中に香港漫画界の危機を救う種はないと思っています。

日本漫画のように常に新しい概念、新しい切り口を求められ、またそれに応えるだけの創造性豊かな漫画アーティストたちが、香港にももっともっとたくさん出て来れば、きっと新しい風穴が開けられると思います。

日本が依然として漫画家たちがしのぎを削る激戦区のままならば、ちょっと活躍の場をお裾分けして欲しいくらいです。


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ハザカイユウ
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